台風12号が、奈良県南部、和歌山などの山間部を襲った、知り合いもいてる憧れの村、十津川村が完全孤立状態であるというのをニュースで知る。
気になっていたものの、どうしていいかわからず、それにニュースでも情報が不明瞭なので。
僕は、朝4時から奈良県南部の十津川村を目指して原チャにまたがった。
正直、前調べの段階であらゆる奈良県南部、和歌山県北部の山道が土砂崩れによって通行止めになっているのを知っていたので、目的のこうくんの知り合いで、僕も何度かお世話になっている十津川村の奥深くに位置する家族のところまでたどり着けるとは考えていなかったけども
仕事が今日だけ休みってのもあって、じっとしていられずに走って行った
奈良県南部に位置する五條市の川は今だミルクティー色で、下流の方にもタイヤや流木が散乱していた。
さらに奥168線ぞいに山に入っていく
いつも休憩場所に使う「星の広場」で通行止めに出会う。
まだあきらめない、少し手前に戻って富貴というところを通って、大塔村を目指す(十津川村の手前の村)途中、細い林道のようなところを通って、かるい土砂崩れはたくさんあって、砂利を乗り越えてゆく
なんとか、星の広場での通行止めの奥の方の道に出ることができて、そのまま168に戻って奥に進む。
大塔村までの道も途中、行政が整地したのであろう小規模な土砂崩れに多数出会うも、特に難なく、大塔村周辺にたどり着く。
一面に広がる熊野川は、増水のせいで、パンパンのダムのような姿をして、不気味な静寂の中にあらわれた。
その張り詰めた静寂の具合が、東北の壊滅状態の女川町に訪れた時と似ていることを思い出す
無意識の中で歯をぐっとかみしめていて、後頭部にぴしぴしと緊張の電気が走るのを感じる。
土砂にうもれた歩行者用の橋
、怒っているかのように水をほとばしらせる滝。
僕は、正直、ここに来た理由の中に利己的なものが存在するのを認める
山の中で山と共に暮らす人々、山を祈るように生きる人々の身に何が起こったのか?山は人々になにをしたのか?
なにを伝えようとしているのか?
十津川村の人々の慎ましい生き方、に魅了されていた、その人々と山の間になにが起こっているんだろう。
僕には愛がない、足りていない。
僕は人を心配するという能力が欠如している、「気になる」ぐらいで感情は停止してしまう。
どうしても、どうしても、十津川村の安否の確認の裏腹に、未知への好奇心が隠せない
心配している人の行動を真似れば、心配できるといった思い込みがこんなことをさせているのかもしれない
そんなことを考えてる場合じゃないのに、考えてしまう。
猿谷ダムに到着する。
あたり一面の材木、流木、生活道具などのゴミが浮かび、それでいて不気味に静かだ。放水を続けているものの、水位は相変わらず高い。
そこから少し行ったところで、初めての大規模な土砂崩れに出会う、本格的な通行止めにひっかかる、それでも生きている道もあるらしく、まれに通る地元の人は通してもらったりしている。
そのまま、僕も知り合いがいるのでといって、通してもらおうとしたら、役所の若い職員がどおしても通してくれない、「親戚の方だけだ」とがんとして譲らない、熱くなってしまいしまいに激しく口論をしてしまう。
土砂崩れでダメならわかる、けども、どうしてその手前で、人間関係で、、
どうしてもあきらめ切れない、ここで帰れば絶対に後悔する。
猿谷ダムまで戻って、頭を冷やすべく、昼寝をする
頭は再びややこしい、ここに来てこの災害時に、またしても人間に邪魔される。こちらの安全を考慮して、邪魔されるんだ、じゃあどうして親戚は?、、、
どうしても飲み込めない考えに頭を悩ませているうちにしばらく眠ってしまう。
目が覚めて、頭も冷めた。
間違ってるかもしれないけれど、要はこちらの覚悟なんだと思い。
離れたところから、アクセルをひねり上げて、前をまっすぐ見据えて関門と役所の職員を一切無視して突っ込む。
思いがけず、楽々と通り抜ける、あれほど邪魔だった障害がもう背景になってる。
そのままさらに奥に向かう。
本当に十津川の家族に会えるかもしれない、と期待が胸に広がる。
ほどなくして、大規模な土砂崩れに出会う、一つため息。
対岸から同一方向に向かう、大木がひっくり返り、電信柱が木々に押し倒され、垂れ下がる電線をかわしながら、進む、道路が半分欠落している。
ど真ん中に巨大な穴。
その奥で再び土砂、進めない。
次に対岸の山道を通る、大木をかがんで進む、自衛隊の立ち入り禁止のコーン、そこにいた自衛隊のおっちゃんがすごく優しくて、「行けるかわからへんで?」といいながらも通してくれる
電線をまたいだ際に、原付きの底になにかが引っかかる、原付きから、チューペットの先のような部分が転がって出てくる、エンジンオイルが垂れ流される、あせってチューペットの先をもう一度くっつける。よし
急勾配な山を登る、どの道も行き止まりで、一本、山の頂上へと向かう道を発見する、頂上に、神々しく輝く鳥居が見えてる、そこに天空にぽっかりと突き出た頂上に忘れ去られたような神社と出会う。
嵐の被害で、激しくいたんで、杉の木などが散乱している、近隣の住民たちは誰一人いない
後ろに続く道はない、神社から、谷を見下ろす、山が半分ほども、欠落した土砂崩れが、前方に三つぐらいはみて取れる、その第一番目のところで、自衛隊と行政は行き詰まっていて突破しようとこころみている。
ここは、大塔村、坂本。
十津川村の手前25キロ地点、ここから山は厳しくなる、それに前に見える渓谷を見ると、奥に行くほど大規模の土砂崩れが起こっているのは必定だ。
スパンと集中の糸が切れるのを感じた。
天空に忘れ去られた神社から、呆然と渓谷を眺める。
十津川の家族が目に浮かぶ、十津川村の人々はどうなっているんだろう。
山で何が起こっているんだろう。
地球で何が起こっているんだろう。
道が通るには、一ヶ月ほどもかかるかもしれないと現場の人が言っていた。
もし無事なら、救助はなんとか自衛隊がしてくれる可能性は高い。けども、ここでの生活は、どうなっていくんだろう。
120年ほど前にも、十津川村は水害に襲われたことがあるらしい、そして十津川村に住む半数の人々が、なんと北海道にまで流れ入植し、「新十津川」としてやってきているそうだ。
大塔村の被害も多く、山の中腹で出会ったおばあちゃん二人と話た、片方のおばあちゃんがやっていた床屋と、介護施設が完全に土砂にうもれてしまったらしい。
なんとも、やり切れない思いがする
僕はあくまでも部外者で、さらに野次馬かもしれない。僕が何を考えれる?
東北とはまた違う、感覚に悩まされる。
精神的すぎる話だけれど、その忘れられた神社で、手を合わせている時に、明らかにたくさんの何がしかを感じた。
空っぽの神社の、すたれた境内の閉じた扉に向かって胸の中で毒ずいた。
その扉から出てきて、なんとかしてよ!
そう思ったあたりで、空気の密度が変わったようにそう感じた。それを今でも皮膚で覚えてる。でも理解はできていない
境内には、新しく替えたばかりの「サカキ」が置かれていて、その他、留守の各家の墓地の花も、新しいものばかりだった。
お寺の鐘はきれいに磨かれていて、お地蔵さんのおそなえものは新しかった
けども、その内容たりえる人々が一切消えていた、崩れた山と、ミルクティーの溜まったダムがそこにあるだけだ。
下に見下ろす道路には、カメラをかかげた部外者たちや、特殊な格好をした人たちがせわしく動いている。
でも後ろの境内の狛犬は相変わらず、空に向かって吠えていて。。。
むしょうに疲れてしまって、なんとか168から、24号線まで戻った。
途中、水がチョロチョロと出る岩場で、足の不自由なおばあさんが、水をペットボトルにくんでくれて、飲んだ、雨の後の味がする水だけど、少し癒された。
なんとか、帰ってきたけども、むしょうに疲れてしまったような気がする。
会えなかったというのもあるけれど、
何か、たくさんの山やお地蔵さんや神社や杉の木やダムや、そこに飛ぶトンボや、、行き交う人々の多すぎる感情に当てられたような気がして、、
そういう疲れだ。
「奈良」でこういうことが起こっているということを知っているだろうか?
同県で、大規模な自然災害や、知りもしなかった差別や深すぎる森や、強引なダムの深刻すぎる問題が、ほんとうにたくさんひしめいている。
言うのも恥ずかしいけれど、僕は学園前出身だ。
泥まみれの長靴で学園前まで帰ってくると、駅前にはベンツやBMWが止まっていて、みんな笑ってた。
僕は今回の土砂災害は、人災だと思ってる。
言うなれば、学園前と十津川の温度差が生み出した災害だ。
学園前を涼しくするためのエアコンの室外機が、直接十津川村に向けられていて、学園前の水道の水を、猿谷のダムに貯める。学園前には悪いけど僕のイメージはそんな感じだ。加えるけど、もちろん僕だって学園前が好きだ(大渕公園がなくならない限りは)
金持ちは言う、「生活の向上を」けども、その生活は何の上に立つのか、理解せずに、お金や権利で解決しようとしているうちは、自然のバランスは崩れ続けると思う。
俺たちだって、地球という同じ合理性を持った土の上に生える木々のはずだ。
人が狂ってるから、山が狂う。
そうとしか思えない。
なんとか今日をまとめればそんな感じだ。神社で感じた皮膚感覚を忘れずに明日からも生きよう。
十津川の人たちのことはしっかりと心の糸で結びつけておかなくてはいけないと思った。もちろん大塔村も。以上
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