おばちゃんだってA.B.C-Z橋本良亮がだ~い好きさ

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A.B.C-ZとKis-My-ft2が大好きなおばちゃんの独り言です。

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3年半前に胃がんと診断された父が他界しました。

8年前くらいに兄と母と対立して、父が間に入った時に兄に殴られて怪我をした。
父にその時に、お母さんは俺の妻で間違っていても、俺はお母さんの味方にならなければならない。
お前が正しいのはわかっていても、俺も年だし助けてあげられなくてごめんなって言われ、これ以上父に何かあってもと思い会わなくなって5年。

3年半前に胃がんと知り、母がいない時に会いに行くようになった。
月日が経つのに連れて、このまま父がいったら、ずっと気にかけてしまうと思いうわべだけでも、母とも仲良くするようになった。

空白を埋めるようにできる限り父のとこへ行くようになったが、田舎暮らしをしている父には月に1、2回がやっと。

抗がん剤を去年の始めにやめて秋に1人でいる時に倒れ、駆けつけた時に初めて知ったのは、胃がんと告知された時に3年と言われていたこと。
そして、2年半経っていること。
もう時間がないこと。

そこからは悪くなるばかりで入退院を繰り返し、限界が近づいた父は、地元に戻ってきた。
輸血入院をしながら、家にいたけど地元に戻ってきた時に病院に行ったら即入院でもう帰れないと思ってと言われてた。
でも家にいたくて、頑張ってたけど黄疸がひどく入院したのが7/29。
それでも家に帰れると信じてた。

10日前までは歩けてた。
孫に車椅子でトイレに連れて行ってもらい、間に合わなく、オムツに変えた。
そしたら急激に歩けなくなり、字を書くこともできなくなってきて、それでも父は自分がいなくなった後に、揉めるのが目に見えていたし、自分が暮らした田舎暮らしの千葉はいなくなっても誰も住まなくても、生きた証だからと、孫に遺贈する決意をしたが、兄に反対され、弁護士さんを呼んで遺言書を作成した。
でも、間に合わないこともわかっていたので、自筆の遺言書を書いた。
1つ字を書くと忘れ、悔しくて何度も辛い体で書き直し2時間以上かけて、書いた。
でも、それは有効にならないと動画を撮ったりしてた。
兄がちゃんと父と話をすると言ってくれてやっと話し合って兄と父は和解できた。
多分それが父の意思で、きちんと話せた最後だと思う。
先週の金曜に後2.3日と言われ、父と兄が話したのが土曜。
そこから1週間。
幻覚の間にたまに戻る意識。
でも、ニコニコ笑うようになってた。

弟は行方不明のままだったけど、4人で話せて少しは肩の荷が落ちたんだと思う。

最後は幻覚で言ってたのはきっと弟のことだと思ってる。
弟に合わせてあげられず、弟の子供に会わせてあげることはできなかったけど、毎日頭で顔が歪んで痛くていたけど、朝から優しい顔でスヤスヤ眠っていて、痰がからんで辛そうだから痰を吸引してもらった時に、いつも苦しむのにされるがままで、2回目に吸引しようねって看護婦さんが言った途端に、あっという間に心臓が、停止した。
きっと、もう痛いの嫌だったんだと思う。

それでも耳や脳は生きていて、兄や孫が駆けつけても間に合うかわからないと言われたのに、約1時間脳波は振動していた。
みんな来るまで頑張った父。

頑固で人情に厚くて、頑張り屋の父。
私のたった1人の味方だった父。

まだ目を覚ましそうなのに、もう目をあけることはないんだね。辛いよ。

お父さん、もう痛くないよ。ゆっくりゆっくり休んでね。
大好きなお父さんやお母さんや弟と会えたかな?

大好きな千葉。生きた証と言った千葉。
守るからね。おやすみ