初めて、ブログというものをします。

 

単刀直入にいうと、私は21歳にして顔面神経麻痺という病気になり、発病から2か月後に手術(顔面神経減荷術)をし、今もこの病気と闘っています。この病気は誰にでも起こりうるとても怖いものです。今でも、毎日不安との葛藤で押しつぶされそうになります。

 

他の同じ病気の方の情報もネットには上がっています。でも、私のように重傷で、なおかつまだ若いうちになった方の情報がなく、私は、そんな人に、少しでも気持ちを分かち合い、これからどうやって前に進んでいけばいいのかを、一緒になって共有していきたい、そういう思いで、今、こうして”ブログ”という現代ならではのやり方で、情報を発信していこうと思います。

 

ただ、文章書くのが苦手なのと、自己満足で書くような内容もあるのでそこらへんはご了承ください。(笑)

 

 

まず初めに、私の自己紹介をします。

私は21歳の女で、約3か月ちょっと前、9月の初旬に、留学中だったオーストラリアで、朝起きると突然左顔面が麻痺していました。これが私のこの病気との始まりでした。

最初は訳が分からず、朝の8時くらいだったのですが、日本に居る母親に速攻電話しました。頭はパニックで、何が起きているのか全く分からず泣くしかありませんでした。そして、たまたまステイしていたお家のオーナーがGP(オーストラリアでいう一般医、オーストラリアではまずおっきな病院にはこの医者の紹介状がないと専門医に診てもらうことはできません)だったので、診てもらい、日曜日だったのですが、病院を探してくれ、なんとか診てもらえるところに連れて行ってもらいました。そこでは、”ベル麻痺”と診断されました。私も、オーナーも事前に調べていて、お互いにベル麻痺だろうと言っていたので、やっぱり、という感じでした。そこでは、抗ウイルス剤とステロイド、麻痺で目がつむれないので目薬、夜寝る時に目を保護するためのテープ、をもらいました。家に帰り、ネットで調べていると、7割が自然に2~3か月で治る、と書いていました。不安でしたが、7割、という言葉を信じて、日本には帰らず、現地で治療することを選びました。

 

次の日は、念のため、と言われ、MRI検査を行いに大きな病院に行きました。あっけなく初めての一人海外病院での検査も終わりました。そして、オーナーに、もしまだ不安なら、日本のドクターに診てもらってもいいんじゃない?と言われたので、そうすることにし、翌日日本のドクターい診てもらいに街へ行きました。そこでもやはりベル麻痺、と診断されまして。三日連続で医者にかっかたことなんてありませんでした。(笑)

 

その日から私は学校には行かず、すぐに良くなってくる、と思い家でずっと過ごしていました。ただ、日ごろよく遊びに行って家にもあまりかえってこない私が突然家にこもりっぱなしも苦痛で逆にストレスだったので、毎日夕方から散歩に2時間ほどでていました。近くにいくつか大きな公園があって、とてものびのびした環境で、とてもそれが好きでした。

そして、毎晩母と電話をしていました。でも、異国の地で、親戚がいるわけでもなく、ちょうどこの病気の前に、親しかった友達は皆母国にそれぞれ帰ってしまい、プラスたよりにしようとしていた現地で出会った彼ともお別れをする羽目になったので、病気になる直前の私は、いきなり一人ぼっちになったという思いと、その前からあった様々な人間関係のトラブルで、夜もものすごい歯ぎしりをして目が覚めたり、朝の通学の時間を1時間も間違えてしていたり、とさまざまなストレス、今までに感じたことのないくらいのストレスを抱えていました。それが積み重なって今の状態になったのだ、と思っています。そんな中で、一番の楽しみが夜に日本からかかってくる、母からの電話でした。「今帰ってきたよ~。今日は何してたの~?」そんな毎日同じような会話を欠かさずにしていました。でも、それと同時に、こみ上げてくる涙をほぼ毎日流していました。なぜか母の声を聴くだけで、涙があふれてくるのです。そうやって毎日泣いている私に母はいつも強かったです。「泣いていったてしょうがない、泣いてどうにでもなるなら泣いていたらいいけど、そうじゃないならもう泣くのはやめよう。」電話の向こうの母が鬼に思いました。こんだけ苦しい思いをしている娘に対して帰ってきなさい、と一度も言わなかったからです。先に帰った日本人の仲良かった子の両親が私のことを心配してくれてたみたいで、自分の子でもないのに。「○○ちゃん早く日本帰っておいでーや!」と言ってくれていたそうです。昔っから母は他のお母さんたちより厳しい母親でした。私の母を見た友達には「○○のお母さんって、ザ・キャリアウーマンやな。」と言われるくらいでした。電話の向こうにいる母はやっぱりいつものそんな母でした。(これ以上書くとありえないくらいの長文になるのでこの話はまた今度。(笑))