ゴールデンウィークに京都・兵庫の神社巡りに行ってきたので、その中から良かった神社をピックアップして紹介したい。紹介したい神社がたくさんあるので、しばらく神社巡りの記事が続くかもしれない。
初日は八坂神社、京都霊山護国神社、粟田神社、平安神宮などを巡った後、この記事で紹介する吉田神社に参拝。
八坂神社と平安神宮はなんと30年ぶりの訪問である。当時は神社には興味がなく、寺院中心の旅行だったので、この2社はあまり面白いところだとは思わなかった。そして、「参拝」ではなく「観光」だった。だから、今回初参拝という扱いである。
今回はさすがに大人の神社趣味人としての感性があるから、それなりに楽しめたのではあるが、知名度ほどの良い神社かと言ったら違うとは感じる。
そのため、この記事では吉田神社を紹介したい。前述の2社が多数の参拝者でごった返していたのに比較すれば、ある程度ゆっくり参拝ができたのだが、本格派の神社らしい場の気を感じるのはこちらである。
個人的に、八坂神社とこの吉田神社の参拝で二十二社の巡拝が完了する。2010年の10月から神社巡りを始めたので、7年半強かかっていることになる。ちなみに、一宮の巡拝については30社近く未訪問を残しており、全く先が見えない状況である。
二十二社というのは平安時代に確立した一種の社格のようなもの。一宮よりもずっと数が少ないので、それ以上の重みがある。数が少ないので巡拝の対象としては一番簡単かもしれないのだが、私の場合には二十二社や一宮だけを特別視してそれだけを巡るというのは好きではないので、結果として7年半もの歳月がかかっている。
二十二社を列挙しておく。
(上七社)
(中七社)
(下八社)
事前に当社の表参道がどちら側か地図で調べたのであるが、調べが付かなかった。境内の一番北に社殿があり、境内社が南北に広がっているので、一番南に正面鳥居があるだろうと考えたのだが、グーグルマップのストリートビューで確認してもそれらしいものが見付からない。
それでも境内参道は南から北に向かって歩くものだと思い込んでいたために、上記画像の鳥居から境内に入ったのだが、これは南参道ということである。正解の表参道については後述する。
境内社の山蔭神社(やまかげじんじゃ)。平安時代の公卿である藤原山蔭を祀る。料理・飲食の祖神と書かれている。そして、吉田神社の創建者でもある。
「お酒の神様として有名なのは松尾大社(大山咋神)ですが、料理の神様は誰でしょう」
という私の中での定番クイズがあったのだが、なんと、その答えと違っているのである。千葉県南房総市の千倉に高家神社(たかべじんじゃ)というのがあり、そこの由緒書に御祭神の磐鹿六鴈(いわかむつかり)が全国唯一の料理の神様というようなことが書かれているのだが、その後の神社巡りでも料理の神様を見たことがあったし(御祭神は忘れた)、料理の神様は何人かいるらしい。
当社では後でお菓子の神様も出てくるので、要チェックである。
斎場所大元宮(さいじょうしょだいげんぐう)と呼ばれるもの。「天神地祇八百万神(あまつかみ・くにつかみ・やおよろずのかみ)を祀る大元宮を中心に、周囲に伊勢二宮をはじめ、全国の延喜式内社三千百三十二座を奉祀する」とある。
全国のあらゆる神々を祀るため、当社に参拝すると全国の神社に参拝するのと同じ御神徳を受けられるという。
普段は中に入れないが、毎月1日など特別な日には中での参拝が可能とのこと。
菓祖神社(かそじんじゃ)。お菓子の神様を祀る。吉田神社は境内社がそれぞれ立派であり、菓祖神社には社号標と鳥居がある。
御祭神は田道間守命 (たじまもりのみこと)、林浄因命 (はやしじょういんのみこと)。
田道間守命は11代垂仁天皇の命を受け、「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」と呼ばれるもの(=橘の果実)を探す旅に出て、やっとのことで探し出して持ち帰るが、その時には垂仁天皇は亡くなっていた。
林浄因命は日本で初めて餡入りの饅頭を作ったとされる。
いよいよ本社へ。参拝者の多い神社ではゴールデンウィーク中の日中には絶対に撮れない写真である。参拝者はもちろんいるが、タイミングを待てば人がほぼ写らない写真を撮ることは可能である。
今写真をあらためて見直してみても、本物の神社の気が伝わってくるのである。二十二社は伊達ではないのである。説明は難しいのであるが、この鳥居をくぐった瑞垣内の雰囲気はほかのどの神社にも似ていない気がする。独特に感じる。
これは舞殿(神楽殿)に見えるかもしれないが、拝殿だそうである。「舞殿に見える拝殿」というのは京都にも見られるが、私の中では近江国で最も多く見られる形式である。
ほとんどの神社では本殿というのは周回路から横か奥に回りこまないと近づくことができない。あるいは本殿に参拝者が近づけないような構造にしている神社も多々ある。それに対して、参道中央に拝殿、その奥に本殿(あるいは門+本殿)を配置して本殿前で参拝できるようにしている形式が、ここで言っている近江+京都(山城国のみ?)の一部に見られる社殿配置の様式ということである。
しかし、山城国一宮である賀茂別雷神社ではこうなっていないし、私が参拝した時には楼門から先は閉鎖されていたので、根本的に思想が異なるように思われる。
伊勢神宮を始めとした「一般参拝者を本殿に近寄らせない」という思想と、この近江形式の「どうぞ本殿に近いところで参拝してください」という思想の違いが見て取れる。
本殿は春日造。そして、御祭神は春日大社からの勧請であるので同社と同じである。
春日大社の御祭神は以下の四柱。武甕槌命(タケミカヅチ)、経津主命(フツヌシ)、天児屋根命(アメノコヤネ)、比売神(ヒメガミ)。この場合の比売神とは天児屋根命の妻である。天美津玉照比売命(あめのみつたまてるひめのみこと)というらしい。
当社では経津主命のことを伊波比主命(いわいぬしのみこと)と言っているが同一神である。
摂社の神楽岡社。御祭神は大雷神(=天孫ニニギ)、大山祇神(オオヤマツミ)、高龗神(タカオカミノカミ)。
もう1つの摂社である若宮社。御祭神は本社の御祭神の天児屋根命(アメノコヤネ)の御子である天忍雲根命(アメノオシクモネ)。
神龍社。御祭神の吉田兼倶(よしだかねとも)は当社の室町時代の神職であり、吉田神道の創始者。
日本で祀られている龍神(龍神と神龍の違いはともかく)は、そのほとんどが高龗神を指すのだが、数少ない例外である。
以上で一通りかと思い、本社社殿に向かって左手の道から帰る。これが実は表参道であった。そして、まだ境内社があるのである。
末社の今宮社。先ほども書いたが、境内社が一々豪華である。鳥居があるだけでなく、本殿と分離した拝殿がある。
これが表参道。京大正門前バス停(京都市営バス/京都バス)近くの東山東一条交差点を東に進むのが表参道である。
この日参拝した主な神社は以下の通り。
基本情報や全ての画像を見たい方はこちらを参照していただきたい。