コロナ感染拡大で少し自粛なので、数十年も昔、昔のお話を・・・

私が小学生の頃にタミヤのラジコンが流行り、その時はラジコンなんぞ買ってもらえず、少ないお小遣いを少しずつ貯めたり、新聞配達をこっそりやったりして、中学生になってようやくF-2を買うことが出来ました。
当然オプションは買う余裕なんてありませんでした。

しかし中学生にもなれば、部活だとかでラジコンする人など激減し、少人数で遊んでいました。

一つ上の先輩と一緒に走らせるようになり、ゴムタイヤの中にスポンジを入れたり、受信機用の電池をバッテリーから直結したり、スピードコントローラーの抵抗もはずして直結したり、色々教わりました。

そして、充電器は当時は8時間かかっていましたので、鉛蓄電池の充電器(当時3000円程)を買って来て、ヒューズを落としてスクーター用の設定で充電すると10~15分で満充電になりました。

オートカットなんぞ無いので、腕時計のタイマーかけてやっていました。
(爆発させた人もいました)

かなり慣れた頃に、"先輩にレース出るぞ"と言われ、始めて4ヶ月程でレースに参戦することになりました。


当時北九州に住んでいて、門司という所から八幡の高炉台公園という所まで、約30kmを自転車で朝の7時に出発、2時間掛けて行きました。

途中今にもお化けが出そうな大学を通り抜け、ほとんど登りばかりの道のりで、着いたときにはヘロヘロになっていました。
(その大学、私の出身校となったのですが本当にお化けが出るそうです)

当時のエントリー費は中学生は300円位で、手持ちバンドと名前書いてエントリー完了。
今で言うレースミーティングを10分程やった後、私達中学生は、タイム計測や記録係をやらされていました。
トリム合わせなどは予選前に1周走って終わり。

当時は27MHz6バンド、40MHz2バンドしかなかったので、練習走行は勿論無し、4~6台での予選でした。



つづく