恩塚ランポーとアジサイのこと | 岩石翁の多肉ブログⅡ

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メセン栽培を主軸として、多肉植物の「岩石栽培」という新手法を実験中。その記録です。

 また雨である。露天栽培組は、昨日のうちに第二置き場に戻して置いた。梅雨時なのだからこれが本来の天候なのだろうが、返す返すも気が重い。

 気が重いばかりではなんなので、明るい話題をいくつか。先週末、発根待ちの恩塚ランポーを、久しぶりに「どれどれ」とひっくり返してみたら、何やら亀裂が!↓

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発根を開始した恩塚ランポー

 亀裂といっても、盛り上がった形の亀裂である。なので、もしやと思って亀裂の内部を覗き込んでみると、根がギッシリと待機しているではないか(喜)。思い切って切断してからかれこれ約1ヶ月半で、ルートンが効いたのかどうか分からないが、しっかり根が出てきた。ご存じのように、最初の頃はのんきに花など咲かせていて私を困惑させていたが、さすがに最後の方の蕾のいくつかは開花しないまま脱落していった。体力を発根の方に回し始めていたのだろう。この状態(発根管理中はずっと宙吊り状態だったのだ)でもうしばらく置いておき、根が十分伸びてきたら鉢植えにする予定である。

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アジサイ

 季節ネタというわけではないが、庭のアジサイが咲いた。株の大きさからお分かりになるかと思うのだが、初めて咲いた花だ。実はこのアジサイにはちょっとした曰く因縁がある。というのは、以前のうちの庭にはガクアジサイ(写真左上に写っている大きな株)しかなくて、私は普通のアジサイも欲しいなと思っていた。ただしこの普通とは、「園芸改良品種のアジサイではない」という意味も含めての普通ということだ。ところが、ホームセンターや園芸店は見栄えのいい園芸品種ばかりを並べていて、普通のアジサイがなかなか見つからない。そうか、「無銘アジサイ(哀笑)」も例の柱サボテンみたいな存在になりつつあるのかなあ、などと思っていたところ、何年か前にたまたま通りかかった空き地の一角に、立派な大株の普通のアジサイが咲いているのを発見した。しかしそこは、雑草や雑木だらけの荒れ地状態でゴミの不法投棄などもされているような場所で、誰もまともに管理していない様子だった。そんなこともあり、剪定も兼ねて(苦笑)その時に2枝だけお裾分けしてもらってきて挿し木したら無事に根付いた、という次第である。

 実は、この話には続きがある。先日、用事があってずいぶん久しぶりにその空き地を通りかかる機会があった。この季節だから、またさぞかし見事に咲いているだろうと思ったのである。ところが、例のアジサイは消えてなくなっていた。そして、一見すると荒れ地は荒れ地だが、なんだか以前とは様子が違っている。一度人の手が入ったような感じがあって、以前あった雑草や雑木が全てなぎ払われたような痕跡があった。その後またあれこれ茂ってきている様子ではあったが、あのアジサイは見当たらなくなっていた。もしかしたら、ゴミの不法投棄等に関する苦情等があって、土地の所有者が仕方なくゴミも含めて一掃したのかもしれない。その人にとっては、あの見事なアジサイも荒れ地の雑木の一つにしか過ぎなかったということか…。私が見た時、他の草木はあれこれ茂っていたがアジサイの葉は目視できなかったので、除草剤でも撒かれたのか、あるいは切り倒されてから再び芽を出そうとしたものの他の植物に負けてしまって日が当たらないまま衰弱死したのかもしれない。

 つまり、この2株は、処分されてしまったあの立派なアジサイの子孫というか忘れ形見なのである。そして、あのアジサイがなくなっていることを知って言いようのない悲しみを感じた年に初めて開花した、ということに何か不思議な縁のようなものを感じている。できることなら、「あんなに大きく立派に育って見事な花を咲かせていたのにさぞかし悔しかっただろうが、お前の子孫はここでちゃんと生きているぞ」とあのアジサイに伝えてやりたい。そんな気持ちで小さな初花を見つめている。