◆Why don't you TAKE YOUR TIME ?◆

◆Why don't you TAKE YOUR TIME ?◆

写真撮ってます。代筆もします。絵も描きます。
ただ今英会話を再勉強中!
This is my website ↓
http://www.takakofukaya.com

Amebaでブログを始めよう!
2020年あけましたね。
おめでとうございます🎉


今年は自分を
ますます開花させていきたいです🌸🌸


色々やっていこー!🖌🖼🎨🌈✨


以前作った写真を加工して遊んでみた




元旦早々、
軽い胃腸風邪になってしまったようで、、
元旦の夜に戻しました😅
年末年始の暴飲暴食と、
親戚のうちでうたた寝した際に拾った模様💦
9日までずっとなんだか本調子でなく
ムカムカした感じが続きました。
私はようやく治った感じ。。よかった。


そしたら長女がインフルエンザAになり😅
次女もナゾの?アセモみたいなぶつぶつが
全身に出るし(こんな時期に?!)
三女も胃が痛いと言い出し


ちょっとしたデトックス祭となっています、
我が家…。


今日は蟹座月蝕、満月🌕
昨日、満月手前の月のパワーが
ものすごく強烈でつらかったー😅
光に当たるのがつらかった 笑
こんなの初めてカモ🦆


今日でなんとなくデトックスは
一区切りな感じ。がする。
長女も熱が下がったのでよかった。


連休明けにはみんな通常通り過ごしたいですねぇ。



今年もよろしくお願いしますおねがい



ブログはなんかめんどくさくて
ご無沙汰してましたが


2019年の大晦日も、
無事に平穏に過ごせました。感謝です。


何度か書きましたが
5月に母が亡くなり
その1ヶ月後に父が脳出血で倒れ
介助生活も何ヶ月か続き、
私も今まで経験したことないほど
心身疲れ果てズタボロになりましたが、


人間ってそこ(底)までいっても

周りの人達の支えで
立て直しができるんだなぁと

心の底から実感しました。


そしてその支えと言うのは
がんばって!とかの
やたら元気とかポジティブなもんでもなく

何も言わないけど
そっと見守ってくれてるような、
そういう感じが
とても心地よかったです。
付かず離れず、というか。
要らんこと言わずに、
でも、辛かったらいつでも聞く位置にいるよ
というような。

さりげない感じが
とてもとても、
私には癒しや復活の兆しになりました。

こうやって
そっと
支えてくださった皆さまには
本当に本当に感謝しています。


そんな
人生の中でも最大級に揺り動かされた
さまざまな経験をした1年でしたが、

だからと言って
縮こまる訳でもなく

楽しいことややりたいことはどんどんし
行きたいとこにもどんどん行って
会いたい人には会って、
楽しみました。


不幸があっても
暗く居ることなんてないし
不幸ぶりっ子でいるのもバカらしいよね。


今、すき焼き食べて
お酒飲んで
お菓子食べたり
紅白歌合戦を見ながら
家族みんなと
のんびり年の瀬を過ごしています。

あぁ、、幸せ💗

心の底から思います。


終わり良ければ全て美し。


月並みではあるけど
そんな言葉が浮かびました。


よし、は  美し  と
あえて書きたい。


そう、全てのことは
美しいと思うのでした。


皆さま、
2019年もありがとうございました。
よい2020年をお迎えください。
美しい1年になりますように。



evergreen 


このところで
自分にパタパタと立て続けにあった(小さい)出来事は


本来の自分でいられない人(相手)とは
付き合えない

というのを露呈してきたんだと思います。


なんか私をいい人だと思って
近寄って?きていた人には、
私がいわゆる、
いい人(何でも言うこと聞いたりする人、その人の思い通りになる人)じゃない、というのが
バレてきた(笑)んだと思います。


それは逆に、
今まで私が私に対して
意識的にも無意識的にも
マウンティングをしてきた人を
許して(許す?というか、まぁいいやくらいに思って)いたんだとも思う。
ザワザワしてても放っておいた。
好かれたいとか、嫌われたくないとか思ってた。
そう、、、自分にヒドイことをしてきてたわけです。
(だからまぁ、そうなるんよね^^;)


しかしこの、今になって

そのザワザワを我慢することができなくなってきて
色々と離れる人がでてきて

あぁー、
自分でいられない人とは
離れる時期が来たんだな、

とちょっと遠くから見たら気づいて、
心底思いました。


以前なら、
そんな自分を、私が悪かったんかな?とか
はむかわなきゃよかったとか
罪悪感を持ちましたが、
この頃に関しては清々しいwというか、
なるべくして、こーなったんだな、と
心から思います。


そうやって、
いま不要な関係は
どんどん削ぎ落とされていくんだな、と思います。
そして、
今付き合っている人たちとは
ますます深いところで話ができるようになるんだな、
と思いました。


そんなことを感じた
天秤座新月の日々です。





6/3に受けたフィジカルチューニングや
リセブル散歩のことなど、
下書きに入ったままになってしまってます。
(いつ書けるだろう?ボリュームありすぎて 笑)


前回の記事から1ヶ月経ってしまいました。



その間、色々ありまして…


6/18、母の月命日の日に
今度は父が倒れてしまい
即入院になってしまいました。

病気一つしたことない
寝込んだ姿を見たこともない
元気が取り柄の父が、

“目眩がするから今から市民病院に検査に行く…”

と11時くらいに私に直電してきて、私は超動揺。
心臓ばくばく、手が震え、頭真っ白に。
まさか、まさか…
と、超焦る気持ちの中
妹にも連絡し、
急いで父の住む市の市民病院に出発。


運転していたら
急に鼓動が早くなり出し、
呼吸が苦しく…

あ、やばい…

手がこわばり、膝がこわばってきて
これは意識を失うかもしれない。

焦っていたが
なんとか路肩に止めなきゃ、と思っても
立橋タイプ、周りが壁で止めるところもない道路。
ちょうどインターを過ぎたばかりで
出口はもっと先。
そこまで私はもたないかもしれない。

追い詰められる気持ちと
乱れる呼吸、

やばいやばい…なんとか止めるところを。

幸いなことに空いていた道。

後続をあまり気遣わなくていい状況で
やっと合流地点の斜め線の場所を発見。

停車場所じゃないけど、ここなら大丈夫だ、
というところで停車できました。


そこでしばらく
持参してたお茶を含んでみたり、
回復を試みたものの、
どんどんこわばる手。
そして戻らない呼吸。苦しい。

私、このまま意識失うんかな。
死ぬんかな(T_T)やだやだ。
お父さんの病院行かなきゃなのに!!
今からお父さん検査なのに。


色々思っててもどうにもならず、、、


観念しました。


もう、迷惑かけよう…
私はなんとかスマホをいじり
119を押しました。
絶え絶えの息でなんとか救急と会話。
場所も特定してもらえ、
救急車が来てくれることに。

到着まで10分くらいだったか。
その間に、妹と旦那に連絡しました。
妹も、動揺する気持ちの中向かってもらってたので
申し訳ない…と思いながらラインを入れました。
ダンナには電話で。
ほんと申し訳なかった。


救急車がきて、
色々なやり取りをしている間に
だいぶ回復してきました。
救急車に乗ったら、安心したのか
かなり回復してきて、
父が検査をしている病院(同じ病院に運ばれた)
についた頃にはもうほぼ大丈夫な感じに近づいてきてました。

心電図で異常なしだったため
20分ほど休んだら
帰れることに、、、

ダンナ氏が仕事場からきてくれ
そこから2人でまた置いてきた車を取りに行き、
車の前で待っててくれた警察の方に謝り、
(本当に感謝です…)
自分で車を運転し^^;←警察の方に驚かれたw
また病院に戻りました。

その間、1時間くらいだったのかな。

父は色々検査をしていました。
妹が色々入院手続きしていてくれましたぐすん
感謝、、色々任せっぱなしでごめんね。


いざというときに
全然頼りにならない自分に愕然としました。
落ち込みました。
そして、父が即入院の事態になり
さらに気持ちも体調も落ち込みました。


“これからどうしよう。”


それが一番私を悩ませました。


母の忌明け、満中陰法要もその週末で。
その準備や当日のこと、
私たち自身の動揺した心、
ほんとにほんとに、どうしようかと。

私は兄も妹もいて、1人ではないのですが
色々押し寄せてきて

夜は眠れなくなるし、
何も感じなくなる心、
朝目覚めたら不安で心臓がドキドキしてしまう
何も食べれなくなる
頭が痛い
心臓が痛い
何も見たくない聞きたくない

このときは
こんなにつらいなら
死んでしまった方が楽かも、、、
本当に思いました。


でも、時間は本当に薬で、

周りの人達の言葉や行動に励まされ
身内のみんなとも連携を取り合い
そして何よりも
子供達の無邪気さに救われ、
私の心は回復していきました。


ご飯も食べれるようになりました。
音楽も聞けるようになりました。
テレビも楽しく感じるものを見たくなりました。
不安が少しずつ減りました。


壁があってすぐ降りれない道路は
今でもまだ気分が悪くなるときがありますが
そんなときはすぐ下道に降ります。
そして、
そもそも下道を使って付き添いに行く日もあります。

父は
その病の中でもとてもラッキーな方でした。
顔の右半分が痺れてるとのことですが
それ以外は
手足のマヒや言語障害などもありません。
本当にラッキー。
亡き母が守ってくれたのでしょう。


平日は妹と、1日ずつ交代でほぼ半日付き添い。
こういう生活が今続いています。
兄達は仕事をしているので
夕方から夜に来てくれてます。

正直にいうと
しんどいですが、(片道小1時間、これが一番しんどいのだと思う)
無理しないようにしています。
父もリハビリを開始できるまでになりました。


これから父が
孤独を感じないようにしてあげたいなと
色々考えつつも、
自分達の生活もあるし
どのようにしていこうかと思っていますが、、、


周りの人たちが
自分たちの経験や、
慰め、労い、いろんな言葉をくださったり
あるいはそっとしておいてくれたり
みんな優しくしてくださるので
本当に救われています。

介護経験のある方などにこれからは色々聞き、
私自身も
覚悟を決めて
新しい生活スタイルに馴染んで行こうと思っています。


人生って、本当に色々。



渦中にいるときは本当に辛く苦しい。

けど、
そんな自分も客観的に
眺めていられるときもありました。
あぁ、私今苦しいんだなー。
そういう時期なんだ、、、
抗わずに行こう、、、いつか開ける。

こう思えるようになっただけでも
私は以前より変わったな、と思えました。


本当に、
そう思った時から
なんだかよく眠れるようになったんですよね。
そのとき、
第三の目が急に熱くなったし 笑


今の私はきっと、
変化の波が、
ものすごく高波なんだと思いますね🌊


その波に🌊乗って行けたらいいな。
抗うことなく身を任せれば
必ず乗れるんだな🏄‍♀️
と実感しています。




7/5に母の方は忌明けしました。
(三十五日でやったので6/22には忌明けでしたが、
四十九日は7/5でしたので、ここで完全に。)


今日は七夕🎋ですね。

私の願いも、
みんなの願いも
叶いますように。


色々と支えてくれる皆さまに。
心からありがとうございます。









流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星

Kotodamaとして
祝儀袋や短冊の出品、代筆を始めて
今日で1年経ちましたお願い


あっという間だった!びっくり

流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星





おかげさまで、
この1年で80件ほどのオーダーを頂きました。
本当に!感謝です!!ニコニコ




やる前は本当に不安でした。

祝儀袋を用意して、

祝儀袋の名入れ

なんて、
自分でやれば
一瞬で終わってしまうことだし
わざわざお金出して頼む人なんて
いないんじゃないの?
しかも、他でやっている人は
私より安価…


他にも様々。
色々な不安がありましたが…



始めてみたら楽しい!チュー

その上、
なんだか喜んでもらえてる!!チュー


びっくりびっくりびっくり



嬉しい!笑い泣き



自分が苦なくできる好きなこと
が、こんなふうに、まさか
人の役に立つ
とは思ってもいなかった…!






ひらめき電球お願い お客様の声 お願いひらめき電球











本当に!!
ありがとうございます笑い泣き笑い泣き笑い泣きキラキラキラキラキラキラ




この1年やってみて思ったのは、


ひらめき電球やってよかった!
ひらめき電球これからも続けていく!


これに尽きる!



そしてこれからの展望は、

ひらめき電球商品のバラエティを増やしていく!
ひらめき電球代筆のみならず、ますます自分を出していく!


です!



先日はこちらの
令和の書 がお客様の元へ旅立っていきましたドキドキ
ダウンダウンダウン



初めてアート書も
お買い上げ頂けましたニコニコ


色々出していきたい!!と思っているので、
ますます楽しくやっていきますよーメラメラ




Kotodama筆文字アート
3箇所で展開中💫
よかったら覗いてみてくださいねお願い
リンクしています。
ダウンダウンダウン



メルカリ店





minne店





ラクマ店




それではっ!お願い


母が亡くなって
1週間以上経ちました。


母は5月終わりのやすくなった小さいいちごで
(通称クズいちご)よくジャムを作って
もたせてくれました。
私もちょっとイチゴを頂いたから簡単にコンフィチュール。母を思い出しました。





意外にも、
立ち直りが早い自分が居ます。


もっと長く落ち込むかと思ったのですが


(大好きだった柳生真吾さんのときは
かなり長引き体調も悪くなりました😅なんでやねんw)


意外にも、前向きです。



それはなぜかな?と自分なりに考えてみました。



たぶん、


ひらめき電球最初の余命宣告から5年の時間があったこと。

ひらめき電球急にではなく、段階的にお別れの時を予測できたこと。

ひらめき電球最期の時を看取れたこと。(別れに立ち会えた)

ひらめき電球子供達がいること。

ひらめき電球リセブルをやっていること。



こんな感じからだと思いました。



この5年間、
手術や治療を見ていましたが
良い時もしんどそうな時もありました。


母に限ったことではありませんが、
人間誰でも年をとっていき、
終わりに向かっていきます。
それが早いか遅いか。
そして、何らかの大きな病気があれば
その時期はいわゆる平均寿命よりは短いかもしれない
という思いも、頭の片隅にはありました。

最初からの二つはこんな感じなんだな、と。


三つ目、
最期の時を看取れたこと。
これも大きく、大切なことだったなと
今になって思います。

別れに立ち会え、見届けたこと。
最後にありがとうと言えたこと。

自分の中で、ケジメというか
しっかりとこの世でのお別れができたから
後悔ない気持ちでいられるんだろうな、と
思えました。
(亡くなったときはそりゃ多少の後悔はありましたし、今でもたまに泣きますよ)
今はこれでよかったんだ、というか
この時がその時だったんだねと思うほかない気持ちです。


四つ目、
子供達のおかげで、
現実を見なきゃいけない場面も多いから
淡々と日常を過ごせるというか、

子供達はいつまでも沈んでませんから
気が紛れる部分も、癒される部分もあります。
一人だったら
まだまだ悲しみに沈んだままだったかもしれません。
やはりありがたい存在ですね。


五つ目、
これが特に重要だったかも。
リセブルをやっていること。

リセブルとは、ひらく@Freelyさんがされてる
“自由で快適に生きる自分になるための
自分再構築実践トレーニングコース”
Reset&Bloomの略なんですが、


こういうこと!↓





去年の9月から本格的に始めてから
自分の周りでは様々なことが
かなり大きく動き始め
ひらくさんも、リセブルを始めると
色々動き始めるよと言っていましたが、


今回の母の死も含め、


お金のこと、娘のこと、
本当に大きく様々なことが動いて、

今までの自分だったらきっと

泣いて落ち込んで、
正義を振りかざしたり
立ち直れずどんどん沈んでいく日々を
過ごしたと思うのですが、

それを、どれも
感情はたくさん味わい、
少し経つと
俯瞰してみることができていると
思っています。


ハマり過ぎないというか、
いつまでもハマり過ぎず、
でも諦めてるわけでもなく、
淡々と、
あ、これってそうかー、そういうことか、 と
下にいる自分を
上から眺めることができるようになっている
と思っています。


母の死を
俯瞰して見ると
色々あったけれど
感謝の気持ちや、懐かしい気持ち、
また次に生きるときはいい関係で会おうね
こんな気持ちしか生まれて来ず、


悲しくて立ち直れないとか、
そんなことは全くないですね。

悲しみに浸っている自分も、
うんうん、今はそうしたいよね、と
無理に悲しみを振り払おうとせず
ヨシヨシできています。


感情や今したいことを存分に味わうと、
自然に次に向かえる力になるような気がして
とても嬉しく、不思議ですほっこり


この世での体験は
全て
無駄じゃないなぁと思います。



そんな感じで、

ハマりまくるわけでもなく
諦めるわけでもなく
淡々と(感情がないのとは違いますよ)
私は私であることを実感し
日々を過ごしております。



忌明けまではまだ日にちがありますが


心は穏やかです。
体も元気です。





先週の土曜、
5月18日の明るく過ごしやすい午前に
母が空へと旅立ちました。


これは前日の夕方の空です。
病院からの帰り道…


流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星

さて、、
色々細かく書いていたのですが
やめました。
なんか、書いても仕方ないと思えてしまった。


母の闘病は5年でした。
75歳で旅立った母は、
今の平均寿命からするとかなり早く
本人ももっと生きたかったと思います。


ですが、
母の最期を告げてくださった
市民病院の主治医(女医さん)が、

「5年間、よくがんばられましたね。
私が今まで見てきた患者さんで、
あれくらいのステージで5年もがんばられた方は
かなり珍しい方ですよ。本当によくがんばられました。」

とおっしゃってくれました。


この言葉は母にも届いていたでしょうし、
常に寄り添い付き添い、介助をしていた父や、
私たち子供たちにも
救いの言葉となりました。



そうか…
奇跡が起きて欲しいと思っていたけど、
奇跡はすでに起きていたんだな…
私にはそう思えました。



実際、今年の2月くらいまでは
結構ずっと元気で、
懸念していた抗ガン剤の副作用で
寝たきりになるんじゃないかというのも一度もなく、
1度目の抗ガン剤で抜け落ちた髪も、
また真っ黒になって生え変わってきてました。
(母は75にしてほとんど白髪がなかった!)


母は大腸ガンの手術のあとは
また生かしてもらえた、
これは2度目の人生だ、と言っていたし、
色々厳しかった性格が、穏やかになりました。
悟りを開いたような…。
以前よりわかってくれるようになりました。


今年の4月からは胸が苦しいと言って
自宅で酸素をつけていました。
でも本当に悪くなってきたのは5月くらいからでしょうか。

最後に食事らしい食事をしたのは
12日の母の日。大好きな鰻を食べたとのことでした。
父と2人で。。
素敵な思い出を持ち旅立ったのではないかと思います。




流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星

母は人に迷惑をかけたくない、という人でしたので
皆んなが集まりやすい土曜の午前、
私たち家族、母の兄妹など
親族皆が揃った中旅立ちました。
これが夜中だったり、
市外の病院だったりしたら(市外の大学病院から転院する予定で、ちょうど間に合った)
みんなは集まれなかったかもしれないし、
長い入院状態が続いたら
父も疲弊したことでしょう…。
入院からたったの4日で…。

通夜や葬儀までノンストップ、
月曜には滞りなく終わり、
火曜は友引だったため、
なんというタイミングを選んで旅立ったのだろうと
ジンときました。


私自身は
介護という介護など全くせず、、、
本当に娘思いの母でした。
市外の大学病院から市内の病院に転院したら、
これからはよく見に行こうと思っていた矢先…。
頭もとてもキレる人でしたので
全く呆けることもなく、
それがかえって本人には辛かったかもしれませんが

亡くなる前日まで、最後の最後まで、
口からの食事を試みた気高い人でした。
小さく小さく切った桃缶を
いつまでもいつまでもがんばってモグモグしながら
必死で嚥下しようとしていた姿は涙が出る思いでした。


水曜に入院したのは
多分本当の本当の限界だったのだと思います。
家でもう食べれず、ソファにいたまま
動けなくなっていたそうです。
もう家には戻れない…
と悟ってたかもしれませんが、

入院中 私が
「元気になってうちに帰るよ!」
と言ったら

👍

と右手で気丈にやってくれ
痛いはずなのに
痛いとは最後まで一度も言いませんでした…。

木曜に付き添ったとき、
もう会話らしい会話はできなくなっていましたが
耳はしっかり冴えていて
このような反応はたくさんしてくれました。


思い出すとまた泣けてきますが、


母はもう
“我慢”から解放されて
自由になれたと思っています。



ここで言うのもなんですが、、


母の病は 我慢 から来たものだと
私は思っています。
彼女のテーマだったんだろうな。。

自分のしたいことを我慢していた、
迷惑かけたくない、
そんな姿はよく見ていました。
あれもこれも、自由にしていたならば…。
自分の軸からズレていった先が
こういうことだったのかもなぁ、、と
今の私は思ってしまいます。



キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ


母の生き方、生き様から学ぶことは
たくさんありました。


キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ


お通夜の後、
妹と私で母のろうそくの火の番をするために
葬儀ホールに泊まったのですが、
生前叶えられなかった、母娘3人旅を
こんな形で叶えることができました。
妹と2人で色んな思い出話をしたり
母へ最後の手紙を書いたり、
ちょっとホールに変な気配もあったので(笑)
連れションや連れシャワーまで
妹としました、幼い頃のように。懐かしかった。
母もきっと楽しんでくれたかと思います。



今は時々、
鼻の周りで線香の匂いがしたり
テレビ画面が乱れたり
母かな?と思うこともあります。



最後の手紙の中に記したように


私は私らしく生きていくよ!

母の死と、母の生き方から
今からは
ますます
これを叶えていく人生にしたいです。



4月に髪をショートにしてから、
またまたピアスが気になるように👀


ちょうど耳たぶが見えるくらいなので
ユラユラ揺れるタイプのものが欲しくなりました。



きゃわいいー!!www 


エメラルドグリーンの
キラキラのガラスビーズかなぁ?
透き通っていて、
とってもキラキラしていてきれいで。


名古屋のタカシマヤで買ったのですが
(イベントスペースだったのかなぁ)
実はこの2日名古屋に行くことがありましてw

初日は手にとってから
うーんうーん (´-ω-`)
とかなり迷った挙句やめてしまい…

翌日に
やっぱりこの子欲しい!
と連れ帰った子でした\( ˆoˆ )/
満足満足♪


連れ帰ってヨカッタ。


プチプラ、、、よりもお高めなんですが
作家さんがハンドメイドしたんだろなぁと思うと
センスとか材料選びとか楽しかったろうなぁと
そういうイメージも浮かんできました。


ありがとうニコニコ


その売り場は
若い子を中心にたくさん人が集まっていて

女の子って(敢えて女の子w)
やっぱりキラキラとか小さくてかわいいものが
好きな人が多いんだなぁと思いました。


なんだか
幼少期を思い出しちゃいました。
(キラキラのビーズとか宝箱に入れてたなぁ)


かつては、、、
20代の頃、右耳2つ、左耳に3つ
ピアス穴を開けていたワタシですが
痒くなったり埋まったり、、で
今はそれぞれ1つずつになっちゃいました。


また増やしたくなってますがw


友人が名古屋の素敵なお店を教えてくれたので
そこにもいってみたいなって思ってます。
好きなパーツを買って自作できたり、
私みたいにできない人はw
その場で作ってくれるお店だそうです!



夏に向けてイヤリングやピアスを
もっと楽しもうーと思ってます^_^

(実はもう一個買いましたw)

こっちはプチプラですニコニコ


かわいいモノを身につけると気分がアガりますねアップアップアップ

時代は令和に変わりました。


そして振り返ると
今まで意識もしてませんでしたが
平成という時代の私は
ものすごく色んなことを体験したんだなって。


今40代くらいの方は

学生〜現在というときを
平成で過ごしただろうから
1番変化に富んだ時代だったのかも。


私自身は

高校から始まり、短大、
学生が終わり社会人に、
夫と出会い結婚し
引っ越しし
子供が生まれ
家を建て引っ越しし、
また子供二人が生まれ

自分自身も主婦以外にも
写真にアートに英語に
エナジーワークに

と、


こうして列挙すると
今後はここまでは動かないだろうなあというほど
変化したと思う。


そんな中で

性格も変わったと思う。



性格って変わらないものかと思ってたけどめっちゃ変わりますね。



あ、図々しくなっただけかww 
ま、いいけどw



いや、私は。



私なんてと卑下するのが美徳、
一歩下がってとか
遠慮して我慢して
ひとりさめざめ泣いて
悲劇のヒロインみたいになってるのが美徳、
常識こそ正義、
正しく生きることこそ私、



と思ってましたからね。



今は全く思いませんねw



なので、


平成には卑下と遠慮と常識は
脱ぎ捨ててきたな、
と思います。


ちょうどこんな良いタイミングで
New eraを迎えた私はラッキーですねキラキラ



令和はより
自分を喜ばせて行こうと思います。
いのちは有限なので。