朝鮮人が戦後日本人から土地を奪い、そのまま居座って現在に至っていることを自白 川崎在日コリアン生活文化資料館 朝鮮へ帰ろうと思ったけど、切符がなかなか取れなかった。 その時はヤミでしか手に入れられなかったから。川崎の駅のキング通りは 終戦直後は、みんな焼け野原で店は一軒しかなかった。 “土地は誰のものでもなくて、みんな勝手に自分の土地にした。” うちは韓国に帰るつもりだったから、そういうことはしなかった。 向こうのみんなが日本に(密入国して)帰ってきたから、 自分たちも帰るのをやめた。今ある川崎駅近くの店は、一軒残っていた 呉服屋以外、みんな戦後勝手に振り分けた土地の所有者が 代々継いできた店。 http://halmoni-haraboji.net/exhibit/report/200608kikigaki/hist007.html http://www.youtube.com/watch?v=P6eUqvYIoeo&feature=g-vrec 強制連行されて来た、奴隷労働をさせられたという朝鮮人。 実はほとんどが敗戦後の日本で濡れ手で粟の金儲けができると密入国してきた者。 韓国会館や超賎学校、パチンコ屋が、いつから、なぜ、そこにあるのか ちょっとだけ考えてみよう 強制連行・従軍慰安婦等朝鮮人の嘘に協力し外国人の政治参加を推進する民主党(・社民党・共産党・公明党)
週刊新潮の3月14日号の変見自在、「迷惑な奇跡」が、偶然にも朝鮮を巡る問題を語っていて面白い。 「今の朝鮮人の祖父母の時代の家は藁葺に泥壁の家で便所すらなかった。(中略) そんな未開人の面倒は日本が見ろと セオドア・ルーズベルトが言った。「ウチはごめんだ」と米国は公館を畳んで外交も絶った。日露戦争直後のことだ。 日本も嫌だった。この国の愚かさゆえに日本は日清、日露と2度の戦争を強いられ12万兵士を死なせた。だから、5年間保護領にし、 インフラを整備して自立を待った。が、彼らはがやがや騒ぐだけ。挙句に併合反対の伊藤博文まで暗殺してしまった。 かくて「禍は人間性教育で取り除く」併合策が取られ、いわゆる日帝支配36年間が始まった。日本はその間、国家予算の2割を半島に注ぎ、 秘境に文明の光を当て続けた。(中略) 保護領時代に釜山からソウル、さらに北の果て新義州を結ぶ半島縦断鉄道を開通させた。 この鉄道は満鉄、シベリア鉄道とも接続し、日帝支配3年目には秘境の民はソウルでロンドン行の切符を買えるようにまでなった。 日本は学校を作り、今のハングル文字を教え、発電所を立てて家々に文明を灯した。(中略) 日本は英米との戦争に敗れ、この面倒な民を米ソが後見することになった。(中略) 彼らは日本の作った鉄道やダム、更に 日本窒素など民間企業まで総額900億円に上る資産をただ没収した。加えて日本から重工業施設や機械類が山と運び込まれた。(中略) 朝鮮人はその上に日本から戦時賠償も取ろうとした。戦争もしていないのにそれはないだろうと社会党の鈴木茂三郎も呆れたものだが、 朴正煕は「賠償の文句は削るからカネをくれ」と結局5億ドルを持っていった。韓国の国家予算の2倍にあたる額だった。朴はついでに技術協力もつけろと言い、日本の作ったインフラをベースに日本から来た 機械と日本人の技術で一気に韓国工業の近代化を図った。これで成し遂げたのが世に言う漢江の奇跡だ。(中略)日本にたかって 漢江の奇跡を生んだ朴正煕の娘が今度、大統領になった。それだけで嫌な感じがしていたら就任演説で「第2の漢江の奇跡を起こす」と言った。 今度は何をたかる気なのか、そんな教育はしなかったはずなのに。」 気の弱い私には、到底、ここまでは書けないが、けっして出まかせを言っている訳ではない。明確な史実に基づいているし 勇気ある記述である。まさに「正鵠を射る」と思うのだが如何・・・。