私は、10年前、ここに居ました
相談者と面談の為
レンガが軋んだような気がして、
シェフと
『レンガが軋んでいるかも』
と話したのを今も、忘れない
以前の記事はここ↓
リブログした内容に重複しますが、
当時、仙台にいたスタッフを札幌に
呼び寄せる予定、フライトの時間を確認し、
早めに来るように指示、すると
『前の便に変更できたら』それがメールでの
返答でした
その後の面談、軋むレンガの中で、スマホを
見て、手が震えました
『もしかして・・』
仙台空港は、孤立状態
フライトできたのか否か、
既に『電波の繋がらない状態』のスマホ、
札幌のスタッフに安否を確認するも、
手立てがなく、仙台のスタッフも
音信不通のまま
とても長く感じた時間でした
おかげさまで、彼の安否は、その後、
確認する事ができましたが、しかし、
他の仙台出身のスタッフの親戚・
知人らの中には、被害に遭われた方がいます
1ヶ月、札幌に滞在し、仙台から来た
スタッフに会社の車で、
小樽から新潟行きのフェリーを手配し、
当時居た札幌のスタッフを招集、
札幌並びにその周辺に食材・タバコなどを
買えるだけ買わせて、詰めるだけ、
車に詰めて、違法ではありますが、
ガソリンまで用意して積み込みました
画像で、送られてくる被災した場所へ
スタッフを帰すことに戸惑いは
ありましたが、彼の希望を受け入れる事に
被災から数日後、連絡が取れた知人は、
津波に流され、空港近くの電線に捕まり、
電線を伝わり、
電柱(12m)のテッペンで
救助を待ったそうです
当時、事情があって、全財産と共に空港へ
向かい、流されたとのこと
今、二人の子供と共に暮らしています
今も4万人以上の方が避難している
2011.3.11
決して忘れてはいけない
今日は、そんな1日です