夕方、テラス側のサッシを開けると、そこには野良猫のテツがいた。テツは空っぽになったエサ皿の前で、こちらをじっと見ていた。

こちらは条件反射のように部屋に戻り、キャットフードの入った容器を持って来、そのエサ皿に猫ごはんを注ぎ入れた。

それは、からからと音を立てながら、じっと凝視するテツの目の前に溜まっていった。

食べるところを間近で見られるのも気が散るだろうというこちらの勝手な配慮をよそに、テツはボソボソと食べ始めた。

実はこのすぐ前に、玄関でテツに缶詰の猫エサを与えたばかりだった。そういうこともあり、今回はそれほどがっついて食べるという風ではなく、どちらかというと、ゆっくりとした調子で食べているのだった。

後で見てみると、完食ではなく、かなりのエサが皿の中に残されていた。
そうして、手洗い鉢の端っこにひょいと飛び乗り、そこから中に溜まっている水を飲み始めた。

その後はまた雄猫特有の日々の巡回に出掛けていったようだ。

このように猫とこちらのタイミングが合うときがあり、そうでないときもあり、それぞれがそういう縁といえば縁なのかと後付けのように解釈したりする。

しかし、事実は解釈よりも一歩手前にいつもあるのだ。
そこには言葉もイメージも、知性もまだ現れてはいないのだ。