ストレス解消法は何?
自分にとって楽しいことって何?
そう聞かれると困ることがある。
もちろんないわけじゃない。友達と遊ぶのもオシャレも楽しいし、ストレス発散になる。
けど、いつもできる訳じゃないから、
日常的にできるストレス解消法は?息抜きは?って聞かれると、言葉が詰まってしまう。
前回のブログでも書いたように、私の一番のストレス発散法は「自分じゃない誰かになりきって現実逃避すること」
だから、インスタやらTwitterやらで普通の大学生が撮ったオシャレな日常の写真を見たり、推しの日常を探ったりして、真似たり、想像したり、なりきったりして、生活を楽しむ。
(これもTwitterの知らない人のやつ↓)

別の人になりきることで、努力したり、成功した気分になったり、認められたりした気分になる。
辛い時には悲劇のヒロインになって空想の中の親しい人に慰めてもらったり、空想の愛情深い恋人に全てをぶつけたりして、周りを見返す。
誰かになりきった生活をイメージすることで明るい未来を想像して楽しくなることもある。けど、大抵は、ダークマターみたいなグロテスクな気持ちがストレスにプラスされて余計苦しくなるだけのことが多い。
誰も自分を気にかけてくれない。
気づいてもらえない。
自分はひとりぼっちだ。
っていう気持ちになって塞ぎ込んでしまう。
そういう時は大抵、
”自分が欲しいものをくれない人=自分が嫌がることをする人=自分は愛されてない”っていう思考回路の時が多い。
だから、現実逃避(ストレス発散する)=努力できない(良い結果を作れない)=ネガティブになって余計辛くなる。
結局のところ、現実を上手く清算できないから、現実を変える行動ができないままになってしまう。
想像力や感受性が強いのはいい事だけど、こんな湾曲した考えのままじゃ、根本的な解決にならないっていい加減自覚してる。
だから、今回は自分が妄想する時(ストレス溜まってる時)に何を求めてるのか、何があればストレス発散になるのか、普段の妄想をぶちまけて、その中で解決方法を探せたらと思う。
妄想する時に自分の気持ちを乗せる人物には昔から一貫性がある。(スーパーラヴァーズの零にすごく似てる。)
男らしい。体力がある。発言力がある。周りから一目置かれている。周りに媚びを売らない。一貫性がある。誰かの真似をしない。女性らしい言葉遣い、しぐさ、賢さの中に、芯の強さがある。
不器用だけど、周りがそれを認知していて支えてくれる。周りに流されない。言葉が少なく余計なことは言わない。周りの人が合わせてサポートしてくれる。
決まって女性らしい姿の中に少年みたいな衝動性を持っていて喧嘩が強くて、意見を言うのにビビらないし、周りを動かす力がある岩みたいな人物だ。
だけど、少し怖がりなところがあるから、周りの人はそれを可愛いと思ってる。
そんな強い人をイメージすることが多い。髪の長い物腰柔らかなフェミニンな女性と言うよりは、ショートヘアでさっぱりしているけど、パッと見女性らしい穏やかな人。だけど、キレると怖い。みたいな人を想像する。
ここではイメージ通りレンと呼ぶことにしよう。
レンはダンスが得意でアクロバットができるけど、日本舞踊をしているから女性らしいしなやかさもあって中性的な色気のあるダンスをする。
声も中性的で、ピアノ、バイオリン、琴、三味線、ギターは一通りできる。
アンニュイな雰囲気で披露する踊りや音楽は、周りから一目置かれて人の心に残る。
正直この辺は、私の好きなものを詰め込んだただ憧れだと思う。
決まって、松村北斗とか佐久間大介のダンスを意識して音楽を聞きながら、こんなダンスでこんな会場のあんな照明やこんな衣装で………………
って考える。それが、めっっっちゃ好き。
これはストレス発散っていうか、普通に音楽を聴く時に頭にあることだ。
自分の表現の一部なのかもしれない。
一度はkingunuくらい世界観のある楽曲を作れるくらいの技術を持ちたかった〜なんて思う笑
自分の中にだけあるものをこっそり表現して、それに誰かが共感してくれるっていうイメージがすごく好きなのかもしれない。
非言語的で曖昧なものが特に好きだ。
この辺は性癖とか趣味の話だ。
だって、別にアーティストになりたい訳でも男の子になりたい訳でも、今どきの中性的な人になりたい訳でもないんだもの。
でも、憧れは少しだけある。
男らしさ?というか芯の強さ?努力家で一途で結果を残せる、認めさせるような人に憧れているんだと思う。
”悔しい”って気持ちが欲しいのかもしれない。
とにかく”レン”は調子がいい時はただの一般だけどアーティストみたいな周りから一目置かれる人だ。
だけど、私の調子が悪い時は、酒に狂ってクラブで暴れ回ってものを壊して音楽に気持ちを乗せるし、時には力じゃ適わないからって刃物を使ったりして一線を越えようとする。
尊敬する師匠が亡くなって、自分の目指していたものがなくなって自暴自棄になる。この自暴自棄になる気持ちは決まってあのグロテスクな気持ちだ。(ここで言う尊敬する師匠は妖琦庵夜話の伊織イメージなことが多い。)
男性的な暴力性を持って暴れるのに女性として誰かに受け止めてもらいたい、弱さを認めて欲しい、親のように〜だったんだねと声をかけて欲しい。そんな感覚だ。
これは、現実世界に恋人がいると大きく変わる。
レンとして衝動性を強く持った私は、恋人の首を締めたり、束縛したりする。
それは、恋人が浮気をしたり、私を不安にさせるようなことをした時のことを考えてしまった時になる。
これはまだ実際に起きていない最悪を想像してる時だ。なぜそんな予兆もないのにこんな想像をして苦しくなってしまうのか、分からないし、正直このグロテスクな気持ちと連動した不安が対人関係でやっかいになることが多い。
きっと、不満を言えなかったり、甘えた時に相手をして貰えない時や、私自身が素直に甘えられない時に爆発してそんなことを考えてしまうんだと思う。
そんな想像をする時、相手はとても辛そうな顔をする。酷い時には病んでしまう。
ただの当てつけだ。
でも、相手が病んでいるのや傷ついてるのを見たり、すまなかったと泣いて縋って私になすがまま虐められている姿を見て、虐められているのにそれでもなおしつこく私を追い求める姿やそれを自分が掌で転がすことを想像して、安心や愛情や興奮を感じる。
この当てつけのルーティンは恋人だけにじゃなくて、割と昔からある。
自分が何も言わずに家から出ていって、こっそり盗聴器を仕掛けておけば泣いて後悔する家族の姿が見れると想像して、ストレス発散していた。
家族に対しては自分がいなくなった時に追いかけて欲しかったり、優しくしなかったことや自分を理解しようとしなかったことを後悔してほしくて
恋人に対しては、私だけ見ていることを証明して、首を絞めたり、私の体をいたわったり、激しめの愛情表現をして、絶対に離れない姿勢を求めてる。
どっちも一方的で粘着質で依存的だ。
だから、私は私の意思を尊重して「そっか、そうなんだ」とすぐに納得してしまう人は苦手だ。それだけじゃ足りないと思う。
足るを知らないとはまさにこの事だ。
欲望は底なし沼だから、幸せの基準は自分で決めて納得したい。

①自分の中での愛情は粘着質性の強いもの(過剰でないと愛情を感じない)
②自分意思を尊重して、一任してくれる状況に愛情を感じにくいこと
③自分が成功した時のイメージではなく、暴力的に気持ちを押し付けるイメージが多い
④妄想には気持ちがスッキリするまで終わりがない。特にストーリーの最後の解決や和解が存在しない。相手が音を上げるまでいじめ続ける。
ここまでまとめていて、この4点が妄想の構成だと分かった。
この気持ちは認めて欲しい、かまって欲しい、さみしい気持ちか土台にあるんだと思う。
構ってくれなくなったらどうしよう…………とか、相手を脅したり、揺さぶったりして、愛情を必要に確認してしまう。
愛着障害やアダルトチルドレンという心理学的領域の話になってくる。
そこまでは私には分からないけど、少なくともあのグロテスクな気持ちが育ってぶつけたくなるのは、
”構って貰えない時、寂しいとき、不安な時、疲れている時、先が分からない時”に多くて、
発散の仕方は、解決ではなく”ぶつけて一方的に満足すること”だ。
そこには、気持ちを理解して欲しい相手の存在は含まれていない。
私の一番苦手な相手の状況や気持ちを慮る能力の欠如がこのグロテスクな気持ちを余計に育てて一方的な言動に拍車をかけてしまってるんだ。

話は戻って、明るい妄想の時の話だ。
これにも一貫性がある。
グロテスクな気持ちの処理ではない時の妄想?や憧れ、理想は、こんなものでてきてる。
基本的に先程と同様に自分として、ではなく、他人としての視点のストーリー構成になる。
その時の推しになりきって、生活を想像して、それを真似ることで、自分の生活が彩ったような快感を得る。
特に私は高校時代の友人を未だに追い続けている。正直ネトストだ笑
苦労してるくせに能天気でマイペースでカリスマ性のある彼女を尊敬してるし、大人っぽいな〜って憧れて、見ていてなんだか心地が良い。
彼女だったら自分と違って、〜って考える、そもそもそんな状況にすらならない、なんて考えて、写真や見た目から姿形だけを真似て満足してしまうんだ。
自分が自分として努力して手に入れたものよりも、人が努力して手に入れた形だけのものに執着したり、憧れたりするから、
結局手に入れても虚無感しか残らない。
だから、次へ次へと色んな人に憧れて、真似をして、なりきることで、
自分自身が努力するはずだった苦労や壁に当たった時の辛い気持ちを回避して、
楽をして憧れや栄光を手に入れるんだ。
中学生の頃、体育が大嫌いだった。
だから、体育祭練習も嫌いだった。
練習は嫌いだけど体育祭自体はお祭り騒ぎな感じで好きだった。
練習の時、息が上がって苦しい、砂が当たって痛い。それが我慢ならなかった。
それを友人に零したら「皆同じだよ」と冷たくあしらわれたことがあった。
今でもよく覚えている。
覚えているのは友人の言葉がまさしくその通りで図星だったからだ。
優しい友人の「大丈夫?」「一緒に頑張ろうよ」なんて言葉を期待していた。
その時もきっと私は自分のことしか考えてないし、努力もしてない。
今だったら「これ痛いね」「こうすると楽になるよ」「あと少しだからお互い頑張ろう!」って愚痴りながら言えると思う。
そう言えるのは、お世話になった上司が私よくそう言って励ましてくれていたから。
自発的に自分で考えて頑張った経験が私には無い。その甘えが結局自分の気持ちにも向き合わず、人にも向き合わず、人生の課題にも向き合わずで、いろんなものを放置して山積みにしたのが、今のこの結果なんだ。

他人の生活を見て安心する。なんていうのは、自分の人生から逃げてる証拠だ。
他人の批判をして、努力の結果を妬む時間があるのなら、自分として自分なりに努力して手に入れたものを磨きなさいよ。
とにかく、私は判断するのも億劫だから人の意見に耳を傾けるとか中間地点をとることで、自分で判断することの責任から逃げてる。
これは、自分で考えて調べるよりも先に、人にすぐ聞いたり、確認したりする行動に繋がってる。
SNSに転がった他人の判断基準でみた生活を見てその幸せに浸るのも、自分自身で自分の人生のために努力しない行動に繋がってる。
努力しない、向き合わない姿勢が、価値基準を他人に委ねて、他人っていう色眼鏡がないと生活できないようにしてしまっている。
だから、恋人にも家族にも友人にも依存して、
”誰か〜して”っていう都合のいい気持ちだけ、育って、自分で飼い慣らせずにいる。
人体錬成でホムンクルス作ったら自分で制御できなくなった錬金術師みたいな感じだ。
自己処理はしたい。
今すぐにこの問題を解決して自立をするのは正直難しいと思う。
だから、今は依存を防ぐことで自立を目指そうと思う。
いつも周りに与えられてばかりだ。
自分から餌を取りに行けない鳥みたいだ。羽を持っているのに待つばかりで羽ばたかない。
それでも餌をくれる人がいるのに、文句ばかり言う。
なんてめんどうな拗らせた女なんだろうか。
これからは人に与える側になろう。
待つばかりの大人なんてダサい。
客観視は苦手だけど今日は少しだけ客観視できた。
せめて、自分に良いものを与えられる人でいよう。自分で自分を満たそう。
そうやって幸せの基準は自分で決めて、幸せは自分で育てて、その中で自分の価値を高めていきたい。
