(前回の続き)
前回は内宮の荒祭宮までを紹介したので、その続き。
荒祭宮の後は、通常、メインの参道に戻る。この辺りにも一般の参拝者がまず参拝しないであろう神宮125社のうち3社がある。
まず、またしても神社に見えないのだが、これが四至神(みやのめぐりのかみ)という内宮所管社である。なお、外宮にも四至神があり、こちらもわかりにくいので要注意である。社殿を持たないが神社であるので、ここでも参拝する。
ここも普通の参拝者はまず素通りするところで、私以外に参拝している人を見たことがない。そして、みんな素通りしていたのだが、私が写真を撮り始めると、「何かあるのかな」と人が集まってくる、そんな感じの神社である。
四至神の近くにも神宮125社が2社並んでいる。右の小さな建物が由貴御倉(ゆきのみくら)、左の大きな建物が御酒殿(みさかどの)、どちらも内宮所管社。もちろん、私はここでも参拝するが、やはり普通の参拝者はほぼ参拝していない。
普通の参拝者が素通りするような神社ばかりと思うかもしれない。ところが、次の風日祈宮(かざひのみのみや)は参拝者が次々とやってくる有名スポットである。
おそらく5年くらい前までは知る人ぞ知るパワースポットで、人が少なかった。私が前回参拝した3年前の時点では多少知られるようになって人が来るようになっていたのだが、今回の参拝時点ではもう荒祭宮と並んで参拝者が多い神社になったという印象。
風日祈宮は荒祭宮と同様に別宮である。橋を渡って行くのと、メインの参道から離れたところにあるので、知っていないと見落としてしまうので人が少なかったのだと思う。
ここからほとんどの人はまたメインの参道に戻ってしまうのであるが、私は橋を渡ったところで左方向に行く小径を歩く。この辺りが内宮境内で最も人が少ない場所という印象。しばらくこの小径の散策を楽しむと、瀧祭神(たきまつりのかみ)という内宮所管社がある。
ここは風日祈宮とは異なり、3年前のままだった。ほとんど参拝者が来ず、ひっそりとしている。日中のピーク時に人の多さに疲れたら、この辺りで神宮の場の気を感じたい。
この後メインの参道に戻って宇治橋周辺まで戻る。残りはあと2社。
宇治橋の反対側に子安神社(こやすじんじゃ)と大山祗神社(おおやまつみじんじゃ)。どちらも内宮所管社。
手前が子安神社。
奥が大山祗神社。
これで内宮境内にある神宮125社のうちの13社全てに参拝したことになる。
宇治橋を渡って内宮の参拝終了。所要時間は1時間30分ほど。並ばずに正宮に参拝できたり、長めの祈念ができたり、人が少ない写真が撮れたり、朝だから気持ちがよかったり、人が少ないから快適だったりといったあたりが、早朝参拝のメリットだろうか。
さて、この後は内宮と道を挟んで反対側の駐車場の奥の領域へ。ここには3つの社に7つの神社という構成で神宮125社がある。
中央に鎮座しており、一際輝いて見えるのが饗土橋姫神社(あえどはしひめじんじゃ)。宇治橋守護の神様。私はこの神社が好き。 静謐、荘厳、威厳。そして美しい。
右手方向にあるのが、津長神社(つながじんじゃ)・新川神社(にいかわじんじゃ)・石井神社(いわいじんじゃ)。
見ての通り1つの社に3つの神社。これを「同座」と呼ぶ。神宮125社の125は場所の数でもなければ、社の数でもない。神社の数なのだが、こうなると神社の定義が難しい。
津長神社は摂社。ほか2社は末社である。神宮125社における摂社は全て延喜式内社である。
反対の左手方向にあるのが、大水神社(おおみずじんじゃ)・川相神社(かわあいじんじゃ)・熊渕神社(くまぶちじんじゃ)。
こちらも1つの社に3つの神社。大水神社が摂社で、ほか2社は末社である。
この「内宮と道を挟んで反対側の駐車場の奥の領域」には合計7社あるので、内宮境内の13社と合わせて、内宮の参拝1回で神宮125社のうち20社に参拝したということになる。
今回の参拝で「早朝参拝」と「内宮境内の神宮125社の確認・参拝」という目標が達成された。あとやっていないことは何か。御祈祷と御垣内参拝(みかきうちさんぱい)である。御垣内参拝は通常は入れない御垣の中での参拝。一般参拝では拝殿より奥に立ち入ることができないが、御垣1つ中に入っての参拝になる。ただし、ハードルがそれなりに高く、伊勢神宮崇敬会に入会するなどして資格を得たうえで、礼服またはダークスーツ、ネクタイ着用、黒の革靴などの正装で臨まないといけない。近くに住んでいればよいが、旅行だとなかなか難しい面もある。
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