日本書紀では味耜高彦根神と記され、大己貴神(大国主神)の子。大己貴神は大和の三輪山(三諸山)に住み、その子孫は賀茂君、大三輪君である。
奈良県御所市鴨神の高鴨神社の主祭神は阿治須岐高日子根命(迦毛之大御神)、2013年3月12日投稿の「高鴨神社」をご参照ください。
古事記では大国主神と多紀理毘売命の子が阿遅鉏高日子根神(阿遅志貴高日子根神)と記され、大国主神と神屋楯比売命の子が事代主神(八重事代主神)、大国主神と沼河姫の子が建御名方神。海部氏の勘注系図によると、神屋楯比売は湍津姫とある。
奈良県御所市宮前町の鴨都波神社には積羽八重事代主命(事代主命)と下照姫命を祀っている。2012年12月19日投稿の「鴨都波神社」をご参照ください。
三島溝咋の娘の勢夜陀多良比売に三輪の大物主神(大国主神)が一目ぼれして結婚して生んだ子を比売多多良伊須氣余理比売と云う。伊須氣余理比売は三輪山の狭井川のほとりに住んでいたが、神武天皇の皇后になった。生まれた子は日子八井命(4代懿徳天皇?)、神八井耳命(3代安寧天皇?)、神沼河耳命(2代綏靖天皇)である。
出雲国風土記には大穴持命(大国主命)の子で、阿遅須枳高日子命と記す。
先代旧事本紀によると、大国主神の子が味耜高彦根神と下照姫で、天津国玉神の子の天稚彦は下照姫を妻とする。味耜高彦根神と天稚彦は親友で姿形が似ていた。
大己貴神の子は全部で181人いる。
大己貴神は大和の三輪山に住み、茅渟の活玉依姫を妻として通った。また、大己貴神の別名は葦原色許男・顕見国玉神・大国主神・大物主神・大国玉神・八千矛神・大三輪大神で、素戔嗚尊の娘の須勢理姫命と結婚した。また、稲羽の八上姫を妻とし、木俣神(御井神)が生まれた。
大己貴神は宗像の田心姫命を妻とし、味鉏高彦根神と下照姫命が生まれた。辺津宮の高津姫神を娶って、都味歯八重事代主神と高照光姫大神が生まれた。高津姫神は湍津姫(神屋楯比売)のことと考えられる。
大己貴神は越の沼河姫を妻とし、建御名方神が生まれ、信濃国諏方郡の諏方神社に鎮座。
都味歯八重事代主神は熊鰐となって三嶋溝杭の娘・活玉依姫に通い、天日方奇日方命と姫踏鞴五十鈴姫命、五十鈴依姫命が生まれた。大国主も事代主も活玉依姫に通ったことになるが・・・
姫踏鞴五十鈴姫命は神武天皇の皇后になり、神渟河耳天皇(2代綏靖天皇)と彦八井耳命を生んだ。
五十鈴依姫命は綏靖天皇の皇后になり。磯城津彦玉手看天皇(3代安寧天皇)を生んだ。
賀茂氏は系統が複雑だ。
①大和葛城(奈良盆地西南)を拠点とし、味鋤高彦根命を始祖とする賀茂族の系統。
②大和葛城で事代主命を始祖とする賀茂君の系統。
③大国主神を始祖とする賀茂朝臣・大神朝臣の系統。①②③は同族で時代が違う。
新撰姓氏録に「大和国 神別 地祇 賀茂朝臣(大神朝臣) 大国主神之後也」とある。
④賀茂建角身命(八咫烏)を始祖とする天神系の賀茂県主(鴨県主)の系統。
新撰姓氏録に「山城国 神別 天神 賀茂県主 鴨建津之身命之後也」とある。
味鋤高彦根命=賀茂建角身命であれば、大和国葛城の賀茂氏が山城国へ移動したと考えられるが、別系統だと云う説もある。
神武天皇東遷を助けた八咫烏(賀茂建角身)は、葛城を経由せずに大和国から直接山城国へ移動したと云われる。
先代旧事本紀によると、饒速日命は十種の神宝をもち、32人の防衛、五部人、五部造、天物部等25部人、船長という多数の随伴者を従えて筑紫から大和に天降ったとある。
その随伴者の中に天櫛玉命があり、鴨県主等祖と記されている。また、天神魂命も随伴しており、葛野鴨県主等祖と記されている。
「古代豪族系図収覧」によると、神皇産霊尊――天神玉命――天櫛玉命――鴨建角身命とある。
私見ですが、味鋤高彦根系と賀茂建角身(八咫烏)系は同じ鴨族を名乗るが別系統ではないか。
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