自分のことを表す一人称。

私、俺、僕、わし、吾輩、ちょっと硬派な人は自分なんて呼んだりしますが、「自身」と言う人はなかなかいないと思います。


「その作業は自身がやります。」

「自身は明日は予定があります。」

「自身は食事を済ませました。」


初めてその人と接して会話をした時に、「変わった表現をする人だ」となんとなく違和感を感じました。


この「自身」と言う表現は、この人にとって「おのれ」を指している様に見えて、実はそうでは無いと言うコトに私が気付くまで、時間はそれほど掛かりませんでした。



いま引き締めないとマズイと思っています。

TVのニュースで20代前半の若い人が
「コレが普通になって来た。だから普通に遊びに行く。」
とマスクもせずにインタビューに応えている姿を見て、事の重大さが分かっていないと感じました。

若くて体力が有れば軽症で済む確率が高そうですが、万が一重症化すれば命を落とす可能性も考えられます。

これだけ感染力が高いと言われていて、世界中の主要都市が閉鎖されている状態で日本だけが特別だとは考えにくいです。

これまでの経緯から考えると、大きな決断があった後にはそれに類する状況の変化が発生してきたことから、オリンピックの延期が正式に決定し、東京の週末の外出自粛要請が出た今、次に首都封鎖が発生しても何らおかしくない状況ではないかと感じています。


今週末の外出自粛は、いきなり首都封鎖した場合にパニックが起きることを回避するため、一拍おいて次の一手の衝撃を緩和する事を目的としているのではないかと感じています。

タイやインドでは、前触れ無くロックダウンの措置が取られていますが、自粛解禁ムードが出て来て、桜の開花も手伝って人々が外出し始め、それに呼応する様に都内の感染者が増加しているいま、外出自粛の次に来るのは封鎖しか打つ手は無く、それは意外と早いタイミングでやって来るのではないかと思えて仕方ありません。

4月1日になれば新年度となり、新入生や新社会人の方々が首都圏にやって来られるでしょう。
毎年、4月の新社会人や進学された学生さんが満員電車に戸惑っている姿は、希望に満ちていながらも新しい都会の暮らしに戸惑っていて、なんだか微笑ましく「ガンバレ!」とエールを送りたくなりますが、今年は状況が少し違います。

都会暮らしに不慣れな若い人の流入は、この事態の中ではもしかすると悪い効果を出してしまう可能性もあるかもしれません。

そうなると、4月に入る前、あるいは新しい人々を一旦都会に取り込んだ直後に、封鎖が発動されるのではないかと予想しています。

根拠はありません。
刻一刻と状況が変化する中、医療や感染症の知識は素人で、政治家でも無い一般市民の肌感覚から感じる不安からくる予想でしかありません。

戦う相手は得体のしれないウィルスなので、誰も悪いわけでは無いのですが、この状況を乗り切るためには、個人の権利を主張するのではなく、今は我慢を続けるしか方法が無いのではないかと考えています。

私自身も20代の頃は体力もあって無理もきくし、ちょっとくらいの体調不良なんて食べて寝れば治ると思っていました。
しかし年を取ると体力的に落ちる反面、若い時には分からなかったことが見えてくる様になりました。

相手は得体のしれない強力なウィルスです。
いま一度、よく考えましょう。

遊び場は無くなりませんし、終息すれば好きなだけ遊べます。
いまを乗り切らないと、明日の東京はイタリアの二の舞いになりかねません。

政府与党幹事長が「マスクは生産している。まもなく供給される。」とおっしゃっている報道を見てしばらく経ちましたが、東京では未だにマスクが店頭に並んでいるのを目にした事がありません。
いまはそういう状況だという事です。

私は我慢する道を選んでいます。
オッサンなので無理はききませんから。