Evolve or Die! -5ページ目

育自

梅雨間近みなさんいかがお過ごしでせうか?

なんだか最近は難しいご時勢で、とは言え逆境に強い私はなんだかんだ退屈はしていませんね。

先日、湘南サドベリースクールに行きまして、少し雰囲気を知ってきました。
http://shonan-sudbury.org/

デモクラティックスクール(自由民主主義的学校)と言うことで、授業内容、試験、学年分けが無く、会議で何をするかなどを決めていく学校ですね。

最近、まあもっぱら2003年くらいから、自分探しと言うことで、自分が見えない人たちが自分を探したりすることが流行りまして、まだ流行っています?探さないといけないと言うことは元から無かったのか、そもそも無いのか、或いは単に見えていないのか。

これにも言えることで、結局のところ人間が育児と言うことを児を育てるという考えになったことにより、依存が生まれたのではと思うものです。

私は今でも社会に不適合な感じです(社会的常識を疑う)し、子どもの頃からそんなでした。実際には行動には移さなくても(大人のせいにして盗んだ二輪車で走るような雰囲気の行為)、そういったものには反感を持ちながら、仕方なく取り込まれて、ふにゃふにゃな思考のまま、大学生くらいになり、やっと自分の判断でやるようになりましたが、結局何か自分のやりたいことは漠然としているだけで、なおかつそれを表面的な判断しか出来ていなくて、これは結局のところ、自分が何を望んでいるか分かっていないと言う、でも本能ですらない状態なのかもしれません。

結局ガキの頃に育"自"出来ていれば、やりたいことが分かるというか、自己判断が出来ると思います。それには自己責任も知る必要がありますかね。

概して、今の化物親なんかに見られる、してあげている感は、子どもを化物が育ててあげていると思ってしまっているのかもしれませんが、それは子どもを信頼していないのかもしれません。そういう人はたぶん自分(の可能性、もしくは存在そのものすら)も信頼できていないと思います。


というようなことと、その湘南で、メリケン人で数年通って卒業し、今は林檎電子式計算機で働く人が来ていまして、話を多少聞きました。

彼は確か3年くらい通っているんですが、1年目はひたすらに電子式計算機による遊びをやっていたそうです。そこまで徹底してやるとそのあとはたぶん飽きるんだと思いますが、その後はいろいろやり始めたそうです。そこの学校では大人の手伝いをする人がいますが、彼らは彼に何かをするように、勉強するとか、運動をするとかを促すことは無く自発的にやり、結果音楽とか、或いは友達と話しているときに突然脳科学だかそういった類のものをやりたいと思い始めて、学んだそうです。

でも、自分の立場で考えて、ああなんかやりたいことがあったはずなのに、あんまり出来ていなかったような、今は一切覚えていないものを勉強のためにと思う反面、今やることがあることはありがたきなことですね。

誰のせいにしよう

3.11の震災と人災があって、みなさんが色んなことを思ったと思います。

これほどに何かを考えさせられたことを活かしていけば良いんだと思います。


あれは震災でもあり、今人災も起こり、2次被害もあり、まだまだ被害は残念ながら終息はしないでしょう。

でも乗り越えていかなければいけないのですが、それも含めて、
「何のせいだ」と思うわけです。

実は何かのせいにすることは、創造や思考の停止に繋がるのではと思いました。

結構その話をしたがらない、あまり自分には関係ないだろうという感じでいる人もいますが、そういうのも考え方の1つで、あまり"暗そうな"ことを話さないようにしようとか考えないようにしようとかも分かります。実際暗いのではなくて、人災も含めた自然なことでもあります。

特に東京なんかもそうですが、札幌も含めて、我々は自然から離れて自然を押さえつけて生活しています。そんな中では、例えば車に轢かれれば、車を運転している人、メーカー、など"色々な人のせい"にすることが出来ます。

生肉を食うこと字体は自然ですが、それによって痛い目にあって、それも誰かのせいになります。原発も東電や日立?だか東芝だか、アメリカの開発したメーカーだとか、政府だとか、これまで容認してきたあ保安員とか、色々誰かのせいになります。

いや、良いじゃないか、彼らが悪いんだから。俺は金を払っているんだから。税金払っているんだから、良い国民だから。と言う風に思うわけです。

でも、本来そういう考え方で良いのだろうかと思います。

自然なものは、人間にとっては本来理不尽、不便、たまに迷惑なものでもあります(と言う風に思うものです)。

台風が来れば、雨が降り、風が強く、「人間が作って壊れると困るものが被害」に合うように人間の主観で思います。でも台風のせいにして台風を恨んでも意味はありません。いや、ウランでも良いですけれど、それでは人間的な成長は出来ませんね。

ということが何だというわけではないんですが、自然を知らないと、誰かのせいにして、解決をしようとしない、それで良いんだろうかと思ったんですね。いつもよりももっとまとまりませんが、あまりそういうことを分からずに他人のせいにばかりしていくことはちょっと何かが欠けることになるのかなぁと思いました。


そう考えるとですね、台風が来る理由がある、地球の何十億年の進化の過程において理由があるとなれば、もっと大きな意味で人間の全体的な意志(集合意識のような)も自然の一部じゃないかと思います。だから、理不尽なんです。他人を恨んでも意味が無い。

そう結論してみたんです。政府も理不尽なんです。自然の一部だから。(ついでに政府は国民の命のために政治をやっているわけではない、だから自衛は大事だと思います)


だから、何でしょう。みんな仲良く協力したら良いんじゃないかと言うそんなん当たり前じゃんということになるわけです。

Metis - 人間失格。
歌詞が響くます。
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人は誰も弱き生きもの
見えない幸せ探す旅人
過去は暗いままでもいいんだよ
君の笑顔が明日にあれば
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Myはたけ

震えてますか?DIJです。


さて、おとといは天気もよく2ヶ月ぶりに青葉区のマイ畑に行ってきました。
農業塾です。

http://ichigoichie.main.jp/blog/articles/blog/085223.html

最初は寒かったんですが、どんどん天気が良くなってきましたね。
外で作業できると言うのは素晴らしいことかもしれません。

1月くらいに、何かの空豆か何かを植えたんですが、寒さで死んでしまったようです。


そして、3ヶ月間、草を育てまして、写真のようになりました。
$Evolve or Die!
写真の下の、なかなかたくましいやつは茎が3,4cmくらいで、根も10cm以上あるそうです。普通に引っ張って引っこ抜けないほどです。

そしてもう良い感じになりましたので、ひたすらに全部鎌で刈り取って、今回はレタスと、ジャガイモを植えつけました。レタスが置く側の草がごちゃごちゃあるところで、溝で区切った辺りにジャガがいます。
$Evolve or Die!

レタスって雰囲気育てるのが大変そうですが、虫には強いそうです。
自然農家の塾長が苗から育ててくれたものを植えています。
収穫は5月末から6月には出来るんですね。まあ苗を育てるのが本当は半分くらい労力が必要なんですけれど。
草が回りにごちゃごちゃあるのは、抜いた後のをまだ小さいレタスの周りにおいて、最近の強い風や寒さから守るための壁みたいな感じです。後そこに草があると、下から草が生えるときに邪魔すから良いかなぁとか適当に思ってやってみました。本当は藁とか置くのも良いかもしれませんね。

じゃがいもはなぜか北海道産のものの芽が出たものを植えました。こちらは収穫できたとしたら、6月末~7月頭。

植える楽しみがありますが、これから夏にかけての(ここで地震警報なる)地震じゃなくて、草取りとか大変なのかなぁと思っています。