『大谷が負けたのでとても怒って不機嫌になり、テレビを下げろ!!と騒いでおられます』
療養病院の相談員さんから電話がかかってきました。
父と母、両方を預けているというケースも珍しいのでしょう
先に入った母の時から、相談員さんはじめ、療養病院の皆様には大変お世話になっております。
母は意思疎通も取れない状態なので、
問題を起こすこともないのですが、
問題なのは父です。
昨年から誤嚥性肺炎を繰り返し
肺化膿症が悪化して、一時は危篤状態にまでなり、
最期を穏やかに…と母のいる療養病院が受け入れてくださり入院となりました。
年を越せるだろうか、
桜は見れるだろうか…
そんなことを言いながら、
真夏も過ぎ、ハロウィンも過ぎ去り…
病院のケアのおかげでしょう
医師も驚く回復?力で、状態は安定し
楽しむ意欲も出てきたようで
メジャーリーグが観たいと言い始め、
テレビを設置したのですが…
設置した翌日にこの電話です。
精神疾患も併せ持つ父
精神的なものにも波があります
父は長年、公立高校で教鞭を振るってきました
とても真面目で優しい先生だったと思います。
まさに、教師が天職といった感じ。
家庭でも絶対的な権力がありました
父には逆らえない
父が許したものの中からしか選べない
意に反するとものすごく不機嫌になる
その不機嫌が怖くて、嫌でした。
それでも優しい父でした
大好きな父だから、意識的にも、無意識的にも
父のオッケーするものの中から選ぶ
そんな選択をずっとしてきたように思います。
心理学を学び
幼少期にした【心の設定】なるものが
大人になってからも無意識に作動し
現実を作っていると聞いた時は
どこか、ものすごく納得しました
人に迷惑をかけてはならない
お金は苦労して稼ぐものだ
自営業なんて危険だ
そんな設定が私の中にずっとありました
何かを決断したり、行動する時に
無意識に親の顔が浮かぶ
表面的には自立した社会人のはずなのに…
その無意識の忠誠心
私が私を守るために採用した設定を覆すのには
なかなか苦労しました
私はほんとはやりたかったんだ
私は、こんなふうに生きたいんだ
私は、こうしたいんだ!
なんのしがらみも制限もなく
そう言っていい
やっていい
心底そう思えるようになると
人生は動き始めます
元気な頃の、若い頃の父からしたら
病院のスタッフたちに不機嫌を撒き散らし
ご迷惑をおかけするだなんて
にわかには信じられない状況です
この病院に限らず、
その前にお世話になった在宅介護の方やケアハウスの方々にも、私は幾度となく頭を下げました
その道のプロの方達は
娘さんが頭を下げることじゃない
お父さん、可愛いところもたくさんあるのよと
いつも笑顔で救ってくれました
私も介護職をしていました
現場を知る人からしたら、この程度は可愛いものと笑ってくれるようなものとは思っても
いざ娘の立場になると、申し訳ない気持ちになったり
私にはあんなに厳しかったくせに!
と、これまでの父との関係のなかで
沸々と湧いてくる怒りもありました
私はお父さんに学校で頭下げさせるようなことはなかったのに、
私はいつも頭を下げとるわい❗️
頼むよおやじ!
明るく嫌味を言ってみたりもしてます
今や私には頭の上がらない父は
私がド正論を言うのを一点を見つめて聞いています
そして急に
『パン買ってきた?』と話を変えてきたりします
買ってきたけど出したくねえなぁ!
と言いながら、父の大好きなクリームパンをたくさん買ってきている自分がおかしくもなります。
そんな父娘のやりとりを
漫才みたいだと周りのスタッフが笑ってくれるから
私も、笑えています。
あの偉大なる父は
今や子供のようにわがまま放題やってます
心理学を学び、幼少期の影響を知ると
父の幼少期もなかなかのハードモードだったこと
ちゃんと子どもをやれなかったこと
その悲しみも理解できます。
今、純粋無垢な子どものように
わがままを言っているのも
過去の父を癒すことになるだろうか
そうであってくれたらいいな
そして、絶対的に私の心に君臨していた父が
自ら壊れゆく姿を見せてくれていること
そこだけみると
世話かけやがってと悪態をつきたくなるのですが
私はこれを父からのギフトだと思っています
だからお前も好きに生きろ
体を張って、人生をかけてみせつけてくれているような
周りの人に感謝をして、命をもらったことに感謝をして
ありがとうございます、と
自分の人生を生きろ
情けない姿の裏に
そんな父の最後の育児を感じています
宇宙の仕組みは
【真は逆だ】とメンターが常々言っておりました
確かに、逆なのかもしれない
相談員の方の電話に
『わかりました、近々しばきに、、じゃなかった、叱りに行きます』と言って電話を切りました
大谷が負けたからって不機嫌になってるじいさんがいるって聞いたから会いにきてみたよ
って、クリームパン片手に
来週また病院に行こう
こんなやりとりの繰り返しが
私が作ってきた窮屈な枠を
少しずつ壊していってくれている気がします
今日は娘の高校の文化祭をのぞいてきました
そういえば、私が届けた
孫の制服姿の写真をベット脇に貼っていた父
元気なら、一緒に行きたかっただろうな
ずっと高校と過ごしてきた父の人生
孫が今高校生になって
元気に学校に行ってるよ
そんな様子もまた伝えちゃうんだろうな
