今回のお伊勢参りシリーズの最終回は、3日目の外宮早朝参拝の後に行った神社を紹介する。
まず、外宮を紹介したように自然な形で参拝すると、表参道鳥居から入って、北参道鳥居を出ることになる。ここからまっすぐ数分歩けば月夜見宮(つきよみのみや)である。
内宮の別宮である月讀宮(つきよみのみや)では、4つの社殿が並んでいたが、こちらの月夜見宮では単独の社殿である。そして、月讀宮では月讀荒御魂宮 (つきよみあらみたまのみや) とう別宮が隣に並んでいたのだが、こちらでは存在していない。荒御魂は祀られていないのだろうか。実は同一の社殿に祀られているとのことである。
個人的にはこの外宮別宮の月夜見宮の方が少し好きである。評価4.0+。
この境内にもう1社神宮125社があるので見逃さないように注意。社殿右手方向に行くと高河原神社(たかがわらじんじゃ)がある。
高河原神社は外宮の摂社、延喜式内社。
この後は前日に暑さのあまり諦めた五十鈴川周辺の神宮125社を徒歩で巡る。今回のお伊勢参りのテーマの1つにもあった内宮摂社第1位の朝熊神社にも参拝する。まずは電車で五十鈴川駅に移動。
五十鈴川駅から歩くこと15分。この奇妙な森の中に神宮125社のうち4社が存在している。
社殿としては2つ。手前にある社殿は大土御祖神社(おおつちみおやじんじゃ)・宇治乃奴鬼神社(うじのぬきじんじゃ)。大土御祖神社が内宮摂社であり延喜式内社、宇治乃奴鬼神社は同座する内宮末社である。
外宮の土宮の御祭神が大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)だったのを覚えているだろうか(覚えている訳ないだろうけど)。私はこの名称があまりにも似ているから、当然土宮の御祭神と同一だろうと思ったのである。しかし、三柱の別の神様が祀られているということのようである。土宮との直接的な関係を記述している情報は見つからなかった。
奥にも社殿があって、こちらは国津御祖神社(くにつみおやじんじゃ)・葦立弖神社(あしだてじんじゃ)。国津御祖神社が内宮摂社で延喜式内社、葦立弖神社が内宮末社。
神宮125社はどれも似ていて飽きてきただろうか。確かにそういう面もある。しかし、神宮125社巡りとはこういうものなのである。この中に喜びを見つけるのが神宮125社巡りなのである(?)。
よほど信心深いか、神社好きでないと神宮125社をまわれるはずがないのである。ともあれ、ここで神宮125社のうち4社に参拝。
これは先ほどの4社がある奇妙な森と一続きの至近距離にある村社の豫樟尾神社(くすおじんじゃ)。ここは神宮125社とは関係ないが、村社としてはまずまずの神社。
ここから五十鈴川の川沿いなどを30分ほど歩く。
鏡宮神社(かがみのみやじんじゃ)。内宮末社。五十鈴川のほとりに鎮座。もう朝熊神社は至近距離。
この橋をわたって朝熊神社へ。
2社が並んでいる。
奥が内宮第1位の摂社である朝熊神社(あさくまじんじゃ)。
手前が内宮第2位の摂社である朝熊御前神社(あさくまみまえじんじゃ)。
末社は摂社に同座することも多いのだが、摂社は基本的に社殿が用意される(摂社同士は同座しない)ということだろうか。
「そういえば内宮第1位の摂社にまだ参拝していないな」ということで今回参拝に訪れた。もちろん良い神社ではあるが、神宮摂社あるいは末社・所管社の中で抜きん出て何か凄さを感じるとかはない。そういったことと序列は全く関係がないと言ってよいと思う。
誤解の無いように一応評価を書いておくと、評価4.0。例えば、内宮近くの猿田彦神社や月讀宮と同じ評価だから、やはり良い神社だとは思っている。
最後にあと1社ここから近い神社を紹介して終わる。
田んぼの中の一角にまたしても奇妙な社叢。
加努弥神社(かぬみじんじゃ)。内宮末社である。
これで神宮125社の五十鈴川巡りは終了。この後、JR参宮線の五十鈴ヶ丘駅に出て帰った。さらに昼食後に伊勢市駅からレンタサイクルに乗って5社の神宮125社(場所としては2箇所)に参拝に行ったのだが、神宮125社が相互にあまりに似ていて充分飽きたと思うので省略する。あとは神社趣味人にのみ理解可能な世界である。
ちなみに、私は前回と今回の神宮参拝で125社のうち(たぶん)77社に参拝したことになる。残りは48社。場所の数としては20数箇所程度らしい。一宮の巡拝と同じで、自然な形で全て巡ることができたらとは思うけど、こればかりに固執しているわけではない。全て巡れれば良いし、巡れなくてもよい。
神宮125社巡りがどんなものかを紹介するという目的は果たしたのでこの辺で終わりたい。
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