ここ数年、空前の神社ブーム、パワースポットブームである。神社巡りを趣味とする人が急増している。

 

私もその一人であり、私は2010年の秋から神社巡りをするようになった。この時期は本格的にスピリチュアルな世界に入って行った時期と一致している。当時、既にパワースポットという言葉はあったし、そういう参拝者もいた。神社への参拝者は増え始めていたのであるが、昨今の状況と比較すれば、やはりパワースポットブームの初期の頃であったと言うことができる。当時と同じ神社に行ってみても、参拝者は何倍かに増えた印象がある。

 

神社巡りを趣味とする人でも方向性は多様であり、「真剣な参拝者」「歴史好き」「神様・神話・古事記・日本書紀好き」「神道的知識の追求」「社殿等への興味」「パワースポットとしての神社」「旅行・散歩系」「御朱印集め」など様々である。私個人は真剣な参拝者であるとともに、気功的、エネルギー的、パワースポット的な見方をする。素晴らしい場の気に浸りに行く。「森林浴」の神社版のような。言ってみれば「高エネルギー浴」という感じだろうか。また、神に感謝し、神につながり、神と一体化するための場でもある。

 

現在では人数としては「パワースポットとしての神社」というカテゴリーが多いだろうか。私はそれはそれで全く構わないと思っている。日本人の場合、どんなに唯物論的な人であったとしても、「神社に絶対に行かない」などという人は少ないのではないだろうか。意識レベルを高めるには、まず「目に見えるものや物質が全てではない」というところから始める必要がある。これが意識レベル500の壁である。アインシュタインの意識レベルは499であったとされる。今ネットで調べてみたところ、ほかにもフロイト、ニュートン、デカルトは意識レベル499だったそうである。つまり、彼らは物質世界での意識レベルの頂点まで上り詰めたのであるが、スピリチュアルな世界に入るところまではいっていなかったということである。しかし、日本人はスピリチュアルに特に興味がなくても神社に行く。これがスピリチュアル(目に見えない世界)への橋渡しの役目をする場合があるのである。神道が宗教の一種であるとされる同時に、宗教的でないことが大きい。教祖もおらず、経典もない。良い意味でスピリチュアルに一番近い宗教、それが神道であり、神社の世界である。

 

今、有名神社やパワースポットに行くと本当にたくさんの人がいる。同類の人もいるけれども、ほとんどの人は普通の人である。神社の良さが再認識されている。素晴らしい場の気を感じる感性があるわけである。現代がアセンションの時代であり、今後人類の意識レベルが急速に引き上げられるであろうということの象徴的な出来事であるとも思う。

 

昔だったら、よほど親しくてお互いを理解している人以外に対してスピリチュアルな話をするなどタブーであった。しかし、今では神社の話をするのは全く問題がない。神社巡り旅行に行った先でワインバーに寄ったりすることが多いのだが(もう1つの趣味がワイン)、自分は旅行の人であるということを伝えると、どこに行きましたかという話になる。その時に、自分の趣味は神社巡りで今日は〇〇神社や△△神社に行ってきました、などと話が展開するわけである。もちろん、商売的にある程度話をあわせるということもあるけれども、今は本当に興味を持って話を聞く人も多い。初めて行った神戸三ノ宮のワインバーで5時間もマスターと神社(とワイン)の話をしてしまったこともある。

 

私は神社については、このブログとは別のサイトを運営しているので、最後に宣伝になるが紹介しておきたい。素晴らしい神社を見つけるために活用できると思うので、是非ご覧いただきたい。

 

現代神名帳