皆さん、こんにちは。先日、京王線の高幡不動尊へ、雨の日にアジサイを見に行きました。小さいおじぞうさんがたくさんあり、青や白のアジサイとコラボして、かわいらしかったです。
あずまやで、お茶会をしていました。一人300円でお茶とお菓子が頂けるというので、参加しました。私にとっては生まれて初めてのお茶会でした。
ようかんとおせんべいが出て、私のお茶が入っていた器は、何と、1820年に造られたものだそうです。うん?1820年?どこかで聞いたような、、、あ!ジョセフ・スミスが神とイエスに会った時だっけ?長いこと教えられてきたから、今でも覚えているんだな~。
だけど、実は、ジョセフは最初の示現で神とは会っていなかったんですよね。一番古い記録にはイエスと会ったとしか書いてないし、年齢は14歳じゃなくて16歳だったし、サタンの誘惑もなかったんです。「最初の示現の記録 https://www.churchofjesuschrist.org/study/manual/gospel-topics-essays/first-vision-accounts?lang=jpn参照。これは教会の公式サイトです。」
本当に、間違ったことを何十年も教えられてきたんだな~と、お茶を頂きながら思いました。
今は、こうやってありがたくお茶を頂くことが出来る、楽しいです。お茶は少し苦かったけど、お菓子が甘いからちょうどほかった。お茶をたててくれた女性たちは着物姿で、又、風情がありました。
そろそろ桃の季節ですね。それにちなんだ話をしたいと思います。
【絵姿女房】
昔、ある所に与作というお百姓さんがいました。お嫁さんをもらったのですが、これがすごいべっぴんさん。与作は、奥さんと離れるのがいやで、仕事に行かなくなってしまいました。
困った奥さんは、知り合いの絵描きに自分の顔を紙に描いてもらいました。
与作はそれを仕事へ持って行き、棒の先っぽに付けて、畑を耕す時やお昼を食べる時もちょいちょい眺めては喜んでいました。
ところがある日、棒につけていた紙が強い風で飛ばされてしまいました。そして近くのお城の最上階の、との様の部屋に舞い込みました。
これを見たとの様、「何と美しい!誰か、この娘を探して連れてまいれ!」と家来に命令しました。
与作の奥さんはきれいだと有名だったので、すぐに見つかってしまいました。
「との様の命令である、お前の嫁を連れて行くぞ!」
「そんなむちゃくちゃな!やめてくれ!」抵抗した与作はボコボコに殴られ、奥さんは無理やり連れて行かれました。
別れ際に、奥さんが桃の種を幾つか与作の手に握らせました。
「あなた、これを庭に植えて下さい。実がなったら、お城に売りに来て!必ず売りに来てね!」
与作はしばらくの間、悲しくて仕事も手につかなかったのですが、奥さんの言葉を思い出し、桃の種を植えました。精を出して育てたところ、3年後、たくさんの実がなりました。
与作は、桃を入れたカゴを背中にしょってお城の周りを歩きながら、「桃や~、もも!モモはいらんかね?!」と叫び続けました。
さて、これを聞いた与作の奥さん、「ハハハハハ!」と笑い始めました。
無理やりとの様の妻にさせられ、きれいな着物を着て、殿様の隣に座らされていました。けれども、この3年間、一度も笑ったことがなかったのです。
「奥が笑った!奥が笑った!」と、との様は大喜び。
「あの桃屋をここに連れてまいれ!」と命令しました。
与作が部屋に入って来て「桃や~、もも!モモはいらんかね?」と言うと、奥さんは又、「ハハハハハ~ハハハハハ!」と笑うのです。
「そちの服をわしに貸せ。」と言って、との様は与作と服を取り替えました。ボロボロの服を着てカゴを背負い、「桃や~、もも!モモはいらんかね~」ととの様が言うと、奥さんは又、「ハハハハハ!」と笑いました。
との様は有頂天になって、カゴをしょったまま、部屋を降りて行き、とうとうお城の外に出ました。
「桃はいらんかね~」と叫ぶたびに、城の上から「ハハハハハ!」と笑い声が聞こえてきました。
城の周りをぐるぐる何度も周ってから城の中に戻ろうとすると、門番に止められました。
「無礼な!私はとの様だぞ!中に入れろ!」
「そんな格好のとの様がいるもんか!出て行け!」と追い出されてしまいました。
とお様が桃をしょって出て行くやいなや、奥さんは与作の胸に飛び込んで、「あなた、会いたかったわ!」と、うれし泣きしました。与作はとの様となり、奥さんと一生幸せに暮らしました。
一方、城から追い出されたとの様は与作の家に住み、あの絵姿が描かれた紙を毎日眺めながら畑を耕して一生を過ごしましたとさ。
●子供の時に、まんが日本昔話で見ました。今でもよく覚えています。ひどいとの様だな、と思ったものです。しかし、モルモン教会の歴史において、同じようなことが起こったのを、皆さん、ご存じでしょうか?教会の歴史家が、これを認めています。
以下の話は、トッド・コンプトン氏の「聖なる寂しさの中で」という本から引用しました。コンプトン氏は、現役モルモンの歴史家です。開拓時代に生きた人々の日記などを集めて本にしています。彼の他にも、多くの人が認めていることです。教会も、彼の本から引用しています。疑う人は、参照して下さい。
「In Sacred Loneliness」by Todd Compton
【モルモン教会バージョンの絵姿女房】
ヘンリー・ジェイコブスという、モルモン教信者がいました。
彼はジーナと言うお嫁さんをもらい、彼女は赤ちゃんを身ごもりました。
ジーナはとても霊的な人で、彼女の父親やお兄さんたちも忠実なモルモンでした。
すると、モルモン教会のとの様、予言者ジョセフ・スミスが、「神があなたの奥さんを私の妻にするようにと言いました。もし、結婚してくれなかったら、私は天使に剣で切り殺されます」と言ってきました。ものすごく悩んだ末、ジーナはとの様ジョセフ・スミスと結婚しました。
それでも、ヘンリーとジーナは一緒に住み続けて、子供も二人生まれました。けれど、死んだら天国では、二人の子供とジーナは、ジョセフのものになるのです。ヘンリーと血がつながっていて、彼が出産で取り上げて、彼が世話をしたというのに。彼が働いてジーナを養ったというのに。
ヘンリーは一生懸命働いて、家族の為に家を建てました。
でも、ヘンリーは何度も伝道に行かされたので、彼が留守の間、との様ジョセフがやってきてジーナと肉体関係を持った可能性もあります。(これは私の意見ではなく、モルモンの歴史家トッド・コンプトン氏が言っていることです)
ジョセフが死んだ後、次のとの様のブリガム・ヤングがジーナと結婚し「私と結婚した方が、天国で更に高い位につくことが出来るよ。」と言いました。そして、ヘンリーに、「どこへでも行って、自分に見合った女性を見つけて結婚しなさい」と言いました。
との様ブリガムは、ヘンリーをイギリスへ伝道に行かせました。
その間に、との様ブリガムは、ジーナを自分の正式な妻とし、一緒に住み始めました。
イギリスから帰って来たヘンリーは、ものすごくショックを受けましたが、仕方なく、他の女性と結婚するしかありませんでした。
ヘンリーは何度か結婚しましたが、子供はジーナとの間に生まれた以外にいなかったし、ジーナを忘れることが出来ず、ジーナに手紙を書き続けました。
怒ったとの様ブリガムは、ヘンリーをディスフェローシップし、彼から召しや神権を取り上げました。
一方、との様ブリガムは死ぬまでに55人もの妻をめとりました。ジーナは彼の子供を一人産みますが、あまり愛してもらえず、寂しく悲しい人生をおくりました。日記に何度も、寂しくて仕方がない、ともらしています。
ジーナはヘンリーと別れた後も、ずっと彼の誕生日を日記に書き続け、彼から来た手紙を全て大切にとっておきました。
との様ブリガムとの結婚がどんなものだったのか、以下のジーナの言葉を読んで、皆さんも考えてみて下さい。
「1869年 ニューヨーク ワールド という雑誌のインタビューでジーナはこう言っている。
ーー良く出来た多妻婚の妻というものは、自分の夫に対して無関心でなければなりま せん。
深い尊敬の念以外、どんな気持ちも抱いてはいけないのです。愛とは、間違った 感情です。多妻婚において、愛という感情は存在してはならないものですーー」
モルモン教会の弁護団体は、ジーナが自分で選んだ結果だ、ブリガムやジョセフが奪ったわけではない、と弁明しています。しかし、本当にそうでしょうか?
多妻婚についてよく調べて知っている多くの現役モルモンと元モルモンが、これに反発しています。多妻婚研究者のモルモン信者リンジーさんは、「これを強制的だと認めない何て、恐ろしいことだ。これを許すような社会を作っては絶対にいけない」と言っています。
私はセミナリーや日曜学校で、モルモン開拓時代に行われた多妻婚は、神からの教えであり、それに関わった人がみんな幸せで、素晴らしい結果が伴った、と教わりました。
でも、それはウソでした。はっきり言いましょう、ウソでした。
多くの人が、多妻婚を強制的にやらされました。エマはその代表例です。多くの女性が夫から経済的に養ってもらえず、子供たちを食べさせるために、必死に働くしかなかった。夫はどんどん若い妻をめとり、初めの妻たちはほっぽっておかれることが多かった。よって、離婚していった。嫉妬もあった。
「妻たちは結束して仲が良かった」と日曜学校で習ったけど、そりゃ、そういうこともあったでしょう。夫はいつも他の女性の家に行っているか、伝道や教会の召しで不在だったから、妻たちは助け合うしかなかったのです。それに、夫がいつも、いつもいなかったので、夫に対して愛情が薄くなったのも事実です。でもそうでもしてないと、寂しくて心が壊れてしまうのでしょう。あまりにもかわいそう、、、、。こんな結婚生活、絶対に嫌だ!
「ジーナ・ハンティントンは私のひおばあさんであるリディア・パートリッジの義理の娘です。」だと、自己紹介している人の意見をここに載せます。
「ヘンリーは教会とリーダーたちにに全てを取り上げられた。2人の男がジーナと結婚するのに立ち合い(彼のジーナへの愛情と彼女を自分のものだと主張することは無意味であった)、悪意に満ちた理由とみられるひどい扱いを受けても、それに耐えた。
一生涯、愛するジーナを失った悲しみをたくさんの手紙に託した。今でもそれらの手紙は残っているんだ。私はそれを読んだ。心が張り裂けそうになる。同じ夫、父親としてこれらの手紙を読んで具合が悪くなった。恋しがる気持ち、悲しみ、当惑、空っぽな心が、これでもか、と手紙に詰まっている。同情してやまない。」
この子孫の人は、「多妻婚において、愛という感情は存在してはならないものです」と語ったジーナについてはこう述べています。
「一体どういう環境が、彼女にこんなことを恥ずかしげもなく言わせる原因となったのか?このような言葉を発するように教会はどんな手を使って彼女を説得させたのか?
このような言葉を発するようになるまでに、彼女がどれだけのことを耐え抜き、精神的なトラウマにあってきたか、想像を絶する。
私はこのような考え方を抱く女性を哀れに思う。
これは間違っている。多妻婚、19世紀に行われた多妻婚は家族の在り方を侮辱するものだ。どんな女性もこんなにひどい人生をおくる必要はない。
私の宗教がどれだけ人を駆り立て、彼らがもっと幸せな人生をおくれるはずなのに、そうではい、と、信じ込ませてきた事実に恐ろしさを感じる。
私は自分の宗教が怖い。」
http://mormonfailure.blogspot.com/2009/10/lessons-from-zina-huntington.html
「Lessons from Zina Huntington - A Mormon Failur
モルモン教会が行った多妻婚を神の教えだ、と正当化しようとする人は、この子孫の言葉をよく読んで考えてみて下さい。
教会が公式に出しているものは、以下の通りです。
「カートランドとノーブーにおける多妻結婚」
https://www.churchofjesuschrist.org/topics/plural-marriage-in-kirtland-and-nauvoo?lang=jpn 参照 これは教会の公式サイトです。