今日は感動とは何かについて考えていきます。
まず感動とは何かを考えるにあたって、どのような時に感動するのかを考えます。
例えば、映画を見たときや本を読んだときなど種類は多数あります。
個人的な意見では、
感動とは、人間がもつ心と心が共鳴し、震わすことではないかと思います。
音楽を聞いていると、そのメロディーと自分の心が共鳴し感動します。
感動することは人間誰にでもあり、また感動が人間を強く成長させるのではないか。
しかし、最近感動が市場原理主義の恰好の獲物となっている。
感動とは本来、偶然心と心が重なって起きる現象であり、さらには偶然性が感動を際立たせます。
したがって意図的につくられた感動は、偽者といえるでしょう。
感動することを、「なんかいい」「気持ちいい」と表現する人が増えてきてます。
人間は一度その快楽をしったら、その快楽をもとめます。
薬物などは法的規制もあり人的害もあります、しかし感動を買うのにそのようなデメリットはありません。
要するに誰もなにも考えずに感動することができる世の中なのです。
もう一度、感動とは何なのかを考え直してみる必要がありそうですね。
最後に、前回教育について述べましたが追記です。
義務教育とはいわば壁です。
子供たちを、市場原理主義の嵐から守るための壁です。
だから子供たちは社会をしらなくていい。
純粋な心をもち成長してほしい。
大人になって市場原理主義の嵐の中に「自分」の居場所を見つけることができるようになるための布石、それが義務教育ではないのだろうか。
純粋な心の居場所、それに何かが触れて、感動させる。
のではないかと考えます。