今日は感動とは何かについて考えていきます。



まず感動とは何かを考えるにあたって、どのような時に感動するのかを考えます。

例えば、映画を見たときや本を読んだときなど種類は多数あります。


個人的な意見では、

感動とは、人間がもつ心と心が共鳴し、震わすことではないかと思います。

音楽を聞いていると、そのメロディーと自分の心が共鳴し感動します。


感動することは人間誰にでもあり、また感動が人間を強く成長させるのではないか。


しかし、最近感動が市場原理主義の恰好の獲物となっている。


感動とは本来、偶然心と心が重なって起きる現象であり、さらには偶然性が感動を際立たせます。

したがって意図的につくられた感動は、偽者といえるでしょう。


感動することを、「なんかいい」「気持ちいい」と表現する人が増えてきてます。

人間は一度その快楽をしったら、その快楽をもとめます。

薬物などは法的規制もあり人的害もあります、しかし感動を買うのにそのようなデメリットはありません。

要するに誰もなにも考えずに感動することができる世の中なのです。


もう一度、感動とは何なのかを考え直してみる必要がありそうですね。






最後に、前回教育について述べましたが追記です。




義務教育とはいわば壁です。

子供たちを、市場原理主義の嵐から守るための壁です。



だから子供たちは社会をしらなくていい。

純粋な心をもち成長してほしい。

大人になって市場原理主義の嵐の中に「自分」の居場所を見つけることができるようになるための布石、それが義務教育ではないのだろうか。





純粋な心の居場所、それに何かが触れて、感動させる。


のではないかと考えます。






お久しぶりです♪
今日は教育について、考えたいです。

まずはニュースより、

2010年4月26日付・日本経済新聞朝刊オピニオン面の、『領空侵犯』と題されたインタビュー記事をお読みになった方がいらっしゃるかもしれません。そこには、野村資本市場研究所シニアフェローであられる関志雄氏による、英語教育に関する提言が掲載されていました。「英語を全員必修ではなく選択科目にして、本当にまじめに勉強したい少数の生徒に対象を絞り、もっとレベルの高い英語教育を施して国際人を養成しては?」と述べる関氏に対し、インタビュアーである編集委員氏は、「劇薬である」との感想を付記しておられました。しかし、かねてより関氏と同様に考えていた私は、「その劇薬こそ、我が意を得たり!」とばかりに膝を打ちました。

 私の頭にある日本の教育のどんでん返しの秘策とは、すなわち、「全国一斉にどこの学校も足並みそろえて英語を教える」という呪縛から、解き放たれること、であります。もはや世界は、英語「で」教える国が先んじており、英語「を」教えるという発想では勝てません。



率直にいうと、私は反対です。

英語を学びたい人にはよりレベルの高い英語教育を施して国際人を養成するべきだ、とあります。
これには私も賛成です。しかしなぜ英語を全員必修ではなくするのか理解できない。「勉強」とはあるひとつのことに特化してやればいいというものではないと私は考えています。国語、英語、数学、理科、社会などはどれも互いに深く密接に関係しています。英語を学問の一つと考えるのなら、そう簡単に排除すべきではないと思います。


また、最後の方に記述されている「劇薬である」「どんでん返しの秘策」という言葉に違和感を覚えます。教育に劇薬はあるのか?そんなに単純なものなのか。

一見、言っている事は正しく思えます。私も最初そう思いました。しかし、学ぶ事がこんなに単純明確に定義されてよいのか。レベルの高い英語教育をすれば学生は英語ができるようになるのか。そもそもレベルの高い英語教育とはなんなのか。非常に不明確です。

教育に最低限必要なものは、教えるものと学ぶものです。この二者がいれば教育は成り立ちます。教える人のレベルが高いということはどう証明しますか?答えは簡単です。学ぶものの頭が良くなればそれは教える人の教育レベルが高いということですね。すると、レベルの高い英語教育をすれば学生の英語力があがる、というのは論理展開がめちゃめちゃです。

このように教育に関しての問題をとりあげた場合、そこに説明責任はあまり存在しません。それっぽい事を言えば、みんな納得してしまいますからね。それに教育は長期的スパンで考えるものですから、ある教育政策を考えた人に直接責任を問われ事は滅多にない。こうした状況が教育を、教育はこうすればいいとか、だから失敗したんだとかいう簡単な方程式に当てはめて考えるようになったのではないかと、私は考えます。






私もこのように教育を語っていいのかもわかりません。
とりあえずの意見提示です。笑


賛成意見、反対意見、別の意見がありましたらよろしくお願いします。

こんなニュースがありました。

アフガニスタンのカンダハル州のグラム・ハイダル・ハミディ市長は12日、東日本大震災の被災者に義援金5万ドル(約400万円)を送ることを表明した。



アフガニスタンは内戦の絶えない国です。
日本はこれまでアフガニスタンに幾多の支援をしてきました。
一般にいう恩返しですね。
このニュースの後半にはアフガニスタンの国民の3分の2が、1日あたり2ドルという生活水準だと、述べています。いかに400万円がアフガニスタンにとって大きなお金かわかります。



アフガニスタンだけでなく、
多くの国が援助してくれてます。



その援助のうらにいかなる外交的目的があろうがなかろうが、
安定してきたら、私たちは助け合いの重要性を再認識しなければいけないでしょう。



そして、国内基盤のしっかりした状態でグローバル化することを願っています。