以下はモルモン教会の公式サイトです。下矢印

 

「In Sacred Loneliness(聖なる寂しさの中で)」という、現役信者が書いた本にもっと詳しいことが書いてあり、今回の記事はそこからも引用しました。教会もこの本から引用しています。


【ロダ・リチャードの人生】
 ロダは、ブリガム・ヤングのいとこ。
59歳でジョセフと結婚したが、ロマンティックな関係はなく、若い時に婚約したが死に別れた別の男性を一生涯思い続けた。
弟のウィラード・リチャードは12使徒でジョセフの書記だったので、彼とジョセフをつなぎ合わせる為にジョセフと結婚させられたと思われる。
 これはブリガム・ヤングとの結婚も同じで、二人の間に愛はなかった。ブリガムとはこの世だけの結婚をしたが、一緒に住んだことはほとんどなかったし、公には彼の妻として知られていなかった。一生涯、ガンなどの病気に悩まされたが、働き者でもあった。たくさんの日記を残した。94歳まで生きた。
  もう一人の弟リーバイはモルモンの歴史の中で、医者として名を知られている。

【生い立ち】
1784年8月8日、マサチューセッツで生まれた。父親はジョセフ、母はロダ。
母親のロダはブリガム・ヤングの母アビゲイルの姉妹だった。
 両親を助けてよく働いた。

【エビニーザとの婚約】
1812年頃にエビニーザ・デイモンと婚約した。彼は妻に先立たれ、娘が一人いた。この娘スーザンはこう書いている。
「、、、ロダおばさんは一生に一度の恋をしたの。」

 ところが1813年にエビニーザが病死した。正月に死体を埋葬した。この後、毎年正月にはロダはエビニーザの死を悲しむことを恒例とした。

【ガンとの闘い】
1823年39歳の時、ガンを発症する。1年半の間、寝たきりになった。

1827年、43歳の時、ガンの摘出手術を行った。手術後、声が出なくなり、体の一部も麻痺してしまった。しかし、それも時間と共に治った。

 が、又発症して薬を飲むことになる。

【モルモン教会との出会い】
1836年12月、弟のリーバイとウィラードがバプテスマを受けた。
1837年6月2日、ロダもバプテスマを受けた。
 日記に、
「主が祝福して下さったので今年の夏は元気に過ごせた」
と書いている。

しかしその後、又、ガンに苦しむ。

【予言者との結婚】
1843年1月23日に初めて予言者ジョセフとノーブーで会った。
「5月1日に予言者の店に住み始めた。」と日記に書いている。
 
 6月12日ジョセフの28番目の妻となった。日記に、
「私は多くの友を失い、伴侶もいない人生だったけれど、復活したら、予言者の妻として、適した場所が用意されている。」
と書いている。
 2回も結婚していながら、「伴侶もいない人生」と書いているのは衝撃的だ。

弟のウィラードもこの頃、多妻婚を始めた。

その後、ロダは弟のリーバイとその妻と住んだ。

【予言者の死】
1844年6月、夫ジョセフが死亡。

【2回目の結婚】
1845年、ブリガム・ヤングの22番目(多分)の妻となった。
しかし、弟夫婦と住み続け、ブリガムの建てたライオン・ハウスにも住まなかった。

弟ウィラードの第一妻が死んだ時、パティ・セッションズとエリザベス・ダーフェイ―と一緒に埋葬の手伝いをしている。

神殿が完成し、エンダウメントを受け、ジョセフとブリガムとの結婚も行われた。

【ユタへの旅】
1847年、弟のウィラードはブリガム・ヤングの副大管長となり、モルモンのナンバー3に数えられる職についた。この頃にはウィラードは10人もの妻がいた。

もう一人の弟リーバイも妻サラと共にイギリスへ5年間の伝道へ行った。が、2歳の息子を連れて行かずにロダに預けた。ロダはこの時64歳。ユタへの旅は、雨にぬれたりと大変で、ロダはいつも病気だった。

ユタでは他のジョセフの妻たちと交流があった。ジーナ・ハンティントンやプレセンディア、パティたちと。
94歳で死亡。

●私の感想
日記にも書いている通り、本当に愛したのはジョセフではなく、エビニーザだったわけで、好きでもない人と天国で妻となっても何の意味があるのか?と、納得いきません。ガンと戦いながらも94歳まで生きるとは、強靭な精神の持ち主だったんだと思います。もっと知りたい方は、以下を参照して下さい。