「中学校へは行ってみる」と、親族の子が言いました。もともと義務教育なので、事務手続きは進められていたので、本人が行きたいのであれば行くがよい、ただし無理をせず、という親子の話合いのもとで、中学には進学しました。
勉強に関しては、通信教育をコツコツと高学年ぐらいからやるようになっていたので、普通以下の学力だった状態ですが、全くゼロというわけではありませんでした。小学校と違い、子ども達も「毒々しい」「攻撃的な」態度は周囲から批判を受けるので、あけっぴろげに出さない思春期になっています。ですのでクラスにいても息苦しさはさほど感じなかったようです。中学は学業中心でスケジュールが組まれるのも「人との関係に巻き込まれにくい」状況になりますから、小学校ほどは苦しくないようでした。
行事はことごとく、追いつくだけのエネルギーがなくその間は不登校を繰り返すこととなります。具体的には合唱コンクール、運動会、文化祭、こうしたものは毎日の生活の中で深く同級生と関わることになりますので、疲弊してしまうことから参加が無理な状況でした。
またこの「参加できない」理由には本人のエネルギーだけの問題ではなく、小学校時代の経験が原因で「自分に対して失望」を続けている状態でした。人と上手くやる自信がない、という部分が大きく膨れ上がってにっちもさっちもいかない、ドツボの状態だ、と親達は見ていました。こうした傷は、すぐには消えません。親や年長者との対話などでのセッションが必要なのですが、本人はまだじっくり取り組むだけの余裕がありませんでした。
高校はおのずと、「行事に参加できず、人と上手くやるという事に全く自信がない」ということで行かない選択をしました。代わりに、高校卒業認定資格試験を受験して、大学へつなげたい、それまでに自分のことをなんとかしたい、という意思が出てきました。親としては大歓迎です。
この子は、高校という年齢になってようやく、親族の大人達と少しずつ会話を広げていくことができるようになりました。自分がやっかいだと思っている性質は、上手く付き合えばそれなりに似たもの同志に出会う事がある、無理をして合わない、傷つけてくるような他人と生きようとしなくていいというような一族の繰り返しの励ましを受け取る力が出てきました。周囲の親族達が、みなそれなりに困難を抱えていることをやっと自分も同等だと感じ、自分だけではない、と視野がひろがったのもこの時期です。自分自身を誰よりも下に見て「閉じていた時期」が長かったのです。
この子は正式にはグレーゾーンと言われています。もっと自分に過集中するような自閉度が高ければ、逆に周囲の子供の敵意や悪意、自分が利用されたり標的にされていることなどを感知しにくかったため、不幸中の幸いで心の健康を維持できたかもしれません。ですがこの子は、定型並みに小さい頃から周囲の空気が読めました。難点は自分の気持ちの出現の遅さ、内面の把握や表現に時間がかかることであり、それが理由でのテンポのズレでした。それが実生活で、とくに同級生と対峙した時には大きな足かせとなっていたのです。そしてますます、少ないエネルギーをそぎ落として辛い思いをしました。
高校時代にあたる3年間が、一番、平常運転ができた時期ではないかと思います。体力と気力が、少ないながらも安定してきて学習を継続してできるようになりました。この時期、もうひとつ変化がありました。この子が苦手そうな相手である「よく話し、元気で活動的な人間」と話す光景がよくみられるようになりました。私の兄弟なども、叔父としてよく話すようになりました。
思うに、エネルギッシュで活動的で、迷いがなさそうな私の兄弟(爆走・独走ADHDタイプです)と接することで、自分にはない考えを感じ取り、自分がしたこともない経験を聞き、その活力を無意識に求めるようになったのかもしれません。中学校までは、こうしたエネルギッシュで多動、多弁な相手を避けていました。側にいるだけで「疲れる」からです。一緒にいる、というエネルギーすらなかったのです。
親族の不登校の子達は平日にどこかの親族宅に集まって勉強しているのですが、この子も参加する回数が増えてきました。そして、目的としたように、高校卒業認定資格試験を科目ごとに取得し、大学受験ができる年齢となりました。
この子が本当の意味で、「自分のために今後を考えられる」ようになったのは、大学選びの時です。自分の性質から「人と混じって勉強することは不可能だ」と判断し、通信制の大学を選びました。数ある通信制の大学の中でも、本人が資料集めをし、出願のやり取りを丁寧に指導してくれた所に最終的に決めていました。変化が起こっていました。
通信制の大学は、大学にもよると思うのですが、マイペース型の人には合うと思います。自分で大学と相談しながらも単位数をコントロールしながら、無理なく学習をすすめていけます。もともとパスできなさそうな難しい課題があったり、同じ科目でもやりにくい形式を求められるクラスは教えてもらって避けることもできます(テスト型、レポート型、スクーリング型など)。この子は一般教養を一通り終えた所でかなりの自信をつけていたように思います。そして学ぶことで「自分の、自分だけの楽しみ」を感じたのかもしれません。
通信制とはいえ、事務の人や担当の教師とのメールのやりとりなどはありますし、夏や冬の期間に数日ですが、スクーリングもありました。大丈夫かと心配しましたが、「初めてだから座っているだけであまり人と接しなくていい科目を入れた」と、本人なりに大学の人と相談して、やれるものをやっていった感じです。卒業まで、この子は順調に学習をしていましたし、様子も安定していました。
大学を卒業前に、この子は通学制の大学で学ぶことを希望し、望む大学へ合格しました。一般教養の部分はほぼ履修済みとされたので、やりたい専門科目の勉強だけをあと2年やるそうです。
この子の、今後生きていくための活力を与えたのは通信大学です。大学のスクーリングで、大人同士の関わりを持つことで「小学校時代の悪夢」を吹き飛ばしたみたいです。あれほど疲弊していた人との関わりを今では普通に持つようになっています。スクーリングで知り合った人とFacebookで近況報告などをしあっていますし、その中には、60歳を過ぎて現役で働くおばさんや、仕事をしながらステップアップのために大学へ入りなおした社会人、自分と同じ不登校をしていた学生さんがいます。
「小学校の時はみんな小さかったから、一番最悪な時だったんだとやっとわかった。今は大人だし、普通に付き合える人が多い」と言っています。そうです。未熟な子ども時代に、これまた未熟な同級生と不適切な関わりを持つことがこの子には大敵だったのです。
通信制のスクーリングで、目的を持って頑張っている幅広い年齢層の同級生という、この子によって良い影響を与えるグループの中で良い経験をしたことが、過去を払しょくさせました。通学制の大学は通信制とは異なり、やはり未熟な青年期の人達が多いと思います。ですが途中から編入し、これまた個性的な学部・学科を選んだことで「本気度の高い人だけが集まりがちだから大丈夫」なんだそうです。結果論ですが、自分がやっていける適切な環境を、グループを選ぶことができたから気分よく泳げたのだ、ということなのだと思います。
長い、長いワインディングロードでしたが、この子もまた、トンネルを抜けたのだなと思います。もし似たようなお子さん、もしくは思春期、青年期の方がおられましたら、絶望せず、この子の経験から希望を持っていただければ幸いです。
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