3月1日に母が亡くなって1ヶ月が経った
亡くなった後、
やらなくてはならない手続きが
たくさんあって、忙しい日々だった
母の亡くなった日のことを
書いておこうと思っても
その日の事が重くて
なかなか書く気になれなかった。
人の死を看取るということは
想像以上に大変な出来事だった

母が亡くなった数日前から
母は、夜中、手を動かしたり、
うめき声をあげたりして、
1時間くらいおきに起きるので
落ち着かない状態だった
その日も夜中の12時過ぎ位から
手を挙げて、アーアーとうめき声を
あげていた。
ジブレキサザデイスと言う落ち着かせる
薬を飲ませたが
なかなか落ち着かず、
やっと寝たのは4時過ぎ
連日、母が夜中に起きるので
私は睡眠不足でかなりきつい状態だった
朝起きると口元にヘルペスが出来ていた
私の免疫力もかなり低下してしまったみたいだった
とりあえず、朝一で皮膚科に行って
飲み薬をもらってくる。
母は酸素が低下していて、数日前から
手足にチアノーゼが出ている状態だったが
その日はチアノーゼも更にひどくなり
手先も足先も
氷の🧊ように冷たくなっていた。
数日前から体に明らかな黄疸が出てきて
おそらくもう数日しか持たないだろう
と訪問看護師さんからも言われていた
ので、何となく母の死が近づいている
気がしていた。
午前10時に
訪問診察の精神科の先生がみえた。
先生に
夜中にバタバタ手を動かしたりして
落ち着かないので、
私も眠れない
と話すと
先生から
『ジブレキサザデイスを寝る前に
2錠飲ませてください。』
と眠る薬を増やすように指示があった
母の様子を診て先生は
『だんだん、下り階段を降りてきた
段階になりましたね。
手足を動かしたりするのも
その兆候ですね。』と言われた。
昼ごろに、息子が様子を見に来た時に
母は息子のことがわかったようで
『頼むよ頼むよ』と言っていた。
この時は、母の意識はまだはっきりは
していたのだと思う。
4時に訪問看護師さんが来た時に
酸素の数値を測ったが、
酸素がうまく計測できなかった。
チアノーゼの状態から母の酸素はかなり低下していたと思うが
もう、その状態でも呼吸が苦しいことは
ないようだった。
血圧は100/62
そこまで低くはなっていなかった
訪問看護師さんからも
『黄疸が目にも出ているので
もう、近くなってると思います。
最後に看取ったら、
看護師さんの緊急連絡先に電話してください』と言われたので、
目にも黄疸?いよいよなのか
と緊張した
看護師さんが帰る時に
母に手を振ってバイバイ
と言うと
母も手を動かして、バイバイ
した
6時過ぎ頃から、
母は目が虚になり
手を動かして
落ち着かない状態になってきた。
大きな声で、『水
』と叫んだので
お水をストローで飲ませた。
それから、母は昏睡状態になった。
それまでは、母の耳元で大きな声で呼ぶと反応していたが、
もう、母の名前を呼んでも
反応することは無かった
そして、8時頃から顎呼吸が始まった
死が近くなると、顎呼吸が始まる
と訪問看護師さんから伝えられては
いたものの、
母の様子を見て初めて
顎を上下に動かして呼吸する様子を見て
これが顎呼吸なんだと初めてわかった。
母の死が近づいてきたことを認識した
瞬間だった。
食事を早めに済ませて
母のベットの横に座って
母の手を取る。
娘に連絡して、娘にも来てもらう
母の介護が始まってから
母を自分の手で看取ってあげたい。
とは思ったものの
実際には、その瞬間に立ち会えるものなのか?
誰も見てないうちに亡くなってしまう人もいると聞いていたので
母が退院してから、その瞬間に立ち会うために、ほぼ家から出ていなかった。
顎呼吸が始まった母は
次第に大きな顎呼吸に変わって
少しずつ顎呼吸が小さくなり
午後10時22分に
静かに呼吸が止まった。
そしてその後直ぐに
頸動脈も鼓動しなくなり心臓も止まって
母は天国に旅立った。
母の最後を確認した後、直ぐに訪問看護師さんに電話する
訪問看護師さんから、在宅診察の病院の先生にも連絡してもらう。
すべて、事前につたえられていた
在宅介護での看取り
死後の段取りに従った。
在宅介護での最後の看取りは
あくまでも家族がする。
看護師さんも先生も
その瞬間に立ち会うわけではない
30分程して、看護師さんが
到着すると死亡の確認をして
エンゼルケアと言って、
母の体を綺麗にしていただいく
前もって、デイケアに行く時に
どの洋服が着たい?と母に聞いて
おいた服を着せてもらう。
今は好きな服を着せてあげてもいいそうだ
亡くなった後に、母の元には、
孫ひ孫がたくさん集まっていて
みんなで母の死化粧もしてあげた。
11時頃、病院の先生が到着して
死亡の確認をする。
希望の時間ありますか?
と言われたが、
そう言われても、、
咄嗟に出なかったので
先生が確認していただいた
時間にしていただいた。
3月1日 23時13分が
母の死亡時間となった。
最後の瞬間まで、母の手を取って
看取ったが
もっと何かできたのではないか?
母は満足してくれたのだろうか?
母の介護をしながら、
いつまで、この介護が続くのか?
と自問してしまったこともあった。
もっと優しい言葉を
かけられたのではないか?
母をこの手で看取っても
やり残してしまったことが
あるように思った。
完璧な介護なんて
ないんだろうが、、、
母が旅立った日は
とても長い1日でした