考えることって大事ですよね、言うまでもなく。

 

私は人生の殆どを、「考えること」に捧げてきました。

考え続けること、考えられない自分に向き合うことを大切にしてきました。

 

だから、不用意に行動することは避けてきました。

じっくり考えて行動することが良いことだと疑いもしなかったのです。

 

それはそれで、良かったと思います。

いかにも私らしい、凝り固まった価値観のなかで、

精一杯生きたということです。

 

そのプロセスの中で、「感じること」の重要性や、

より動きが早いと思われる「直感」の重要性に出会いました。

じわじわと、実感として感じる事が増えてきました。

 

そして、私にとって「考えること」が重要だとはいえ、

何をどう考えているのかが重要であり、

場合によっては、「考えること」自体が、

(私が目指している、よりよく)「考えること」を妨害することも気づきました。

 

私が人生の大半かけて成してきた「考えること」が、

いつのまにか実態として、

私の目指すものではなくなっていて、

むしろそれを妨害させていたのです。

 

そんな事実、誰が受け入れられるでしょうか。

注いだウン十年は、もう取り返せません。

40過ぎてそんな事実に気づいたとして、

これからどう生きていけばよいのでしょうか。

ワタシノジンセイオワッタ?

 

 

・・・ただ、ただ、生きていくのみです。

生きているうちに、気づけただけマシだった。

 

最近は、

「行動すること」「バランスを取ること」

「あまり考えすぎないこと」

「やってみること」

を大事だと感じるようになってきました。

 

そのほうが、気楽に過ごしやすいなと感じています。

新しい風に出会いやすいなって思います。

 

人生は、出会い。

どんな人に、状況に、ものに、言葉に出会ったか。

どんなものを目にし、耳にし、触れてきたか。

 

どんな素敵な自分と出会ったか。

どんな救いのない自分と出会ったか。

 

 

これからもいろんな出会いをする中で、

何かしらの形で誰かの役に立てたらと思っています。

 

 

フラダンスも

英会話も、

私の本職も

タロット占いも、

診察場面も、

アウトプットが大事だなって。

 

どう自分の声で、

どこをどう伝えるか、

何を伝えないか、

そしたら、どうなったか。

それをどう感じたか。

それを活かして、次はどういう風にしたいか。

 

その一つ一つの積み重ねがすごく不器用で苦手だから、

こんなに内側に引っ込みやすいんだろうなって思います。

考えることを偏重しちゃったんだろうなって。

 

何をしたって結局は、

誰にも何も理解されえないということが理解できたいま、

万能的な願望に支配されることもなく、

もう自由に生きられるかもしれないです。

 

万能感と心的ひきこもり、親和性ありますね~。

 

 

絶望って、ネガティブな言葉として使われやすいですが、

絶望ができないという苦しみを味わっている人にとっては

夢のような境地に見えるだろうし、

そういう人、世の中にとても多い気がします。

 

その中の一人がわたしですが、

せっかく大病したのだから、これを活かして

よりよい生き方にシフトしたいです。

 

わかりにくい文章だったと思いますが、

最後までお読みくださりありがとうございました。