きのう久しぶりにテレビドラマを見て、幾つか思ったり考えたり。

役者、というか、人は、やっぱり、目、なんだなと。目をよく見れば、ちゃんとその人の気持ちが分かる。
はずなのに…、なんで、現実世界では、どんなに一生懸命見ても、見せても、気持ちが伝わり合いきれないんだろう。

あとは、笑顔。笑顔にも気持ちと、その人の内面というか人柄というか、が出るんだなと。
だから、笑顔が変わってしまった人の事を思うと、悲しくなる。例えばもう、以前の純粋な部分は、仕舞うか、捨てるかしちゃったんだなと。捨てたのじゃなければまだいいけど、でも仕舞い込んでいたら、他人から見たら捨てちゃったのと同じだから。だけど、純粋だと生きにくいし、上に行きづらいのは事実だし、ステイタスみたいなものが欲しいのなら、純なままでは手に入れづらいし。だからたぶん、前みたいな笑顔ではもう笑わないんだろうし、笑えない…のかもしれないし。

私の時間はゆっくり進んでいて(らしい、です)、根本をもう固めてしまっているので、私はあまり変わらないのだけれど(進歩はしている、変わらないのは格の部分、芯、方向性)、いつの間にか、ひゅっと、人的に、人間性というかが、変わってしまう人達がいる。
変わった、は誉め言葉じゃない。「~に変わったよね」の、【~】が、いい意味の言葉なら、変わった、は誉め言葉。だけどただの「変わったね」は、「変わっちゃったんだね」って意味だから、誉めてない。いい方向へ進歩した変化じゃなくて、マイナスの変化をしちゃったんだねって言ってる。

自分の好きだった人達が、汚れて…悪くなっていくのは悲しい事。もちろん勝手な私の主観でしかないし、誰でも良くなろうと思って、自分は正しいと信じて生きてるんだから、本当に私の主観、大きなお世話、なのだけど。

「人は結局、自分のいきたい所にいく。」って言ってたのはミチロウさん。それでいいんだし、でなきゃ生きてる意味や楽しみが減っちゃうし。何がいいとか悪いとかって、人それぞれの感覚だから、違っていて当たり前だし。

…せめて私は、人達を出来るだけ沢山、笑わせていこう。人を笑わせ続けていたら、いつか、私も、いい笑顔で笑えるようになる…希望的観測。

そんな事を、考えた。

ではまた。