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維新ニッポン ※政治政党とは何ら関係ありません

競争社会からの離脱を、協調国家の実現を


■今こそ「譲り合い」の精神を

これまで私は「遷都するなら京都」と願ってきた。東京圏からは消えてしまいそうな日本の伝統とそのプライド保持を願ってのことである。

震災以降、ポツポツと耳にしていた福島への首都移転。今なら比較的容易に行えるのではないだろうか。

そもそもなぜ首都移転が言われるのか。よく言われるのが東京一極集中の回避や、東京の災害に対する脆弱性など。

首都移転で一番難しいのが、その移転先の選択と決定。これはオールニッポンでもめにもめ、挙句の果てには民主的でない力が働く懸念すらある。だから結局実現しない。しかし現在の日本国民の防災意識と、東北被災地への慈悲をもってすれば、一番の難関は最初から排除されているようなものである。今なら移転の重要性を丁寧に説明することで、国民並びに地権者から寛大な理解を得られずはず。本当の「譲り合い」はこういう時にこそ表れるもの。あとは国民の決意次第。


■機能的かつ安全で魅力的な首都を

米国ワシントンDCや豪州キャンベラのACTなどは、ほぼゼロから首都として都市計画されただけあり、他国の首都と比較して機能的かつ災害に強い、非常に安全性の高い首都となっている。このような首都を創造できる絶好の機会が今の日本にはある。先進国にとっては非常に珍しい機会でもある。そして何よりも、被災地への首都移転は、被災へのメモリアル的要素を未来永劫持ち続ける事ができる。

政府行政運営の大幅なコスト削減にもつながる。現在の永田町、霞が関では何かと費用がかかる。民間から借り上げている不動産等の賃料だけでも天文学的な額に違いない。それら全て必要なくなる。さらに中には移転に同意できず、自ら職を辞する職員も多数出てくるかもしれない。IT時代の今、発展途上期の人員数は必要ない。これも固定費の削減要因となる。また言うまでもなく、移転にあたり国所有の不動産全てを民間へ払い下げ、得た資金を首都移転および被災地の復興費用に充てることである。決して官僚の住宅や特殊法人に与えてはならない。

皇居は宮家の意向次第。国会議事堂は歴史的意味も含め、博物館などとして保存。石原氏が誇示するほどの実力を東京が本当に持っているのなら、首都機能などなくとも十分にその魅力を維持できるはずである。


2011年8月24日


「地方を変える、日本を変える」、そのどちらの場合においても「地方主権」なくして成し得ない。社会の成熟化が言われ、少子高齢化が進む現在の日本において、中央集権体制によるメリットは急速に減少している。過去から続く利権、既得権を断ち、国民へと再分配しなくてはならない。そして人々の幸福を考えるとき、地方本来の魅力と活力を取り戻すことが重要となる。大きくこれら二つの点において、日本は今まさに「地方力」を必要としている。


■国民の機会平等

これまでの政治に対する責任は、国民側の選択責任に帰する。しかしその国民の選択能力は、社会に影響を受け形成される。これが示すところは日本の民主教育の欠如と、地方の特性を切り捨て画一化された政治、経済、そして教育体制にあると言える。他の先進民主国と異なり、日本における民主化は内から始まった「民主革命」ではない。明治維新、戦後新体制とも、外国政府によって改革を迫られ、一部のメンバーらによって人工的に造られた制度的民主主義なのである。

この持ち込んだ日本の民主資本主義は、今も一部のメンバーに膨大な経済的恩恵をもたらしている。それらは支配層となって既得権を生み、その利権構造は形を変え、プレイヤーを替え、国民生活を疲弊させている。富と権力は集中、固定化し、国民の機会平等を奪い続けている。リスクとリターンの関係がアンバランスな形で存在し、既得権者らは低いリスクで大きなリターンを得、持たないものはハイリスク、ローリターンな競争を強いられている。民主国らしからぬ利権継承を断ち、国民が真の機会平等を手中にするには、何よりも現在の中央集権体制を変えなくてはならない。それなしに民主国としての日本に、持続性のある明るい未来が訪れることはない。


■歴史ある地方の魅力

失ってはならない地方の魅力と、人々の幸福について考えるとき、これまでの「全国あまねく発展」という政策は、本来バブル期の終焉とともに、大きく舵を切らなくてはならなかった。明治の挙国体制、昭和の高度成長、平成のバブル経済を経て成熟期を迎えている今、1億2千万という単位を一律に扱うことに、やはり大きな無理がある。日本国民は、既にある程度の豊かさを経験し、個人、小規模企業レベルにおいても世界で飛躍可能な知識と能力を獲得している。そのような国民の幸福、そして人生を一中央政府が計れるものではない。

地方の魅力、地方の幸福、それは地方自身が一番よく知っている。言語を始め、芸術、職人技、生活様式に至るあらゆるものに浸透している地方特有の文化は、日本本来の美しさだ。これからの日本は、地方が持つ価値観、歴史に裏付けられたアイデンティティが、あらゆる場面において体現可能な環境を創らなくてはならない。伝統とコミュニティを尊重し、地域住民がプライドを持って人生を営むことができるようにである。そしてこのことが地域の潜在能力を高め、地域経済の活力となり、理想的な地域、地方の発展につながってゆくのである。


■地方主権

最終的な形としてはやはり地方主権、中央には日本国という枠組みを留めるに必要最低限の機能を残し、その他全権を地方へ移転すべきである。日本は改憲なしに、国防等、結局は米国関与から完全に逃れることはできない。このように両国間が完全なる均衡関係にあるとは言えない環境下、中央政府に全権を置く現在の体制は、外交上の大きな「デメリット」を抱え続けることになる。日本に対し大きな影響力を有する国が、戦略的な方向性を持たない日本の中央政府と折衝に当たれば、これまでがそうであったように、地方市民の意向を切り捨てた政策に傾くことはそう難しい事ではない。

日本が西側諸国等にひいきにされた冷戦期や、隣国は後発国、共産国などといった甘い環境はとうの昔に過ぎ去った。数世紀、数千年に渡り、世界を股にかけてビジネスを営んできた中国やインドの復活を前に、日本はこれからも国家一丸となって輸出産業従事型国家を運営してゆくのか、各地方がその特性を活かした地方中心の国家に再構築するのか、あるいはその両方のいいところを折り合わせた国家構造であるのか、その選択をすべき時が来ている。そしてこの重要な選択は、今のままの中央政府が全国一元的に行うのではなく、市民の人生を責任ある形で見守ってゆくことのできる各地方政府が行うべきである。主権を持った地方政府は、その身近な地方市民に監視され、自由と責任、権利と義務の関係を曖昧なものにすることない民主政治、民主社会を確立しなくてはならない。

地方によってはドイツのような工業大国型社会を目指し、ある地方はスイスのような職人大国型社会を目指し、ある地方は観光、環境、農業を目指すなど、地方同士その特性を競うことで、日本は素晴らしく魅力的で、心底豊かな国になれると確信している。震災により壊滅的ダメ―ジを受けた東北の被災地へは、メモリアル的要素も含め首都機能移転を考えるべきである。

現在、残された時間の中で、比較的短期に中央の改革、すなわち利権改革を推し進めるには、これまでがそうであったように「外圧」が必要である。中央にとって一番近い「外」、それは地方である。また地方は日本の「内」でもある。まさに地方力こそが今必要な外圧であり、日本の内なる民主革命に他ならない。先進国として、非暴力かつ政治的に利権構造にメスを入れ、国家構造そのものを国民が望む形に変えることができたのなら、世界は日本の「チェンジ」に対する称賛を惜しまないことであろう。

2012年3月4日
■シンプルisベスト それは税も同じ

「通貨」は国家が持つ最大の権益。特殊な印刷を施した紙に、国が自ら信認を与え、人々はその「紙」とともに生涯を歩む。「税」は、その最大権益を操縦するツールとなる。

「税」は複雑であればあるほど、より広範囲かつ細かな部分で国の権益操縦が可能となる。逆にこれが単純明快、シンプルであったなら、国は多くの部分で権益操縦の場を失う。言い換えれば、国が権益操縦をあきらめる分、社会、国、世界が人々により近い存在となる。

良い税制とは、皆が進んで税を払いたくなる税制。そんなものがあるわけないので最低限、簡素で分かりやすい税制であるべきである。ここで全税、消費税への「一本化」という考え方が出てくる。所得税、法人税、住民税、固定資産税、社会保障料等すべてを廃止し、消費税に一本化する。年収はそのまま手取りとなり、事業主も、所得隠しや経費水増しに頭を痛めることもない。住宅からビール一缶まで、全ての売買において均等に課税され、人々は「税の苦悩」から解放される。

重要なのは所得に応じた「累進制」をどう担保するかであり、現状、それを困難にしているが不十分な所得把握である。日本ではサラリーマンやパートタイマーが厳格な所得把握と税徴収にさらされる一方で、政治家や企業経営者への所得チェックは極めて甘い。

庶民が苦しむ消費増税の中、富裕層が求める贈与税の緩和が再び議論され始めている通り、富の固定化を助長する構造が未だ残る。これを改めることが、デモクラシー(民衆主権制)を救い、「主義」からの脱却へと向かう。


■パーソナル・ナンバーで政治家、富裕層に厳格な課税を

そこでまず必要になるのがマイナンバー、社会保障番号などの個人番号制度。すべての経済活動において住所氏名だけでなく、個人番号の使用を義務化する。これは先進国はもとより、後発の中・韓国でも整備済みの制度。日本では厳格さ向上に向け、世界に先駆けた生体認証を取り入れるべきかもしれない。他国では当然の制度を、IT化が進んだ今になって始めるのだから尚更そうすべきだ。

お金に絡む全ての行動が透明化されれば、所得を隠そうにも隠せない。所得を隠せないのだから国も関与を慎む。それは国が一つの権益をあきらめることにもつながる。ここで現金の授受による裏取引を解決する必要がある。そこでマネーを電子化し、「貨幣」を廃止してしまおうということになる。

貨幣には目で見て手で触ることのできる安心感がある。芸術的要素も多く含んでいる。これを廃止してしまうのは残念なことだが、事の本質を考えれば、芸術のために国の関与を深めさせたり、不正を許す社会であっては元もこうもない。ここはスッパリあきらる。「一部」の政治家や、闇の組織がやり取りしてきた不正資金の授受を根絶する。今の時代、メディア報道を見ての通り、手渡しの現金にこだわるのは政治家と闇の組織ぐらい。その取引が人に知られたくない何らかの理由があるからにほかならない。


■必要なのは25%、40%なら医療・年金・学費無料

現在の日本の経済環境から考えると、税率は25%程度、一人世帯の年収250万円以下で全額還付(=完全無税)、それ以上は段階的に800万円程度まで還付可能か。税の簡素化とキャッシュレスで、広範囲に及ぶ公費削減も見込める。造幣局の廃止、国税庁予算大幅削減、国の関与低減、民間負担軽減等、利点大。

税率40%なら、充実した社会保障を行う「余裕」が日本にもある。基礎年金一人当たり月間10万円を受け取り、医療費負担ゼロ、大学までの全学費無料化も実現できる。この場合、税還付は200万から500万円程度の範囲になるだろうか。子がいる場合は異なる年収の還付基準を設ける。

人々の日々の経済活動には、電子マネーと個人番号カードに対応する「端末」を使う。これは各商店に設置される。この分野で既に先進的な立場にある隣国、韓国では、ITを屈指してこのような制度を導入している。やはり消費税10%へ引上げの際に、低所得者への税還付を目的に導入された経緯がある。

過去に当時の原口総務相が韓国のIT政府を視察し、医療を始めとする国家IT化構想への意欲を示していた事が記憶に新しい。日本ではこれをさらに進化させ、税還付だけでなく、電子マネー機能等を伴った真のキャッシュレス社会、ひいては生体認証を用いた医療IT化への発展も期待。

IT化による情報流出で怖いのは、金を取られるなどの実被害が出た時と、経歴や資産内容等と共に、あなたがどこの誰々という個人を特定する情報が漏れてしまうこと。このようなセキュリティ管理は今も既に重要になっている。しかしこれらを銀行等、各サービスの民間企業だけに責任をかけるのではなく、何らかの形で、国へもその責任の一端を負わせるべきである。他国政府の関与、攻撃が指摘されている直近のソニーに対するハッキングを見ても、一民間企業だけではウェッブセキュリティの責任を全うしきれない。


■訪日外国人、企業への対応

少しややこしいのは外からの経済活動(訪日外国人)や、グローバル企業への対応。消費税が高すぎては、せっかくの円安日本旅行が敬遠されてしまう。そこで訪日外国人(非居住者)へは、入国時に「消費税還付・渡航者カード」を発行する。スイカ機能付きなら尚よい(いずれプリペイドWi-Fi機能付も可能か!)。帰国時の空港で出国手続後に精算機に向かい、パスポートを読み取って支払済消費税の一部還付および、カードの返却を行う。

企業への税還付は方式が異なる。例えばある企業が、国内で消費税込みで購入した資材を使って生産し、それを国外で売った場合、現地消費税との差額分などを還付する。ただしその還付率は、国内の売上高に応じて設定する。高売上の企業はそうでない企業に比べ、仕入にかかった支払済消費税の還付率を下げる。一般的に、事業規模が大きな企業ほどインフラ使用率が上がり、国家、国民への負担が大きい。法人税ゼロなのだから、インフラ使用量に応じた負担が必要になる。

また国内より国外での売上比率が高い企業へは、異なる還付率で対応する。現状はグローバル企業ばかりが、膨大な支払済消費税還付を受ける制度となっている。海外からの複雑な電子部品などを使用して製造された輸出完成品など、どこまで厳密な税還付計算が可能なのか。国との蜜月な関係にあるグローバル企業への立入検査などは、一体どこまで厳密に行われているのだろうか。消費税一本化案では、今より遥かに公正かつ透明性の高い税制となることが期待できる。


■時代遅れな「軽減税率」という発想、膨大な国民負担

現代における「軽減税率」は一体、誰が何を基準に、どのように決めるのだろうか。当然、ここに国と特定の業界とで、税率を巡るせめぎ合いが起こる。一度決まってしまえばそう簡単に変わることはないのだから、業界団体も必死で政治家を抱え込もうとする。税の立案段階から、庶民の目の届かないところで、政官業が親睦を深めていく場がまた一つ生まれることになる。

仮に軽減税率が発効され、ある商店において複数の税率を持つ商品を取り扱っていた場合、それへの帳簿、経理は非常に複雑なものになる。カナダではドーナツ5個以内なら外食扱いで消費税6%、6個以上ならテイクアウトで非課税となるらしい。ドイツではハンバーガーを食べる場所によって変わる。店内で食べると外食とみなされ消費税19%、ドライブスルーで駐車場に回って食べれば7%。このアナログ時代の産物を、今の時代、これから始める日本で本当に取り入れるのだろうか。

複雑な税体系はその複雑さ故、「自分は誤って税を払い過ぎてはいないか」とか、「いや、何らかの節税対策があるはずだ」などと納税者に疑念を抱かせる。これが税や国への猜疑心となり、さらに「納税心」が削がれるという悪循環が生まれる。

複雑な分だけ国が関与を深め、またそこに権益が生まれる。本来、公平でなくてはならない税が公正さを欠く元となっている。やはり税は簡素簡潔であるべきだ。


■最大の課題、世界同時発効を模索

しかし、この制度には一つ難題が存在する。仮に一国だけで始めた場合、米ドルやユーロ、人民元など、信用ある他通貨を使った闇取引が行われる可能性が残る。それを防ぐため、銃や麻薬同様、その持込みや罰則を強化する必要性が出てくる。

他の主要国とともに開始することで、より大きな効力が発揮される。G7、できればG20で始まれば、他国通貨持込みの心配が大きく減少する。経済的信用のない国の紙幣を使った闇取引には限界がある。また、国家最大の権益に触れるBitcoinなどはいずれ規制の対象となり、その影響力が増せば増すほど規制が強化される運命にある。「世界通貨」となり得る資質を備えながら、それが各国政府に排除される運命にあることは非常に残念だ。

各国は、税率と課税対象者を自国の経済状況に応じ独自に設定する。みなが同一である必要はない。外に対する税はこれまで通り関税を設けたり、逆にFTA交渉を行う。


■平和裏に進む「国家間淘汰」

参加国毎に数値が異なろうと、同じ基盤の税制を持つことで透明性が増す。一国が行う税の権益操縦が容易でなくなる。これは何よりも民衆・民間の力が増すことを意味する。

これまで大企業、グローバル企業は自らの政治力を測りながら拠点を定めてきた。税が簡素化され、これに絡む多くの権益が解かれることで、経済的合理性に基づいた移動が始まることになる。

逆に強大な政治力を自社、グループ企業のために使い、人々や零細企業から機会の公正さを奪うような企業には、国から出て言ったもらった方がいい。長期的に見ればその方が、より公正な社会を構築することにつながる。米国や過去の日本を見て明らかな通り、戦争の影には必ずそれで潤う企業とその影響力が存在する。そのような企業が政治とともにある限り、安寧な社会、世界は訪れない。

もし人々にも、大企業並みに他国への移動(居住)の自由があったなら、また、同税圏内で年金・保険機構が独立し、国を通さない年金支給が可能であったなら、人気のない国からは多くが去り、どの国のリーダーが「裸の王様」であったかが示される。場合によっては不人気な国は消滅し、国家間の「平和的淘汰」が起こる。そして人々は所属、愛国とは何かという問いに、これまでとは異なる見地に立って考えるようになる。そこには、真のデモクラシー、「民衆主権」がある。


■あとがき

恥ずかしながら、同内容のメールをトマ・ピケティ氏に送った。氏は消費増税に消極的ながら、税の公平性について多くを語っている。なぜ「消費税一本化+低所得者への還付」ではダメなのかをぶつけてみたかった。


関連ページ:
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