ジョセフ・スミスの28番目の妻
エルビラ・コールズ(ホームズ・スミス)

忠実なモルモンのジョナサン・ホームズと新婚ホヤホヤの中、ジョセフと結婚した。エルビラ自身の記録はあまりないが、友人であったエライザ・スノーやパティ・セッションズの記録の中に現れる。学校の先生であり、素晴らしい編み手で有名だった。
扶助協会では会計を務めた。
 父親は教会の高い位についていたが、娘が既婚者であるのにジョセフと結婚したことに大っぴらに反対し、異議を唱え、最後はRLDSに加わった。

●おいたち
1813年11月23日生まれ。長女。母は8人の子供を産んだが、4人が死亡、そしてエルビラが12歳の時、母も死んでしまう。父は、エルビラよりたったの5歳年上の女性と再婚し、6人の子供をもうけた。ママ母は良い母だった。
 
●モルモンへの改宗
22歳でバプテスマを受けた。しかし、ミズーリで迫害にあい、イリノイ州ノーブーへと逃げた。
 父のオースティンは現在の12使徒や七十人と同じ程の高い位に召された。

扶助協会の会計係に召された。

エルビラはジョセフの家に住んでいたことがある。パートリッジ姉妹やデスデモナも一緒に住んでいた。この時、ジョセフのボディガードだったジョナサンと会い、恋に落ちる。ジョナサンは1806年生まれ。妻に先立たれ、サラという娘がいた。

●2回の結婚
1842年12月1日にジョナサン・ホームズと結婚した。ジョセフ・スミスが式を執り行った。4歳半のサラのママ母となった。

1843年6月1日にジョセフ・スミスと結婚した。ユタで1869年にエルビラがこの結婚について署名している。式はキンボール家で行われた。式を執り行ったのはヒーバー、証人は彼の妻のバイレイトとエライザ・パートリッジだった。
エルビラの夫は式に出席していないが、恐らく、結婚のことは知らされていただろう。後にノーブー神殿で予言者とエルビラの永遠の結婚の代理人として参加したので、そのころには知っていたことになる。

1843年2月11日、スミス家を追い出されたエライザ・R・スノーを自分の家に引き取った。

●父オースティンが教会に背く
ウィリアム・マークス、オースティン・コールズ、パーリー・P・プラットがジョセフに逆らったようだ、と書かれている。
 そこへウイリアム・ローが断固とした反対者として現れた。

ハイラム・スミスが多妻婚の啓示である教義と聖約132章を公表した後、反対者の声は高まった。オースティンはステイクの召しを辞退した。

エビニーザ・ロビンソンは書いている。
「オーステインの、多妻婚への反対は非常に激しかった。」
オーステインんは破門された。

●ジョセフへの反対は高まる
1844年、ウィリアム・ロー(大管長会の一人)は多妻婚に反対する者たちから成るグループの代表者に選ばれた。そしてノーブー・エクスポジター(Nauboo Expositor)
という記事を印刷した。ここにはジョセフが多妻婚をしているという事実を買いtた。
 ジョセフ・スミスはこれに激怒し、印刷所を焼き払う様に自分の取り巻きたちに命令した。
 この事件が次々と他の問題を引き起こし、ジョセフは殺されることになるのだ。
皮肉なことに、エルビラの夫、ジョナサンは印刷所を焼き払うのに加担した者の一人だった。

●エルビラの父への愛と尊敬
父オースティンは立派な人間であった。エルビラは父を愛していた。しかし、教会のことも愛していたので、苦しい立場にあったのだろう。
 父オースティンは後にシドニー・リグドンの教会に入り、その後「ブルースターライト『Brewsterites』という、モルモン分裂派グループに入った。その後はRLDSに集った。
 父が死んだ時、エルビラはこう書いた。
「父はこの世を良くしようと、長い間をかけ、全ての人に模範となり、皆に施しをし、誰をも恨まない人だった。。」

教会はオーステインんのような反逆者を悪魔のような人だと言う。しかし、本当にそうだろうか?
 オースティンは誠実だったが為に、ただ教会を去るのではなく、オープンに反対したのだ。ジョセフのすることに全く疑問を抱かずにひたすらついて行くことによってモルモンに忠誠を尽くそうとする者はいる。しかし、オースティンは、多妻婚を拒否して異議を唱えることによって彼の信仰への忠誠を示そうとしたのだ。
 その結果、彼はLDSに非常に近く、しかも皮肉なことにジョセフは決して多妻婚を行っていない、と主張したRLDSに加わることとなった。

●予言者の死
1844年6月27日、ジョセフ死亡。
 エルビラはジョナサンの子供を産んだ。ルーシーと名付けた。
ノーブー神殿で、エルビラはジョセフと永遠の結婚をした。代理人はジョナサン。これでジョナサンは永遠のパートナーがいなくなってしまった。
 しかし、同じ日に、彼は死に別れた最初の妻、マリエッタと永遠の結び固めをした。

●ユタへの旅
ジョナサンは途中でモルモバタリアンに参加させられ、カリフォルニアへ行った。
エルビラは一人で、2人の幼い子供たちを連れて旅をつづけた。ウィンタークォーターズでは、寒い冬、ドアと窓の代わりい毛布をかけただけの丸太小屋に住んだ。
 娘のルーシーがここで死亡した。

旅の途中でエライザ・R・スノーやエミリー・パートリッジたちと異言を語る会や霊的な会などを催した。

ある時、エルビラの幌馬車が大群で走っているバッファローの群れに囲まれたこともある。

●ユタの生活
1847年10月2日にソルトレーク・シティに着いた。
学校の先生をして稼いだ。食べ物は少なかったが、いつも自分より貧しい人に分け与えていたという。

夫ジョナサンもカリフォルニアから帰って来た。

パティ・セッションズやエライザ・R・スノーたちとジョセフ・スミスの誕生日や死んだ日に集まって夫ジョセフをしのぶ会を時々持った。
パティとエミリー・パートリッジがよく遊びに来た。

全部で娘を5人産み、一人男の子を養子にもらった。

ジョナサンは家を建て、靴職人をしながら農場を営み、エルビラは羊から糸をつむいで服や布を作った。
 
●夫の多妻婚
夫ジョナサンは55歳の時に45歳の未亡人と結婚した。
エルビラの娘たちの夫も多妻婚をしたが、幸せな結婚だったらしい。

1871年3月10日、57歳で死亡。
 
●私の感想
ジョセフの妻たちはよく集まったみたいですね。天国へ行ったら、自分たちには予言者の妻として特別な場所が用意されている、と、とても誇りに思っていたのかもしれません。
 でも、一人の夫を何十人もの妻たちでシェアするとはどういうことなのか、実際はわかっていたのでしょうか?疑問です。