五代友厚のWikipediaの最後に「悪に対する厳格な態度」という章があります。

以下、その抜萃です。

>友厚の大阪との関わりは、明治の新政府成立後に始まった。新政府が諸外国との交渉窓口として

>外国事務掛を大阪に設け、五代を任命したのが起点である。この頃、大阪では日本人の無知につけこんだ

>外国商人の不正行為が後を絶たなかった。条約違反、購入料金の不払い、雇い人への賃金不払い等は

>日常茶飯事で、領事館の家賃不払いまでもが平気で行われていた。五代はこのような不正に対しては

>断固たる態度で臨み、一切の妥協を拒んだ。……

>商売人にとって「信用」は最も大切であり、不正を容認することは信用を失い、不正を糾弾することで

>その信用を勝ち取ろうとする五代の信念があった。五代は商人である前に「正義」「大儀」を重んじる

一人の武士であり、不正を見逃すことも国益を損なうことも出来ない性分だった。

彼もまさしく、そのような人であったのだと思います。