以前、友人に第二子が生まれたという報告があった。
「出産祝いを贈る」と伝えたところ、「お返しが面倒だから要らない」と言われた。
お返しが面倒なのはわかる。
実際、前回の出産時には、私が出産祝いを贈る代わりに、私の結婚祝いを贈ってもらいチャラにした経緯があった。
ただ、私の中で1つ不安が残った。
第一子には出産祝いがあって第二子にはない、という不公平が生じること。
私から「第一子の時に贈ったのに、第二子にないのは不公平になっちゃわないかな?」と伝えた。
友人は「本人はそんなの分からないから大丈夫」とのことだったので、私は了承してお祝いの言葉だけを贈った。
その時に友人に対して「心から親になってしまったな」と感じて悲しかった。
「どうせ子供にはわからない」というフレーズを聞きたくなかった。
そうやって、子供と親に上下関係が生まれていることに気づかない親に成り下がってしまったのかとショックを受けた。
確かに、赤ちゃん自身にはわからないかもしれない。
でも、赤ちゃんが自分で物事を考えられるようになった時、姉弟で差が生まれている時に気づいた時、少なからず思うところはあるんじゃないかな。
友人の子供がそれを友人に訴えても、きっと親身になって対応してくれないのだろうと思う。
私自身、妹との対応格差に悩んでいたけれど、気を遣って結局親に何も言うことができずモヤモヤし続けた経緯がある。
お年玉の額であったりプレゼントの内容であったり学歴へのプレッシャーであったり、親にとっては些末なことが子供にとっては大きな心にしこりになる。
それに気づけなくなるのが「親」というものなのだろうな。
世の中の子持ちの方が読むブログの大半が「親の苦労を分かち合うためのもの」であって「子供目線の気持ちを理解するもの」ではない。
知的障碍者や発達障碍なんかの子供を持っている人は子供の気持ちを理解してあげないとやっていけないから見ている傾向はあるけど。
親がどれだけ子供を大事に育てているかのアピールはあっても、自分の親がどれだけすごかったか気づいたという気持ちの吐露はあっても・・・子供がどれだけ親に気を遣って、親の望みをかなえようと努力しているかを分かろうとしている親なんていないのかもしれない。
というよりも、「子供が気遣ってくれている」と気づいていても、それが当たり前になっていたり、気遣うまでの気持ちの整理をどれだけ行ってきたかをに配慮することはしていないように見える。
親が子供を見てきた年数と同じだけ、子供も親を見ている。
何をしたら親が困って、何をしたら喜ぶのかもある程度見えている。
だからこそ気遣いをせざるをえない。
だって「親が育ててあげたのだから恩返ししないといけない」という洗脳を生まれた時からされるのだから。
私には子供がいないし、今後も望めない。
もし私が離婚をして子供を持てるようになったのなら、私も親に成り下がるのだろうか。
私に子供ができないから、皮肉で親というものに思うところが出てきてしまうのだろうか。
分からない。