my style yoga

my style yoga

私たちの生活に優しく寄り添ってくれるyoga。
yogaの知恵や哲学の私なりの取り入れ方をかいたりしています。

Amebaでブログを始めよう!
「より早く、最短で結果を出す」

最近、よく見かけるフレーズです。



これ、ちょっとした違和感を感じるのは私だけ??



効率を重視して、大量生産、というやり方。

男性的なやり方ですね。

そういったことが必要な時もありますし、今の世の流れなのかもしれない。


でもねー。こういったやり方をとる根底にあるもの、それは強い自我なんじゃないかなと感じる。

「思い通りに物事を動かしたい。」
「俺が有能なことを証明したい」

とか。

それが悪いわけじゃないですし、その欲求を上手につかえばいくらでも素敵な方向にいけるとは思う。


けれども。


私は女性であり、保育士という職業についているからかもしれませんが、

「プロセスを味わう為にここにいる」

という考え方が強いです。

できるようになるまでのプロセスを体験する為にいるんだから、最短でゴールを目ざす必要が果たしてあるのかしら。と。

ゆっくりと時間をかけて、少しずつ成長していくことはとても素敵な事だと。

その育ちを暖かな目で見守ることが母性だと感じる。



男性は国家とオヘソが繋がっていて、女性は地球と繋がっている、という言葉を聞いた事があるんですが、なるほど、と思ったり。


一歩一歩きちんと段階を踏んで進むこと、そしてそれを慈しむことは、今を生きる、ということです。
そして、それができるということは、自分の中心にいる、ということ。

そんなふうに捉えながら、前を向きつづける、可能性を信じ続ける。



何だかねー。長い道のりですが。
そして、それをショートカットしたりもできないけれど。

そんな旅の友として、ヨーガがあるのだと思うのです。





こんにちは!

今日はニュートラルな生き方について書きたいと思います。

昨今、前向きに生きる!とか、◯◯を掴み取る!とか、理想の自分になる!とか、そういった自己啓発系の考え方が増えていますね。

前向きに生きることについては、賛成です。
わたし自身も、こうなったらいいな、という思いはありますし、そちらの方向に近づくように努力しています。


反対に、ヨーガ的な生き方というのは、すべてを受け入れ、欲望を手放していく生き方です。
起こることに囚われず、感情に流されず、ただ見つめてオッケーを出して行くんです。

自己啓発系の強く念じることで何かを掴み取る、という生き方とは真逆ですね。

私は過去に両方やりました。

自己啓発的に今の自分でない自分を追い求め走った時期もあったし、それが嫌になって極端にヨーガ的に生きた時期もあった(笑)

なんかねー。極端な性格なんですよね(笑)


で、思ったのはですね。

両方やればいいんじゃないかな、ということです。



なりたい自分を目指し、行動をするのは、素敵なことです。
この世界は具現化の世界です。やりたいことはどんどんやってみたほうが楽しいですよね。

ただ。
ポイントとして、今現在を否定しない、ということが大切だなと感じます。

生きてれば色んな時期がありますね。
調子のいいときもあれば悪いときもある。
特に女性は、身体の構造上、いつも一定でいるのは難しいです。

「こうしたいけど、できない」
そんな時もあるさね。


そんな自分も、ただ静かに受け入れちゃいます。
そこに「できなかった」ということに対するジャッジは入れずに。

といっても、ジャッジしちゃう。自分に対して否定的になっちゃう。


こういうときはメディテーションがオススメです。

ただ、座って目を閉じる。

最初は、あらゆる想念が浮かんできますが、それに感情移入せず、見つめるんですね。
(このプロセスをやってみると、自分の感情や考えかたの癖が見えてきます )

それが落ち着いてきた頃、静けさがやってきます。

その静かな心のまま、実際に目を開き、今を見つめます。

きっと、さっきまでとは、目にうつる景色が変わっていると思います。
この世界の美しさに心を開き、開かれたハートを感じます。

そして、「今、何をしたらいいか」をハートを通じて感じてみるのがいいと思います。




感情に蓋をするのではなく、ニュートラルな意味での前向きさ。
それは、強くしなやかな生き方だと思います。


「川が流れているとして、上の方に綺麗な花が咲いていて、あなたはそれが欲しくなった。
流れに逆らって傷だらけになりながら逆流するのも一つの手かもしれないけれど。
上から流れてきた花びらを、そっと手のひらですくい取るように生きるのはどうだろう。」


今日はそんな感じです。

新年度を迎え、環境が変わった方も多いかと思います。

みなさん、いかがお過ごしでしょうか。

わたしは普段保育士をしているので、そりゃもうガラッと環境が変わりまして、毎日セカセカしています(笑)


頭の中はせわしないですし、呼吸が浅く、骨盤が締まっている感覚があり、眠りが浅めです。

完全に交感神経が優位になっている状態。


活動的なエネルギーのことを「ラジャス」と言います。

この世界は3つのエネルギーで成り立っている、というのが、ヨガの考え方です。(グナと呼ばれます。)

まず、「サットヴァ」と呼ばれるエネルギー。
これは、軽さ、静澄、など。スッキリとした印象ですね。
増大すると、愛、優しさ、知性になると言われます。

2つ目が、先に出てきた「ラジャス」
これは、動き、活動、活発。
増大すると、怒りに変わります。

そして、「タマス」
これは、重さ、惰性、かたまり。
増大すると、怠慢、精神活動が低下し、鈍感になると言われます。



私は今、ラジャスが高まっているので、なるべく落ち着くよう心がけています。



呼吸を心がけたり、仕事の時以外は、ゆったり動くようにして。
家事も自分に完璧を求めないことにし、まぁいいかの精神を大事にしてやりすぎない。とか。
(この、まぁいいかが行きすぎるとタマスになるんですが笑、そうなったらなったでこんどは動くようにしていく感じです。)



大事なのはバランス。ですね。



今、外から雨の音がする中、この文をかいています。


心が静かになる、鎮静の音。

目を閉じて聞いていると、静けさが広がり、ハートがクリアになる感覚。
軽いメディテーション状態で、サットヴァに近づくのがわかります。

この、ハートがクリアになる感覚、というのはとても大切で、そこに今の自分に必要なものがあります。




みなさんは、今グナでいうどのエネルギーに傾いていますか?

今、あなたのハートが静かにクリアになるものは何ですか?




昨日、印象的な出来事がありました。

北海道直送の毛蟹を頂いたので、その日に遊んだ友人におすそ分けしたんですね。

調子にのって「毛蟹あげるよー!美味しいらしいからみんなで食べて!」なんて言ってね。


でね。包んでいたら、蟹の脚が、何本ももげていることに気がついた。(°_°)
しかもサイズもずいぶんと小さかったのであります。。



「こんなのあげて良いのだろうか...」

と思ったんですが、もうあげると言ってしまったし、親しい友人なのでまぁいいかなと。




次の日、友人からメールがきまして。

こう書いてありました。

「蟹をくれて見送ってくれたときの笑顔が、心からの素晴らしい笑顔で、本当に嬉しくなった」




・・・うん。

確かに私は心から笑顔を君に向けていた。



でもね・・・。



「蟹の脚がとれてるけど(しかもミニサイズときたもんだ)、期待させといてほんとすまんです」
って気持ちを込めた笑顔だったのよ・・・。




そんなちょっとした罪悪感をですねー、笑顔で打ち消そうとした姑息な(笑)ワタクシだったわけですが、彼の目にはそうは映らなかったわけです。




さて。

私たちは、自分の心の眼鏡を通してこの世界を見ているんですね。

この世界は、自分自身を映し出す鏡、です。



先の例で言うと、私の友人は、私の笑顔をすごくピュアなものとして受け取りました。

彼の世界では、それが真実です。

わたしは渡すときに「蟹の脚がとれててさ。ごめん」と彼に伝えていたので、もし、彼が「脚がとれてるのにくれるなんて常識がない」という感覚の持ち主であれば、わたしの笑顔はまた違って映ったのだと思います。

すごく純粋な目で人を見る彼の世界は、きっと美しいのだろうな。と感じます。



みなさんの心の眼鏡は、どんな状態でしょうか。

外側の事象に対し、どんな心模様を映し出していますか。



本来、この世界で起こる全ての事象は、いいも悪いもないというのがヨガ的なスタンスです。

いい、悪い、というのは、私たちが勝手に決めているだけであり、あらゆる出来事はニュートラルなもの。
「ただ出来事が起きているだけ」。

「ただの出来事」をそれぞれの心の眼鏡を通して見ています。

眼鏡に青い色がついていれば、青く見え、汚れがついていれば汚れて見えるでしょう。



自分以外の誰かに対して要求することより、自分の心の眼鏡をピカピカにするのが先決です。



あなたの世界を輝かせるのは、あなたです。

曇らせるのも、またあなたです。


曇っていることが悪いわけではないけれど、どうせなら気持ちよく生きたいなぁと思いますよね。

「今、こう思っているけど、もしかしたら自分の眼鏡の曇りかも」

そんな風に気がつくだけでも、どんどん浄化されていきます。



最後に。

蟹についてなんですが。

味は良かった!!



今日、ひょんなことから、プリキュアの映画を見ました。

みなさん、プリキュアはご存知ですよね。
お子さんと見たことのある方も多いかと。

今回、映画を見てねー。
よくできてるなぁ。と思いました。
人の心の作用(ヨガではチッタ.ヴリッティといいます。)を上手に描いていたんですね。

ストーリーを簡単に説明すると。


※以下ネタバレ注意!!!!!








ちょっとヒネくれた妖精がいます。
彼は、プリキュアを支援する妖精になるための学校に行っていますが、「プリキュアなんかいなくたって、俺1人で敵をやっつける」と言って授業を飛び出します。

飛び出した先に、心の陰を映し出す玉がありました。
彼の陰が具現化し、言います。
「どうせ誰もお前の気持ちなんかわかってくれない。つまんないな。プリキュアをやっつけちゃおうぜ。面白いことになるぞ」

陰は妖精をそそのかし、どんどん大きくなります。
そして、プリキュアの変身グッズを盗み、動けない状態にし、どんどん暴走していきます。
学校を破壊し、太陽も、森も、どんどん闇に呑まれていきます。

「どうだ!俺はこんなにすごいんだ。あぁ面白い、もっとやってやる」
妖精が我にかえって止めようとしても、陰の勢いは止まらない。

結局、プリキュアの光のパワーで、最初の小さな陰に戻るのですが、最後に妖精と陰が仲直りをして終わるんですね。
「俺はプリキュアが羨ましかったんだ。ほんとうはみんなと仲良くしたい。おまえもわかるだろう?だってお前は俺なんだから。」
「ぼくも仲良くしたい」そう言って陰は消滅します。




このお話をヨーガ的な見方をするとですね。



陰は欲望ですね。
最初はちょっとした「寂しさ」だったかもしれない。
その心の作用が「自己顕示欲」に変わっていく。

自己顕示欲は、他人を傷つけたり、プリキュアをやっつけ、自分の力を誇示するごとに、どんどん膨らんで、力を増して行く。

餓鬼っていますよね。
食べても食べても満たされず、永遠と彷徨う餓鬼。
あれは、欲望の象徴なんですね。
叶えれば叶えるほど、まだまだ欲してしまう。

そして、欲望に主導権がわたってしまい、翻弄される。


そしてですね。


この欲望に対して、「いけない!」と叩いても、一時的に小さくはなりますが消えはしない。
その陰が悪いからやっつける!と攻撃をしても、完全にはなくならないんですね。


ヨガでは、いい、悪いのジャッジはしません。
このお話のなかでは、光が良くて闇は悪い。という構成になっています。実にわかりやすく。


しかし、この相反する陰と陽の要素ですが、光も強くなりすぎれば闇になります。その逆もしかり。ほんとうは繋がっているんですね。


最後に、本人が自己顕示欲や寂しさを認め、本当の気持ちを口にすることで、陰は幻のように消え去りました。

そう。

心の作用ってほんとうはそのくらい単純なのだと思います。




否定的想念が起こったとき。

「こんなことを思う自分は最低だ」とジャッジする癖はないですか?

あったとしたら、やめていいです。ジャッジを手放してみます。


そして、少し向き合ってみましょう。

「この陰はどこからきているのかな。」
「ほんとうは、どうしたいんだろう。」

怖い、と感じるかもしれないですね。

でもね。

幻のように消え去った陰のように、いちど蓋をあけてしまえば、ほんとうはたいしたことなかった、となることがほとんどではないかと感じます。

これは、仏教でいう内観法の一つ。




あー、プリキュアからなんでこんな話になったのかしら。

プリキュアやるなぁ。

今日はそんな感じでおしまいです(笑)