右手の怪我によってお父さんに日常の暴力や、暴言などの

数々のことが明るみに出て・・・。

 

話が少し戻ります。

↓↓

ママハハの実家が岐阜県にあり、妹が産まれてから毎年冬休みに

岐阜の実家へ帰省します。行きは特急電車でいき、帰りはお父さんが迎えに

きます。新年の挨拶もかねて・・・。

それがまた地獄です。

お父さんのいない遠い土地・・・2日間でもずっと閉じ込められて

トイレに行きたくても行かせてもらえずその場でしてしまうことも多々あって

その押入れというか、物置部屋は畳だと二畳あるかないかの広さに

荷物が積まれていて

おばあちゃんは耳が聞こえないから何してもわからない・・・。こんなつらい思いは

お父さんが車で迎えに来る日まで待てばいいって、ただただ耐えるばかりの日が続き

身体のあざ、顔の傷、腕の傷・・・・・見せれないけどきっと聞かれるんだろう。

でも私は転んだと言わないと・・・・

 

この岐阜県での過ごす冬休みは辛すぎた。

 

↑↑

 

本題の明るみに出た話に戻ります。

お父さんの兄弟4家族、ママハハの兄弟2家族がおじいちゃんの家に集まり

話し合いが始まりました。

私や従兄弟や妹Mたちははなれに移動させられ

子供たちの中では大丈夫?大丈夫じゃないよね?って泣き出すこともあり・・・

 

この時はまだ本当の母親じゃないという実感がわかず

また帰ったらおこられる。。。。。。という恐怖しかなかった。

話し合いは夜中まで続き、私はしばらくおじいちゃんのとこにいなさいと言われ

学校も休んだ。おばあちゃんが電話してた。

 

そのあとおじいちゃんとおばあちゃんと、おじちゃんに呼ばれて全部噓なく話しなさいって

言われたけど初めは言えなかった。

またいずれ帰った時にこの思いをしなきゃいけないから言えなかった。

おじちゃんが、いいから言いなさいって私の見方だからといつも無口なおじちゃんが

言ってきたから

もうしゃべってもいいのかな?助けてくれるかな?という気持ちで全部しゃべった。

 

そしたら、おじいちゃんたちが、ここから学校に通う?転校するかい?

お父さんとは月に一度会えるからって。

私は、転校はいいけどお父さんに月に一回しか会えないのはいやだって

泣いた。

 

そこで、3人から本当の母親じゃないんだから戻らなくていい。

戻ってもまた同じことされるっていわれた。

 

その夜、久しぶりにお父さんが私に会いにきてくれた。

 

抜糸したばかりのあたしの右手を見て泣いてた。

お父さんを悲しませてしまったと

小さいながらにごめんなさいと謝ったら、なんで、早く言わないんだ!って

なんで謝るんだ!ってお前はなにを・・・・・ってそのままおじいちゃんたちの部屋に行って

話してた。

それから少ししたら、お父さんが

そんなにみんなのいる家が嫌いか?って聞かれて、嫌いじゃないけど・・・・

私もそこでなんでお父さん帰ってこないの?と聞けばよかったんだけど

それはきっと今だからわかるだけでその時はただただもう同じことをされたくない

しか考えられずただ、お父さんと一緒にいたいしかなかったんだと思う。

 

そして家に帰ることになりました。続

 

小学3年生 6月の梅雨の出来事。

下校時間が遅くなり・・・・

 

案の定ママハハは玄関で待機。

 

とその前に書き忘れてる。

 

私は、家に帰りお父さんがいないと玄関で寝たり起きたりご飯食べたりしてました。

玄関入るとタイルがあり左に階段があり、階段下は収納になっています。

よくそこに閉じ込められてました。一通り殴られた後・・・。

で、玄関にてママハハは待機していて

 

【ここからは書いてる私でもこわばるから、内容的に無理ならページ移動おすすめします。】

帰りが遅い私に理由も聞かず

顔の往復ビンタ、蹴る、殴る、馬乗りになってお腹をグーパン、馬乗りになって首元に

包丁

この日は今までになく尋常ではなかった。私も殺されると途中で思い

『お母さんやめてー!』と、泣き叫び、近所に聞こえるように叫び続けた。

そんな時にピンポーンとインターホンが鳴り

全身裸にされてた私が玄関にいたら出れない。

妹Mが泣いている。居留守は使えない。多分この状況をどうにかしたかったんだと思う。

私の髪の毛をつかみあげてお風呂場へ連れて行った。

その時は私も助けてほしかった。誰でもよかった。大声を出して泣き叫んだ。

家中、私と妹Mの鳴き声で近所は何かがあると察したと思う。

私はそれでも叫び続け、お風呂場の引き戸のサッシに私は手を置いた。

これで無理矢理閉めたら私は手首から下を片方なくすんだと思ったけど

そんなことどうでもよくて叫び泣き続けた。

ママハハはそれでも、だまれ!!!と言いながら私の手がサッシにあることを知りながら

閉めた。思いっきり。

 

私は痛みと、出血でお風呂場で失神していたんだと思う。

きずいたとき、ママハハは楽しそうに玄関で話している声がした。

誰かは覚えていない。

 

私の右手は挟まれたまま

左手でドアノブを叫びながらずらした。

今書いていても思い出してこわばるよね。

皮と肉がえぐれて・・・・殺されてしまうから・・・・

バス停まで黄色いカッパだけを着て

ママハハの目を盗み意識もうろうとしながらバス停へ・・・・・

 

お父さんの一番上のお兄さん宅に逃げようとおもったんだろうか

それともおじいちゃんの家に行こうとしたのか・・・・

 

もちろんバスに乗るお金はない。靴もはいてない。血が止まらない。

一部分の皮と肉は家に置いてきた。

 

きずいたらバスで寝てしまった。

このまま死ぬんだっておもった。痛みで意識が飛んでいて・・・・・

 

気が付いたらおばあちゃんがいた。

 

おじいちゃんの家にいた。

 

裏にある外科におばあちゃんが電話してた。切ったら連れていかれた。

覚えてるのは麻酔もしないで手術した。縫った。7針。

 

それ以上の痛みはもう覚えてないくらい小学校3年生の経験する痛みではないことだけは

確か。

これがきっかけになり

日常の暴力がすべてばれます。

 

私が小学校3年生の頃

とんでもないことが起きました。

その時に私は全てを聞くことになります。

 

小学校3年生の6月。。。。

長野は紫陽花がきれいに咲き、じめじめした空気・・・梅雨です。

 

テストがあってね?前回までの話+でいうと、勉強する時間なんかなかった。

でも学校に行くことは楽しかった。ただなんも食べてないからお腹が空いて仕方なく

早く給食にならないかなぁ~とぼーってとしてしまう。

テスト点数は100点満点中10点とか5点とか・・・・

そんなある日、雨が降ってる日に居残りがあった。もちろん点数が悪いから。授業中

寝てしまうから・・・・。

帰りは5時15分の音楽が流れてから道草しながら帰った。

怒られるのわかってたし、妹Mのお世話が大変だし、家のこともしないといけないし

妊娠していたから、今回は具合悪い悪いって言いながら私をすごい勢いで殴るから・・・。

だから帰りたくなかった。出来ることなら。

家の前に信号があって農道と県道の交差点。事故が多いことから派出所があった。

そこで、学校のことを話してから家に帰る毎日。

 

この日のことは今でも忘れられない事件。

 

きっと一生、忘れられない・・・・。

 

実際、この年になっても鮮明に覚えてる光景・・・・・。

 

長くなるから次に回します。

 

保育園は卒園し、新たな場所で新たに

新入生。

 

小学生になりました。

妹Mもよちよち歩きの・・・・。

学校までは歩きで20分くらい。道草しながら・・・・。

さぁ、新しいお家の生活にワクワクしてた。

 

初めての新年会の話。

 

家を買ってから、毎年恒例のお正月は親戚やいとこたちがあつまり

温泉で賑やかに過ごします。日帰りなんですが・・・・。

日頃会えない、いとこたちと仲よく遊ぶ。

大人たちは笑いながら宴会してる。

大きい子が小さい子の面倒を見る。

 

楽しみの正月。

宴会が終わるとおじいちゃんおばあちゃんを見送ってから

家に帰る。

毎年おばあちゃんから言われる言葉。

『いい子にしないと帰るお家がなくなるからね』

『お姉ちゃんなんだから言うこと聞きなさいよ』

この2個は必ず毎年言われていた言葉。

なんで、あたしだけ言われるんだろう?と幼いながらに思ってた。

私はいい子にしてるよ?

ママハハからの叩かれるのちゃんと我慢してるよ?

っておばあちゃんに言いたかった。毎年。。。。

帰るのは大体20時前後。

お父さんは兄弟とスナックへ・・・。

子供たちは家に置かれる。

他の母たちはスナックに行けるけど

うちは小さい子供がいるからいけなかったみたい。

それが気に入らなかったのか

荷物を家の中に入れて洗うものなど分けて、出かける前にできなかったことを

する。例えば洗い物など。

そこで2階から大きな声で名前を呼ばれる。

はい!待ってください。

と返事をする。なぜか私は敬語になっている生活だった。

2階へ上がると階段のとこで

『何分待たせるんだよ!お湯もってこいって言ったよね?』

ごめんなさ・・・・

思いっきり顔を叩かれ両方の頬を往復ピンタされ

階段から落ちそうになると

お腹を足で蹴られて私は階段の途中にある曲がり角まで転がる。

顔は腫れて、治りかけてた腕の擦り傷もまた増える。

耳からも血が出て、鼻血も出る。

階段は私の血で汚れた。それを見てママハハはニヤニヤして

『おぃ!笑え!笑いながら雑巾とバケツ持ってこい!返事しろよ!』

はい・・・・・。としか言えなくなり、足を引きずりながら手すりに身体を押し当てながら

私は泣きながら拭く。耳からも鼻からも血が止まることなく垂れるたびに

頭を叩かれ・・・・

頭も痛い。全身痛い。死にたいと小学校1年生の私は思い始めた。

お父さんから迎えに来てと連絡が入り、お父さんに言ったら殺すからな!と

言われ、部屋から一歩も出るな。トイレも行くな!

まだ血が止まってないのに自分の部屋に戻り布団に息を殺しながら入ると

私は寝てしまう。かすかにお父さんの匂いがするなぁって思ってふと目を開けると

お父さんが隣で私のおでこに唇当てて

ぎゅーってしてくれて寝てる。

これが本当の幸せな瞬間・・・。私の枕元にティッシュが置いてあって

鼻に詰めてあった。多分お父さんがしてくれたんだな・・・・。

 

朝起きたらお父さんがいない。

1階にいた。おはよう・・・・って行くと

『〇〇?昨日階段から落ちたんだって?大丈夫か?なんで落ちたんだ?』

その隣にいるママハハの顔がすごく怖くて

お父さんごめんなさい。足滑ってね、顔面から落ちちゃった。

と答えた。

お父さんは笑いながら、足短いからなぁ~お父さんに似て^^気をつけろよー。

今日は寝てろよー。と言いながら仕事に行った。

仕事に行った後はまた始まった暴力。

それでもやらないといけない妹Mのお世話。洗濯、お風呂掃除、台所。

やりながら後ろから竹刀で叩かれる私の足。

小学生の私には耐えることしかできない。

お母さんだから。。。。

 

 

 

前回からの続き。

 

そんなことの日々から逃げることもできず

私は本当の母親という認識があったから・・・

 

保育園に行くことは楽しみで・・・

毎朝、お父さんを見送る

 

その後ろでママハハが余計なことを言ったら許さないって

 

家に入れない、犬にも触らせない

保育園にいかせない

 

それにしばらく母親との関係なくて

お母さんという存在がどんなことをされても

欲しかった。

だから、言われたことは全部受け止め行動してた。

 

保育園卒業の時

 

妹が産まれた。

Mっていう名前にします。

 

Mが産まれた時

一番辛かったのは

犬になんもあげちゃいけない。

水もご飯も。

触ったら

お父さんが帰ってくるまでは

家に入れてくれない。

洋服も着てはいけない。

保育園でこういうことがあったと

うその報告をお父さんにしなきゃいけない。

卒園まじかに・・・・・

 

お父さんが一軒家を建てました。

 

卒園と同時に

入学に合わせてか

 

引っ越しました。

 

新しい家。

私の部屋。

気になるのは・・・・・・押入れの上にある

 

南京錠のかかった箱。

 

でも私の部屋ができたから

叩かれなくて済む。

 

あの頃の私の思いは

 

どうか、家から出されませんように。。。。

お父さんが毎日帰ってきますように・・・。

叩かれたくないから

神様お願いします。

 

これしか思ってなかった。

 

お父さんと一緒にお風呂入りたいけど

背中に傷があるから

二の腕も出したいけど

治るまで我慢。

でも治るころにはまた新しい傷ができるから

しばらくお風呂は我慢する。

 

そんな時にも

私には逃げるという考えはなく

考えることもできず

やられるがままに・・・・・従わないと・・・・・

『お母さん?今日は殴らないでね??』

と心の中で思いながら

寝てるママハハに毛布を掛けてあげる。

 

それに気が付いて起きた時には

お母さんは

寝てるのを邪魔したといいながら

私を叩く。

私が泣くと

産まれたばかりの妹Mが泣く

 

そしてミルクを飲ませながら

 

竹刀で叩く。

 

次は小学生に進みます。

産まれた時のことは全ページで書いたよね^^

 

私の両親は3歳のころ離婚しました。

それがなぜ別れたのか?

お互い違うことを言ってます。

 

ただ、ここからが始まりです。

 

私は父親に引き取られ、実家のある『長野県』へ移住することになります。

 

記憶にある景色は

おじいちゃんの家。

私のお父さんは車やバイクが好きな人で

ヤンチャなひとでした。

 

そんなお父さんが

ある日、一人の女の人を連れてきました。

 

当時、私とお父さんは、実家のおじいちゃん宅で暮らしていました。

その女の人こそが

これから話に出る義理の母です。

 

『はじめまして^^〇〇ちゃん。これからお母さんって呼んでね♡』

この言葉は4歳の私にはあまり理解できていなくて

お母さんという言葉の嬉しさだけだった記憶はある。

 

そして二回目にあった時には

もう再婚していたんだとおもいます。

なぜならば・・・・

指輪をしてなかったのにしていたから・・・・。

 

そして松本城へ

 

おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、私、その女の人で

写真撮りに行き

暮らしていたおじいちゃんの家をでて

平屋の市営住宅みたいなとこへ

引っ越しました。

 

お腹には赤ちゃんがいた。

 

私は保育園生。

 

初めての殴られたのは・・・・

ママハハが連れてきた柴犬が朝、やたらと吠えてて

なんでかな?と・・・

動物が大好きな私は自分の残してしまったご飯をそのワンコにあげた。

 

しばらく食べてなかったのか、水もなかったから

水道の水あげたの。

それを一部始終みていたママハハはいきなり私の胸倉をつかみあげて

『そんなに私が作ったものが食べたくないなら食うな!!』

と言いながら

多分30分くらい

わたしをフルボッコにしてきた。

 

初めての暴力?怒られた?

あの頃の私にはいけないことがなんなのかさえ分からず

正座をさせられて足の裏に画鋲で刺されて・・・・・・

 

でもお母さんだから、私が悪いことをしたから・・・

私がいけないから・・・・・・

 

今思えば、あの日、お父さんが仕事休みだったらな・・・・

 

続・・・・・。

ニコニコKIRAの誕生ニコニコ

 

昭和55年

 

私は東京にて産まれました。

 

父24歳

母21歳

 

両親いわく、かなり望まれて生まれてきた子供だそうです^^

 

これだけ見たら幸せよね~。

 

うん。私もそう思う。

 

ただ、これが始まりだとすると・・・・

 

ここから先の話は

すべて真実であり

 

こーゆーのをきっと

 

ノンフィクションというんだと思う。

 

絵文字とかがんばって使うようにしないとね^^

 

 

 

 

SNS初心者のKIRAです(*- -)(*_ _)

 

最近はコロナだとか色々とみなさんも大変な生活を

されていると思います。。。。

 

私もその一人ではいますが・・・・

 

さて、『ブログ』というものに

手を付けようとしているわたしですが・・・

 

今までに会ったひと

例えば職場の上司、社長、恋人、友達だったり・・・

 

私の人生は本にできるとよく言われます。

 

うまくできるかはわかりません。

 

でもやってみないとわかからないから

 

やってみようとおもいます。

 

このページからよろしくおねがいします。

 

お願いがあります。

想像以上の出来事も隠さずかくつもりですので・・・

グロテスクな内容ありますが

ご了承ください。