Mr.Beanはチャップリンのような劇をして観客を楽しませる。

ローワ・アトキンソンが、オックスフォード出身であることからすると、モンティパイソンの流れを大きく汲んでいることも分かる。

どうも笑いのつぼの原型がモンティパイソンあたりに在る。
そのへんのおじさんがいきなり、これと同じことをしても、全く面白くもなんともないのは、間違いなかろう。

さてさて、アトキンソン氏が、Mr.Beanの役から去り、ドラマ俳優として活動するそうだ。
さよなら、Mr.Bean

あの奇妙な笑いは、人々が何かしら嵌っている雰囲気や、期待している配置や振る舞いというものを、その異質性によって、崩された形をとることにより、焙りだした。

そこで繰り広げられる劇が面白いのだ。

何気なく、連綿と受け継がれてきた、社会における人々の振る舞いを、一種嘲笑うような側面から、斬りこみながら、堂々と、「じゃぁ、そこにあるものは何なのよ?」
と問うてくる。

普通というか、常軌という状態に、漂えるものが何なのか?と問うている気がする。

ということでMr.Beanという現象を経た後は、
改めて、「常軌ってこういうものだったよね。」
と確認することで、皆それぞれの現実に立ち返ることができる訳だが、
じゃそうする時に確認しているものは、おそらく、各個人が背負っている歴史とか、経験とか、それらに裏打ちされた軌道のようなものなのであり、人との関係において調和をもたらす共通項だ。

逆にこのMr.Beanという現象が無かったならば、思い起こされない現象が日常の中で垣間見えてくるのだ。

日常のあらゆる場面に、Mr.Beanを頭の中から出して見ると、
なんでこうなってるんだろう?っていう光景が広がるんじゃないだろうか?

逆に大切にしていることについてよく見えるかもしれない。

例えば、茶道の茶室においでいただこう。
そうすると、何かしらそこに在るものを、感じつつ大切にしつつすることそのものに、文化や風格、雰囲気が築かれていくことが分かるのじゃなかろうか?
それは、元々そこに在ったものではなくて、自分がそこに介在して責任を背負って、初めて感じられるもので在るはずで、自分がそこで振る舞ったことが、場において一つの要因となるはずだ。
じゃあ、自分の中で何を重んじてるんだろう?と考えることが、その場で参加されている方々と
、大事にしようとしていることを感じ取ることにつながるのだと思う。

こんなふうに、
周りに流されて、そうなっているのではなくて、大切なことが見いだせているうえで、
そうなっている常軌をMr.Beanは、いい意味指し示そうとしてくれている。

現にMr.Bean現象が無ければ、こんなこと考えて無い。


この劇でよくあるのが、人がいない内に、or注意がそれている内に、Mr.Beanが何かをしていて、Mr.Beanの動きを知らない人にとっての捉え方からは、完全に逸脱した展開がそこに潜んでいるというギャグだ。

自分が見ていないところで展開することに関して推考を促してくれる。

何故ならば、大概が知っていること、見えていることにおいて、ともすればマンガやアニメに例えてみたり、ストーリーを作ろうとして、またその中で考えて、推考し結論をだそうとする傾向の中で、しかも感じ入っているところに、当事者が「知らないこと」という枠を作ることを提示していると思うからだ。

それと、
Mr.Beanを見てると、おかしいんじゃない?と思う。
振る舞いが。

その感覚がどこから来るのか?というと、こうあるべきなんじゃない?という軸となる感覚からだ。調和のとれた想定からくる感覚だ。

ということは、おかしいと思わないのならば、その人は、全くそういう想定がそもそも無いということだ。

ということで、そういう想定や調和といったものを全部はぎ取った人間がMr.Beanなんじゃないだろうか?

それを見て面白がるのは、そんな想定に覆われていない自分を、見てとって解放させているのかもしれん。
劇という前提無くああやって日常で振る舞えば、世間的なリアクションが困るだろうから。

こうやってやっぱ、軌道みたいなのがある。


などなど、考えているが、その他の漫才やアニメ、ドラマ、マンガ、小説だって、こうやって物事を問うているものもある。
ということでその他のコンテンツと同じくして、中心的な、それも振る舞いまでもを規定する感覚を、つついてくるのだと思うが、このMr.Beanのオリジナリティは、現実離れの距離感なんじゃないだろうか?
そして扱うテーマの何気なさと、何の変哲もない風景にMr.Beanを出現させたことだ。

と書いている内に、SFだって、金●先生とかの学園ものだって、サスペンスだって、ホラーだって、新喜劇だって、何だってコンテンツというものは、それなりに述べてきたことに由るよなぁ~と思ってきたので、ここまでつらつらと、評論しておきつつ、それはさておき、Mr.Beanの歪曲空間を楽しんでみることに尽きる、ということが感じられた。





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