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第1話は室町時代までさかのぼりますが、やはり江戸城を築城し、今日でも
道灌山、道灌通り、道灌かがり(城の堀)等で親しみ深い太田道灌を取り上げてみました。

[ 第 1話 ]                                   
1. 山吹の花は咲けども
  江戸城を築いた太田道灌の逸話:鷹狩の途中急に雨に降られ蓑を借りようと近くの農家に立ち寄ったところ家の中から17歳ぐらいの娘が出てきて黄色く咲いた山吹の一枝を無言のまま差し出したのですが道灌はその意味がわからず不機嫌のまま館に帰りその話を家臣に話したところ、それは「七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)一つだに、なきぞ悲しき」という古歌にたとえ[家が貧しく蓑さえ持ち合わせがない]とゆかしく断ったのだと教えられる。武勇に優れた道灌でありましたが、百姓の娘は貧しくてもきちんと教養を身につけているのに反し、自分はなんと無学であったことかと恥じ以来大いに発奮し歌人としても名をはせたと語り伝えられています。(後世の作り話ではありますが文・武両道に優れた道灌を後々忘れないように逆説的に作ったものと思われます)
太田道灌の銅像は彫刻家朝倉文夫氏の代表作で東京国際フォーラムのガラスホール棟に鷹狩のいでたちで江戸城に向かった立像があります。
山吹の里  
この逸話に出てくる山吹の里は現在の早稲田周辺の山吹町から都電荒川線面影橋付近を指しているようです。
道灌は幼少のころから鎌倉五山で学問を研鑽し和歌や漢詩にも長じ五山の詩僧・文化人らと親しく交わっていたことから無学であったとはまったく反対のはなし。
寛正6年(1465年)に上洛した道灌は拝謁した室町幕府8代将軍足利義政から「武蔵野の風景はどのようなものか」と問われ、[わが庵(江戸城)は松原つづき海近く、富士の高嶺を軒端にぞ見る]の歌で応えたという。武勇に優れ声望もあった道灌でありましたが、あまりにも立派な江戸城を作ったことがかえって同族の嫉妬の原因となり謀反ありと疑われ主君である関東管領扇谷上杉定正に騙され酒宴の招きをうけ相模国粕屋(神奈川県伊勢原市)で風呂に入り終わったとき襲われ55歳の非業の死をとげました。
* これぞ道灌
室町幕府8代将軍足利義政は一匹の猿を飼っていました、この猿は見知らぬ人を見れば飛びつき引掻くという乱暴な猿でした。多くの武将が被害にあったのですが、将軍の手前我慢するしかありませんでした。あるとき道灌は主君上杉定正の名代として上洛し、義政のもとに伺候することになったのでありますが、義政や近臣達は猿が名高い道灌を引掻き、びっくりする姿を見ようと待ち構えていました。道灌が入ってくるやいなや、猿が飛びかかろうと身がまえたとき・・・道灌は、はったと猿をにらみつけました、すると猿は途端に縮こまり震えだし、道灌の様子をみつつ、何度もお辞儀をする始末。これをみた義政はじめ近臣はびっくりしたと同時に「さすが道灌」皆は感嘆しさらに一目おくようになったとのことです。
 実は、道灌はあらかじめいたずら猿の事を聞いており、このことを予想し、密かに猿の守役に賄賂を贈り猿を借り受け、殴りつけた後お辞儀をすれば胡桃をやるといった方法で、手なずけていたのであります。つまり、猿は道灌を見て怯え、胡桃が欲しくてお辞儀をしていたという訳です。後にこのことを知った人々は道灌の知恵に感心したのであります。(どこまでが本当かわかりませんがこれに近いことがあったものと思われます。)
* 歴史の奇遇
実は道灌と北条早雲は1432年同年の生まれです、早雲がまだ伊勢新九郎と名乗っていたときに道灌を訪ねて江戸城にやってきますが、城の堅固さと壮大さに度肝を抜かれこの人物とは戦っても勝ち目はないと悟ったようであります。道灌が悲運にも殺された後早雲はメキメキ頭角を現し後北条100年を築いたのはご存知のとおりです。(早雲は88まで生きました)
*当時の江戸は現在の日比谷公園から東京駅あたりまで一面の砂浜で利根川や荒川もここで東京湾に流れ込んでいましたが「江戸」の地名もこうした大河(江)の入り口(戸)からでているという説が一般的のようであります。
* 江戸前
もともと今の築地から鉄砲洲にかけてとれたウナギを指したようであります。有名な蒲焼屋が銀座周辺に集まったのはウナギの漁場がすぐそばにあったからでしょう、今は銀座界隈で鰻屋は少なくなりましたが銀座の竹葉亭は江戸末期の慶応2年に創業の老舗です。又江戸湾でとれた魚介類をねたにして鮨にしたものを江戸っ子は江戸前(江戸城の前の江戸湾)とよぶようになったと思われます。大分の城下カレイも同様に呼ばれています。

 * 江戸城

徳川家康は征夷大将軍に任命されると大規模な江戸城築城に取りかかり、駿河台付近の丘陵がけずりとられ武家屋敷になったのでありますが、この削り取られた土地で埋め立てられたのが、日本橋、京橋、銀座、日比谷などであります。駿河台に大久保彦左衛門屋敷跡があります。
 皇居東御苑(江戸城)は一般公開されており、大手門、平河門、北桔(きたはね)橋門(ばしもん)から入場できます。園内では天守閣跡、松の廊下跡、大奥跡等江戸の歴史にふれることができます、たまには江戸城内をぶらりといかがですか(江戸城は明暦の大火で本丸はじめかなりの部分が燃えてしまいました)
参考図書   小説太田道灌(著者:大栗丹後) 北条早雲(著者:中

村 晃)
         江戸東京物語( 新潮社編)
はやぶさのブログ

         江戸東京物語(著者:長谷章久)
         日本の歴史名場面100(著者:童門冬

東京で生まれて22年間東京住まいでしたが江戸の歴史や文化に大して興味を持っていませんでした。保険会社に入社し転勤を重ねるたびに地方の名所・旧跡を訪れることが楽しみになりました。定年13年前に東京勤務となり都内を歩く機会が増え、素通りしてしまいそうな場所も気をつけて見ると案内板や記念碑があり、説明に目を通しているうちに江戸の歴史・文化に興味を持つようになりました

最近は江戸の歴史や文化に多くの方が興味をもっていただいているようです。江戸検定まで多数受験するようになっており、小学校の生徒から90歳を超える老若男女が受験しています。かくゆう私も江戸検定3級に認定されております。又TVではぶらタモリ(NHK)は視聴率は高く大変好評のようです。

江戸ぶらり足袋は江戸の文化と歴史について気軽に書いたものですが、私どもが東京の町中で何気なく歩いている場所が江戸時代はこんな場所だったのかと想像しながら歩いてみると楽しいものです、そんな風に歩くと手元に江戸時代が広がっているようです。専門的な学術書といったものではありませんのでエピソード等も交ええ・・・えそうだったのか、面白いなと楽しんでいただけたら幸いです。

各テーマは自分自身の足で歩き、デジカメで撮った画像です。図書館通いもし、いろいろな方の文献も参考にさせていただきました。

どうど気軽にお読みください。