先生が、よく今まで、最後の一線を超えなかったねって言うけど
10代の時に一度、リストカット
20代に一度、毒物服用自殺
その事を、ブログには書けるのに先生には、口に出して言う事が出来なかった
一度目は、ためらい傷だから本気ではなかった
二度目は本気だったけど、発見され救急車
胃の洗浄ってきついぜー
本気の時は誰にも知られないように実行しようとするもの
そんなこんなで今まで、なんとか生きてきたけど
子供の存在が一番、その思いをとどまらせた
何故なら心音が、実の親に愛されなかった悲しみを知っているから
ひたすら5年前までは、病気の自分を自分の中に閉じ込めていた
ぽつりぽつりと症状は出てたかもしれないけど今のように、行動や言葉にして表すのはなかった
それが崩れたのは5年前
初めての過呼吸を思い出してみると完全に発狂してたねW
発狂のきっかけは
事業に失敗して数千万の借金
養父母の、財産を赤の他人に数千万持ってかれたのも大きな原因かも
もう自分を抑える事が出来なくなった
毎日のように、くる催促の電話
時折、自宅までくるチャイムの音に怯える
それまでは、支払い日に遅れる事など、出来ない性格できちきちやりくりしてたのが一度、崩れると
平気で、支払い遅らせたり、遅れる事も連絡できない人になっていった
事業を起こすときも、サラリーマンは捨てられないけど、出来るかぎりの協力はするよと言ってくれてた旦那が、いざ失敗すると
【詰めが甘いんだよ!やっぱり事業を始めるべきじゃなかったんじゃないの?】
支払い催促とともに旦那まで私を追い立てるようになった
一番、近くにいる人まで
事業を起こした事のない君に、詰めが甘いとか、言われる筋合いないよ
この事業も、下請けの納品倒れだったり
その下請けを心音に紹介したのは旦那
旦那に紹介された他の業者も、申し訳ないけど、ぼったくり
それで最悪な状態になったら、俺は知らないよ
って、
この5年、支払いに追われて追われて
そういうのもあり、元から持っていたメンタルの弱さが、不安障害とか
合併症ともいうべき病気を引き起こした
あのときに
妊娠し、お腹の大きな大変なときに、会社に泊まり込んで一人で業務していた努力
従業員の給料だけは、愛車まで売って払った
結果は、こうなったけど君の頑張りは一番、僕が知っているよ
何故、これくらいの言葉もかけられない?
辛いときも一緒に涙を流そう
楽しいときは一緒に笑おう
やってくる試練も一緒に乗り越えよう
夫婦なら、それくらいの強い決心をしてほしかった
5年
この間に病気は深刻なものになっていった
心音は、事業の失敗は、旦那に責められる前に、とっくに自分が悪い、自分のやり方が悪かったと自分で自分を責めているよ
一番辛いのは、思うようにならなかった心音だよ
失敗するために事業を起こすわけないでしょ
自立したかった
自立して、子供達に不憫な思いをさせたくなかった
大好きだった車、一戸建ての家
すべて失った
もう充分に償っているつもり
これ以上、心音の事を責めないでほしい
が、毎日顔を合わせる
どうしたって、5年前の悲しみが続く
でも今ここで逃げずに、この状況を乗り越えた後には、きっと重たい服を脱ぐときがくると信じて頑張っている