しんや@SFのブログ
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おそらくどんな人でも、
生まれてから変わらないものがある
それは、魂のクオリティ

私は再び自由になる
過去を捨て
知識を捨て
この偏狭の地から
自由になる
そこには
そこでしかない凝り固まった見地と
思考のパターンがあるだけだ
そこにいて胸が詰まることは
それらの与える方法でしか
ものを感じること、
ものを捉えること、
ものを考えることができない
そしてそこにすっぽり閉じこもった自分は
なんとちっぽけなことか
なんと息苦しいことか

私のクオリティー
どんなあたり前も
どんな先入観も既成概念も
私は決して信じない
そこにどんな統計があろうと
どれだけの偉人がそれを真実だと言っても
それは自由だから

私は再び自由になる
たかだか数十年生き
見て、聞いて、触れて
そして考える
ぼくらの考えは
その範疇から決して出ることは無い
あれがしたい、これがしたい
こうなれば、ああなればいい
それはたかだか
限り有るこの肉体と脳みその
手の届くところ

ふと思った
もしかすると
考えずに、求めずに行くところ
それは
偉大なもの、畏敬なるものの知るところ
想像のできないような
到底考えの及ばないような
想いもよらない何か
何も無いまっさらな真空
そしてそれが
大きな大きな意味での
あなたのいるべきところ







(悲しみ、苦しみ、それは感情であってなんでもない。意味は全てにあるけど[すべてが相関しているという意味で]、善し悪しなんかない。それは全て相対的であって絶対的ではない。ぼくらは予測の出来ない未来に確かな保証を与えようと躍起になるけれど、自分が施すものなんて恐ろしくそれは貧相なもの。それよりか、すべての来るものを[それが、一見苦しそうであろうと、悲しそうであろうと]抵抗無しに受け入れること。その行為には言葉では言い表すことのできない可能性が含まれている。たとえそれが死であろうと。)
動物園を歩く
おりの中で行ったり来たりする
虎やライオンや象やゴリラを見て回る
その中には大きなものや小さなものがいる
そしてのろくて餌にありつけないものや
素早く餌にありつくものがいる
醜いものや可愛いものがいる
しかし一体それらを彼らは
気に留めているだろうか
私の思うそれらの言葉と同じように
彼らは感じているだろうか

私たちが考える言葉を
彼らはまったくもっていない
山も海も雲も木々も
それは同じこと
正しい山と間違った山はない
自由な海と不自由な海はない

犬は痛いときに鳴く
だが痛くないときに痛みを思い悩まないだろう
猫もお腹がへれば鳴く
だが明日が食べられるかどうかを気にはしないだろう

それは動物に知恵がないから
自然はバカだからとあなたはいうだろうか?
そう考える人間の頭脳ですら
自然が生み出したものなのに
馬鹿が天才を生み出すことができるだろうか?
一体狂ってしまったのはどちらだろうか?