きのうは朝から、長さん(ドリフ)の自伝?を読んでいたのだけど、バイト先で、元々この人の人間性ってどうよ?って思ってた人と、大人げないレベルでかなり揉めて、苛々とかのマイナス感情がピークになってしまったので、そうだ!こういう時は美輪さんだ!と。
で、帰ってすぐに『~正負の法則』というやつを選んで。たぶんこの本を読むのは3~4回目で、最初読んだ時は、序文辺りが宗教っぽくてコワイよー、だいじょぶ美輪さん?みたいなかんじだったんだけど、今回は、やたらといちいち頷けて。
物事には全て何にでも、そして誰にでも、[正]と[負]があるって事を言ってらっしゃる本で、だからやっぱり、残念だけど、どうしようもない事に、どうしても、どこからどう見ても、根っからの[悪人]っていうのは居て、美輪さんは解りやすく魔界族と天界族って言い方をしているのだけど(これが最初は宗教っぽいって思っちゃったトコ)、だから、もう、そういうどうしようもない改善の余地のない悪人とは、係わらないようにするしかないと。どうしても係わらなきゃならない状況(まさに今の私とか)の時は、自分とは住む世界が違う魔界の生き物なのだから、[本来、人間と人間とがする、ちゃんとした係わりあい方]をしようとする事自体がそもそも無理な事なんだと割り切って、相手にしなければいい、と。
で、後は[楽あれば苦あり]で、嫌な事ばかりが延々続く訳じゃないし、逆に、ずっといい事ばかり、いい人達ばかりに囲まれて一生楽しいだけで暮らせるなんていうのも有り得ない、いい思いをしている人(正)っていうのは、陰で相当の努力(負)をしているし、大金持ち(正)の家のほうが家族仲が悪かったり病気の人がいたり(負)する、と。
あともうひとつは、給料っていうのはそもそも[我慢料]だから、嫌な仕事を我慢してするからこそ(または好きな仕事だったらそれ相応の努力や苦労をしているからこそ)貰えるものだと。
そんなかんじの本。
…で、全部を自分なりにまとめてみて考えた結果、「あ奴ら(実はバイト先に悪人はもうひとりいる…)とは、今まで以上にもっと、必要最低限しか係わらない。イコール、無視するとか、その悪人達と同じ様な嫌な態度(感情の無い挨拶を嫌々する、返事をしない、口を聞くのはイヤミを言う時のみ、とか。)を取るのではなく(それだと逆にその人達に対抗してしまっていて、同レベルまで落ちてガッツリ係わり合ってしまっている事になるので)、じゃなくてむしろ、他のいい人達に接する時と同じ様に(正し一切何も期待せず、見返りは求めず、必要最低限、最短時間のみで)接する事こそが、本当の意味でその人間の事を[相手にしていない]って事なるんじゃないか?」と。
ただ、頭ではそう考えついたけれども、実際それを、どれだけ感情を殺して実行できるか、となると…、まだまだ時間はかかるかなと。やっぱりまだ、嫌な態度を取られれば腹が立ってしまう[器の小さな、心の狭い、ダメな自分]だから。
でも、少しずつでも、自分の考えた理想の自分になれるように努力していかないとな、と。でなきゃ無駄に自分が苦しいだけで損だし、そんな悪人達に、無駄な気持ちや感情をの使うなんて事はしたくないから。(そんな余裕なんて無い。せっかく気持ちや心を使うなら、好きな人やいい人達や、やりたい事のために使いたい。)
あと、こうやって色々考えていて気がついたんだけど、私には少ないけどちゃんと友達がいて、みんないい人ばっかだし、芝居仲間にも恵まれているし(本当に性根が悪い人になんて会った事がない)、ブログでしか知らないのに優しい人が私の事まで気にかけて下さってたり、家に帰れば家族(愛猫まにお)が毎日居てくれる。
これだけの数のいい事が私にはあるんだから、毎日の事であるとはいえ、たかたが24時間のうちのたった9時間、たったふたりの嫌な人間と係わる事くらい、我慢出来なくてどうする、それ位の[負]は、あっても当たり前なんじゃないか、でなきゃ逆にバチが当たる位なんじゃないか、と。
そんな事をひたすら、きのうの夕方から今朝の夢の中でまで、今までかかって考えた。
だから、持続しないカラ元気でもいい。とりあえず今は、元気出していこう!!
やっぱせっかく生きてるんだから、少しでも、少しずつでも、いい人間になっていきたい。
(あと、ドリフの長さんか仲本工事にもなりたい(^^)V)
…終