寝て起きたらふと昔に読んだ星の王子さまの事を考えたので勝手に書き殴ります。殴ったらスッキリしたのでこれで寝られます。おやすみなさい💤



「大切なものは目に見えない」
この代表的なフレーズに魅了された人々は多くいるはずだ。まず帽子の形をした黒塗りの絵が登場する。大人たちがこれをただの帽子の絵だと認識するのに対して、子どもたちはゾウを丸呑みしたヘビだと認識する。ここでの著者は大人を="つまらない存在"だとして指摘している。なぜなら大人は、視覚的に映り入る事象を、潜入感や経験則で決めつけていて、その事への疑問はもとより抱かないからだ。著者は、大人は大事な事を理解しているつもりでいるが、本質の部分は全く見えていないと指摘したいのだろうか。所有権、金、時間、名声、どの大人たちも自ら着飾ることや他人から認められる事ばかりを意識しているように感じ取れる。物語の途中で王子さまが旅をして出逢う惑星の大人たちは、みな自分の行いが正しいと信じて止まない。それは強い信念ではなく、まるで否定される事を恐れるような振る舞いをしているようにも思える。大人だからといって全てが強い生き物だという訳にはいかないのだ。

では、真の生きる強さとはなんだろうか。著者であるサン=テグジュペリは飛行機乗りとして生涯を終えた。当時の航空技術は非常に低度なもので、この課題は人類が己の能力を越えるための一つの壁だったに違いない。著者は「人間の土地」「夜間飛行」で生きる強さについて記述している。我々はついつい自分本位に物事を考えてしまいがちだ。天動説から地動説へ常識が移り変わったように、まだ我々の考え方が変わる余地というのは、この人類の長い進化の過程でたくさん有らねばならないと思う。

ここで星の王子さまのへ話を戻したい。
地球でのキツネと王子さまのやり取りについて、キツネが放った「なつく」、「責任がある」という言葉に私は最近気づいたことがある。
薔薇から猛烈なハラスメントをくらった王子さま
それでも王子さまが薔薇を思いやった時間、薔薇にも王子さまにもお互いの責任があるということ
人が出会った瞬間に相互に責任が生まれ、どのような状況においてもお互いに対する責任がキツネのいう「なれる」ことに繋がるのではないだろうか。ちょっも言語化むずかしいのお分かんない。星の王子さまは地球で無数の薔薇を見つけた。それまでは自分の星に咲く薔薇しか知らなくて、そんな薔薇に傷つけられたことを強く引きずっていた。地球の薔薇たちを見た時、王子さまはきっと「なぜあの時自分はたった一輪の薔薇でこんなに傷ついたのか。他にも薔薇は沢山あるではないか」と思うことだって出来ただろう。だけども王子さまにとっての薔薇はかけがえのないあの薔薇しかいなかった。「目に見えない大切なもの」大人たちが思う大切な体裁などではない、綺麗でおだやかな大切なものなん...あとは内容忘れた。からもういいや。