黄金の20年代

☆1910s

20世紀も始めの頃は「ベニスに死す」の様な19世紀ベルエポックの余韻を残していた。


1906年にポールポワレが発表したハイウエストのドレスはポイントがウエストではなく肩にあたるため、きついコルセットから女性を解放する。
また、ゆったりとしたコクーン型のコートが大流行。→日本の着物の影響が感じられる


☆1920s
ギャルソンヌルックの流行とともに、F.Sフィッツジェラルドの小説を原作にした映画「華麗なるギャッツビー」が誕生
→ショートカットの頭を覆うビーズキャップ、スパンコールドレス、パールロングネックレス、ビーズバック、羽織で毎晩チャールストーンパーティ


☆1930s
30年代のファッションは1920年の世界大恐慌の影響を大きく受けている。
「俺たちに明日はない」
→大不況下のアメリカ、ライフル片手に銀行を襲うボニーの姿から、スカーフ、ベレー帽、タイとスカートのボニールックが誕生(フェイダナウェイ)




1940s-1950s ニュークチュールの時代


1944年 戦争のため一時中断されていたオートクチュールコレクションが再開

1945年 1939年に勃発した第二次世界対戦が終結

1946年 ポリエステルが登場
1947年 ディオールがニュールックを発表→世界中で注目!
┗四角い肩、かっちりとした戦時ルックとは打って変わり女性らしいスタイル。もう一人の主人公バレンシアガは構築的なオリジナリティ溢れるデザインで、その後のファッションの流行を作った。

1950年 オートクチュール全盛時代、バレンシアガ・ジャックファトが活躍
1954年 シャネルがカムバックして活躍。映画「ローマの休日」が大ヒット!
1955年 チュニックが流行
1957年 ディオール死去→デザイナーはイヴ・サンローラン


ディオール…チューリップライン、Aライン、Hライン

バレンシアガ…チュニックドレス、サックスドレス、バルーンコート



1960s
女優がファッションリーダーとして熱い視線を浴びた時代

オードリーヘップバーンとジバンシー
カトリーヌドヌーブとサンローラン


デザイナーは女優を、スクリーンで輝かせた!


1960年プレタポルテ時代到来
プレタポルテ=高級既製服…卸売から大量注文
1962年マリークワント、クレージュ ミニを発表
1965年 ツィギー人気で世界中でミニが流行
1966年 サンローランがモンドリアン・ミリタリールックを発表






おそらくボニー&クライドのボニーのス タイリングでしょうね。 ロングタイトスカート(ヒザ下丈)+フ ラットシューズ+ベレー帽の組み合わせ が基本っぽいです。

映画『俺たちに明日はない』のフェイ・ ダナウェイは本当にカッコイイっすよ! ←今はおっかないですけど(>o<)。 映画の詳細↓ http://homepage2.nifty.com/e-tedukuri/Bonnie%20A …

実際のボニーの写真↓ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%8B% …



ジバンシー&オードリーヘップバーン

ジバンシーとオードリーヘップバーンが大親友だったのを知ってますか。ジバンシーの生誕50周年が過ぎましたが、ジバンシー の香水もオードリーの為に作られたのが最初ですよ。

ジバンシーとオードリー・ヘップバーン

ジバンシー社を設立したのは、ユベール・ド・ジパ ンシーは公爵位を持つ貴族である父を持ち、10歳 の時パリ万博でシャネルやランバンの服に感銘を受 けデザイナーを志した。基本的に貴族と言うのは定 職につかないもので、家族には反対されたがあきら められず、パリにてバレンシアガを敬愛して入門を 希望するも門前払い。1968年バレンシアがオート クチュールメゾンを閉鎖する時に、職人と顧客をそ のまま引き継ぐほどとなったのである。「最後のク チュリエ」とも言われる正統派クチュールデザイ ナーとなったのである。ジバンシーといえばオード リー・ヘップバーンを思い出される人も多いでしょ うが、切っても切れない中でオードリー・ヘップ バーンと出会えたからこそ、斬新なアイデアと シャープな感性が絶賛され、「モードの神童」と呼 ばれるようになったのでしょう。「麗しのサブリ ナ」「昼下がりの情事」「パリの恋人」「ティファ
ニーで朝食を」「シャレード」「パリで一緒に」 「お洒落泥棒」「華麗なる相続人」の8作で衣装を 手がけている。特に「ティファニーで朝食を」の黒 いドレスは印象深く、DVDのパッケージにもなって
いますので一度ご覧になるといいと思います。黒一 色でシンプルですが、バレンシアガなどの血脈を感 じさせるエレガントなドレスです。