最近
私の身体に出ている症状や癖になっている行動は、小さい頃の自分の中にあったストレスや心の傷になっていることが原因なってるところもあるんじゃないか?

と思うようになり


たまに寝る前に、クラシックやリラクゼーション系の音楽を聴きながら
自分の内へ内へ……と、
私の小さい頃の眠っている思い出を探すべく意識を向ける時間を少しつくるようになりました



何回かしているうちに

ぃゃー、忘れていた あまり良い思い出ではないことがいくつか思い出されて
なんかビックリガーン


でも、
「今の私の行動の"もと"って、これが原因なのかも……?」
と思うことがありました



もしかしたら、事柄は違えど、私と同じようなことを、大人になった今の自分では覚えていなくても、
幼い頃の自分の心に抱えている方がいらっしゃるかもしれないと思い、ブログに書くことにしました








たぶん、私が3歳くらいの時だと思うのですが、初めて遊園地に連れていってもらった時です


その時のお昼に、何を食べるかで父と母が物凄い喧嘩をしていたことを思い出しました


私はそれを聞いていて、とても不安で悲しくなりました


母は、岩手県出身なのですが
「さ行」の「さしすせそ」の発音がうまくできません

当時、母が、どんなに気をつけて発音しようとしても
「し」を「す」
「す」を「し」と発音してしまっていたんです


父と母が何を食べるか話していた時
母は、お寿司が食べたかったようで
「シス(寿司)が食べたい」と言ってしまいました


父は、
「"シス"って何だ!!寿司だろ!!」
と母を怒鳴りつけました

母は、笑みを浮かべていたけど、泣きそうでした


その後も、父と母はずっと喧嘩をしていたように思います



(思い出した、と言っても、全部ではなく、記憶の引き出しの中の一部だけだったので)

次に場面はとんで
結局、カレーを食べることになったようで、
カレーを父と母が食べている所を思い出しました


その時、父が
「そんなにグチャグチャに混ぜて食べるな!!」
と、店の中でまた母を怒鳴りました




私は、食事中、じっと 母のお皿の中のカレーを見ていました


店を出た後も
父と母は喧嘩し続けていて


父と母の間で、それを聞きながら
どうしていいのかわからない気持ちで下をむきながら、帰りの坂道を一生懸命歩いている自分を思い出しました






思い出したのは、ここまで。
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どんだけ萎縮してたんだ!?私は……

という感じなのですが





この思い出した内容で気づいたことは

「私の食事の時の食べ方」です





私は、物心ついたときから、
カレーに限らず、ものを食べる時
自分がその時に食べる一部の部分しか崩して食べません

これだけなら、当たり前と思うかもしれませんが

お皿の中を、「自分の想うキレイな状態」で食べることができなかった時、得体の知れない恐怖感に似た不安感に襲われるんです

私にとっては、この不安感はいつもどこかにあるものだったので、
この内容を思い出すまで、
「これが(無意識に不安感をもって食事していること)当たり前で普通」だと思っていました


「お皿の中をグチャグチャにする」=
「(怒られてしまう)悪いこと」

と無意識に思っていたことに初めて気づきました




他の人からみたら
たいしたことではなくて

人に教えてもらえば、「そうか」と、すぐわかるような簡単に思えることかもしれないけど



私にとっては、
ようやく気づくことができた、
心の枷外しのための重要な一歩になりました






無意識に思い込んでいて、「当たり前」だと自分で思ってしまっていることほど、気づきにくく、自分の心の枷になっていることもあるんだな……

と思いました






↑この気づきがあってから

「これって……母の心の傷を探すためにもなるんじゃないかな!?」
と思うようになり

私の幼い頃の記憶を探ることで、鬱の母にとって今でも心の中で枷になっている"何か"に気づくかもしれないひらめき電球
と思うようになりました四つ葉




これを
「私自身への独学ヒーリングのひとつ」
と思うことにしたのですが
クラシックだと、曲に聴き入ってしまって、「この転調するとこがいいんだよね~……」となってしまうことが多く、
自分の内側に意識をうまく向けることができないこともあり

他に自分でしっくりくるCDを持っていないので、何かヒーリング系の音楽探さなきゃなぁ、と思っていたら

きのう、友人から
「聴いてて、そのまま寝ちゃった良い(ヒーリング系の)CD見つけたから、今度持っていくね」
とメールをいただいたんです!花キラキラ


氣に敏感な友人なので
もしかしたら、私の今の状況を無意識にキャッチしてわかってくれたのかも?キラキラ

と勝手に思ってみたりニコニコ



CD嬉しいな音符
どんな曲だろ~

楽しみですラブラブ!









今日の空





















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綺麗な空でした











この景色も一期一会









そう想ったら……



今生、私が出逢うことができたすべて……
みんなに感謝したくなった








ありがとう































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暑い~晴れあせる


良い天気ですヒマワリ











子どもたちの宿題がおわらない~ガーンあせる


今日、明日が勝負ですにひひグーキラキラ

























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ある人が言った言葉を思い出しました






その人曰く


「誠実であるということ」は

「正しいことを行うこと」だそうです……







そらなら
「正しいこと」って、なんなんだろうね?







世の中に存在する人の数だけ

その人にとっての「正義」が心にある



と、私は想う








私にとって

私の心が判断したことが「真実」
























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人は、自分を変えることはできても
相手を変えることはできません


でも
自分が変わることで
相手に何かを伝えることができたり
相手が"気づき"と思える何かきっかけを与えることはできるかもしれない







以前
「病気というのは、その人の苦しいよ……の心の叫び」
なのだと、心療の先生が仰っていました


この言葉を聞いたとき

子供の病気も
その子の心の叫びだとしたら……
と考えました


私の子供は、てんかんをもっているのですが
きっと、これは、
この子の今生の大きな課題の一つ、
心の絡まった糸を解くために、一緒に乗り越えさせていただける相手として 私は母に選ばれた、と思いました


そう考えて接し方など、私なりにいろいろ努力してきました



でも、子供の心の叫びを救えるのは、(軽くすることはできても)親の私じゃない

今日、そう思う出来事がありました。



一番重要なのは「本人の想い」

人生は選択の連続
その選択をするのは「自分自身」しかできないから。


私は、その選択をするために必要な、支えてあげられるだけの愛をむけてあげ続けることしかできない



発作が起きてしまえば、どうにもならない状態になってしまうこともありますが……



でも私は、
精一杯の愛を子供にむけることをやめません

子供が必ず越えていけることを信じてます

諦めません








そんなことを想いながら
さっきまで、祈願してました


参らせていただいたことはないのだけど
なぜか途中、榛名の神様を想いました










今朝
少しの間 目を閉じて朝陽を浴びました



目を閉じてもこんなに明るく光を感じることができるんだなぁ
と、改めて感じた朝陽










身体に溜まっていたものを呼吸にあわせて吐き出して


光が降り注ぐなか
朝の空気を身体いっぱい吸い込む







数年前、私が身体も心も疲れきっていて毎日が苦しくて潰れそうだった時



「深呼吸」をすることを教えてくれた友人がいます






本当に苦しくてどうにもならない状態で必死に生きている時って、空を眺めることも忘れていて

自分がどんな呼吸をしているかなんて気にしていられない


呼吸をすることに気を向けることさえ余裕がなかった状態の私が昔いたことを思い出しました





でも

今の私は、こうして深呼吸をしている







私にとっては
深呼吸できることも幸せのひとつ









ありがとう


































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