本日公開された『竜とそばかすの姫』スペシャルPVを見た。

結論から言うと、鳥肌が止まらなかった。

流れが神すぎるし、なんといっても『竜とそばかすの姫』が一体どのような作品なのか

全然わからないのだ。

ジブリだと今『アーヤと魔女』の予告編とかを見る機会があると思うのだが、

『アーヤと魔女』は大体のストーリーが見えてくる。

しかし、『竜とそばかすの姫』は見えないのである。

今回は公開されたPVの感想と共に『竜とそばかすの姫』について考える。

 

 

〇僕たちはいつも何かと戦っている。思わず下を向きたくなるような日もあるかもしれない。

ここで映し出されるのがタイムリープの事実を知り必死になる真琴、2人の子供を見守る花、

ラブマシーンに負けるキングカズマ、嫌々期のくんちゃん、応援されない中闘う熊徹。

これまで公開された作品で、闘い、また下を向きたくなるようなシーンが抜粋されている。

この中では物理的に闘っていない花が分かりにくいが、花はおおかみの子供を育てるために

どのように育てればいいのかということを日々本を読むなどして日々葛藤していた。

また、街中に住んでいた頃は人の目を憚りながら歩くシーンも見受けられ、

花も母親として、しかもおおかみの子供を持つ母親として育児の面だけではなく、

精神的にも日々闘っていたのではないだろうか。

 

〇だけど僕たちは一人で生きているわけじゃない。そうしてもう一度前を向くんだ

何かと闘っている、細田守監督作品のキャラクターたちが親戚や父、友人、などに助けられる。

キミがいるから、僕は強くなれる」という言葉にもある通り、細田守監督作品は1人で助かる

ということはない。

『時をかける少女』では真琴は千昭に助けられるし、また逆に真琴が千昭の為に

真実を述べるシーンもある。

『サマーウォーズ』では、親戚が一丸となりラブマシーンという未知なるものと闘う。

『おおかみこどもの雨と雪』では、花は最初近所からの冷たい目にさらされるも、

田舎暮らしを始め、その地の人々に助けられる。

『バケモノの子』では九太は心の剣、熊徹や楓に助けられる。

『未来のミライ』では、未来ちゃんをとくんちゃんの助け合いが描かれる。

このように、自分1人で助かるという機会がないのである。最後の結末に向かうためには

誰かの助けによって勇気づけられ、強くなり、成長して物語は終わる。

 

またこの間に『時をかける少女』の千昭が「未来で待ってる」からの

『未来のミライ』のくんちゃんの台詞「未来ちゃーん!」の流れがすごい鳥肌ものであった。

確かに、『時をかける少女』は過去を描いている作品である一方、

『未来のミライ』は未来を描いている作品であると言える。

その時間の対比構造が成り立っているからこそ、この台詞の繋がりができたのではないだろうか。

 

〇「懸命に生きる”今”を描いてきた」「その先に続く”未来”を描いてきた」

今を生きて、未来も生きる。

『時をかける少女』、『サマーウォーズ』はあまり明記されていないが、他の作品では描かれているのではないだろうか。

『おおかみこどもの雨と雪』では、雨と雪が花に育てられたのち、それぞれの道を歩んだことが分かる。最後のシーンでは中学生になった雪が映っておりまた、雨の遠吠えが聞こえる。

きちんとそれから物語はどうなったのかが分かる。

『バケモノの子』でも同じように、九太は人間の世界で心の剣、熊徹と共に

生きていることが描かれた。

『未来のミライ』は今も未来も明確に描かれている作品ではないだろうか。今のくんちゃんと

未来ちゃん、未来のくんちゃんと未来ちゃんどちらも描かれているからである。

 

〇「”あの夏”を超える”夏”が、やってくる」

ここから『竜とそばかすの姫』に入る。

 

『竜とそばかすの姫』について考察したいと考えるが、

長文になってしまったため次回のブログに記すこととする。