今回は「とても」の語源をご紹介します。

 

この言葉は「物事の程度が甚だしいこと」を表現するときに使われます。

「日本の言葉」(新村出著)によれば、この意味で広く使われるようになったのは大正時代からのようで、この本ではその語源は分からなかったようで、「どこらの土語から伝わつて流行しはじめたものか」などと書かれています。

しかしながら、「とても」は良好な簡潔な言葉としてつくられたものであり、その語源はそんなに難しいものとは思われません。例えば、「とても美味しい」とか「とても面白い」などは上品な表現の文句といえます。

 

一音節読みで、都は都会のトとも聴きなせるように読み、副詞では「まったく、完全に、すっかり、非常に」などの意味で使われます。

頂はティンと読み「頂上、頂点、絶頂」などの熟語で使われており、漢語辞典によれば、副詞では「非常に」の意味があるとされています。

猛はモンと読み「猛烈、猛然、猛威」などの熟語で使われており、副詞では「猛烈に、非常に」などの意味があります。

つまり、都、頂、猛の三字は、副詞で使うときは、物事の程度が甚だしいことを表現するときに使われるもので、英語でいえば「very」の意味で使われます。

トテモは、この三字を重ねた「都頂猛(トウ・ティン・モン」の多少の訛り読みであり直訳すると「非常に」の意味になり、これがこの言葉の語源です。

 

最近では「とても、非常に、著しく」などの意味で「むちゃくちゃ旨い」とか「むちゃくちゃ好き」などと使われていますが、その語源ということになると、インターネットなどで現在主張されているものでは適当と思われるものはないようです。

筆者は、本年七月頃に、私たちの周囲にある自然物名や現象名について自然物象名の語源」という本を刊行する予定ですが、そこで自然物象名の他に付録で百語程度の言葉の語源を示しますがその一つとして「むちゃくちゃ」の語源についても書きたいと思っています。

 

「とても」という言葉について補足しますと、この音声の言葉は単独言葉ではありませんが古くから存在するとされており、平安時代の源氏物語(薄雲)に「わが身はとてもかくても同じこと」、同(浮舟)に「とてもかくてもわが怠りにてはもてそこなはじ」と書かれています。しかしながら、単独の「とても」ではないことと「とてもかくても」の意味が分らないのでここでは論評しません。

鎌倉時代の平家物語(行隆の沙汰)に「とてものがれざらんものゆえに」、源平盛衰記に「源氏 くが(陸)に みちみちたり。とてものがれ給ふべき御身ならず」、太平記に「とても勝つべき軍(いくさ)ならずと、一筋に皆思ひ切つたりければ」と、すべて否定形の文章で使われています。この場合の語源は、漢語から導入した「到底」という漢字熟語に、強調の助詞の「も」が付いた副詞語の「到底も(とうていも)」の多少の訛り読みのことであり、強調の助詞の「も」を省いた「到底(とうてい)」とも使われ直訳すると「底に到るまで」ですが、表現を変えていうと「結局、結局のところ、所詮(しょせん)、畢竟(ひっきょう)、つまるところ」などの意味で、例えば「とてもできない」や「到底できない」などと否定形の文章で使われます。

 

室町時代初期の十九番目の勅撰和歌集である新拾遺和歌集に「とてもかく仮の世ならば仮にだになど亡き人のかへらざるらん」と詠まれているとされますが、「とてもかく」は単独言葉なのか二字言葉なのか分らないことと「とてもかく」の意味が分らないのでここでは論評しません。

 

結局のところ、現在では、「とても」は、語源上、上述した「都頂猛」と「到底も」の二つの意味で使われており、後者の「到底も」の場合は否定文において使われます。両者は、意味が変遷したのではなく、そもそもから語源とその意味が異なる「同音異義語」としてつくられた言葉だということです。

 

 

最後までお読み頂いて有難うございました。(E.M)