先週の土曜、
5月18日の明るく過ごしやすい午前に
母が空へと旅立ちました。
これは前日の夕方の空です。
病院からの帰り道…
さて、、
色々細かく書いていたのですが
やめました。
なんか、書いても仕方ないと思えてしまった。
母の闘病は5年でした。
75歳で旅立った母は、
今の平均寿命からするとかなり早く
本人ももっと生きたかったと思います。
ですが、
母の最期を告げてくださった
市民病院の主治医(女医さん)が、
「5年間、よくがんばられましたね。
私が今まで見てきた患者さんで、
あれくらいのステージで5年もがんばられた方は
かなり珍しい方ですよ。本当によくがんばられました。」
とおっしゃってくれました。
この言葉は母にも届いていたでしょうし、
常に寄り添い付き添い、介助をしていた父や、
私たち子供たちにも
救いの言葉となりました。
そうか…
奇跡が起きて欲しいと思っていたけど、
奇跡はすでに起きていたんだな…
私にはそう思えました。
実際、今年の2月くらいまでは
結構ずっと元気で、
懸念していた抗ガン剤の副作用で
寝たきりになるんじゃないかというのも一度もなく、
1度目の抗ガン剤で抜け落ちた髪も、
また真っ黒になって生え変わってきてました。
(母は75にしてほとんど白髪がなかった!)
母は大腸ガンの手術のあとは
また生かしてもらえた、
これは2度目の人生だ、と言っていたし、
色々厳しかった性格が、穏やかになりました。
悟りを開いたような…。
以前よりわかってくれるようになりました。
今年の4月からは胸が苦しいと言って
自宅で酸素をつけていました。
でも本当に悪くなってきたのは5月くらいからでしょうか。
最後に食事らしい食事をしたのは
12日の母の日。大好きな鰻を食べたとのことでした。
父と2人で。。
素敵な思い出を持ち旅立ったのではないかと思います。
母は人に迷惑をかけたくない、という人でしたので
皆んなが集まりやすい土曜の午前、
私たち家族、母の兄妹など
親族皆が揃った中旅立ちました。
これが夜中だったり、
市外の病院だったりしたら(市外の大学病院から転院する予定で、ちょうど間に合った)
みんなは集まれなかったかもしれないし、
長い入院状態が続いたら
父も疲弊したことでしょう…。
入院からたったの4日で…。
通夜や葬儀までノンストップ、
月曜には滞りなく終わり、
火曜は友引だったため、
なんというタイミングを選んで旅立ったのだろうと
ジンときました。
私自身は
介護という介護など全くせず、、、
本当に娘思いの母でした。
市外の大学病院から市内の病院に転院したら、
これからはよく見に行こうと思っていた矢先…。
頭もとてもキレる人でしたので
全く呆けることもなく、
それがかえって本人には辛かったかもしれませんが
亡くなる前日まで、最後の最後まで、
口からの食事を試みた気高い人でした。
小さく小さく切った桃缶を
いつまでもいつまでもがんばってモグモグしながら
必死で嚥下しようとしていた姿は涙が出る思いでした。
水曜に入院したのは
多分本当の本当の限界だったのだと思います。
家でもう食べれず、ソファにいたまま
動けなくなっていたそうです。
もう家には戻れない…
と悟ってたかもしれませんが、
入院中 私が
「元気になってうちに帰るよ!」
と言ったら
👍
と右手で気丈にやってくれ
痛いはずなのに
痛いとは最後まで一度も言いませんでした…。
木曜に付き添ったとき、
もう会話らしい会話はできなくなっていましたが
耳はしっかり冴えていて
このような反応はたくさんしてくれました。
思い出すとまた泣けてきますが、
母はもう
“我慢”から解放されて
自由になれたと思っています。
ここで言うのもなんですが、、
母の病は 我慢 から来たものだと
私は思っています。
彼女のテーマだったんだろうな。。
自分のしたいことを我慢していた、
迷惑かけたくない、
そんな姿はよく見ていました。
あれもこれも、自由にしていたならば…。
自分の軸からズレていった先が
こういうことだったのかもなぁ、、と
今の私は思ってしまいます。
母の生き方、生き様から学ぶことは
たくさんありました。
お通夜の後、
妹と私で母のろうそくの火の番をするために
葬儀ホールに泊まったのですが、
生前叶えられなかった、母娘3人旅を
こんな形で叶えることができました。
妹と2人で色んな思い出話をしたり
母へ最後の手紙を書いたり、
ちょっとホールに変な気配もあったので(笑)
連れションや連れシャワーまで
妹としました、幼い頃のように。懐かしかった。
母もきっと楽しんでくれたかと思います。
今は時々、
鼻の周りで線香の匂いがしたり
テレビ画面が乱れたり
母かな?と思うこともあります。
最後の手紙の中に記したように
私は私らしく生きていくよ!
母の死と、母の生き方から
今からは
ますます
これを叶えていく人生にしたいです。