以下は、彼の土浦(茨城県)時代を知る、もと継父の知人のかたの証言です。

  テレビではあんなにハキハキと喋っていますけど、実際は全然違うんです。

  何か喋るときもお母さんをチラチラ見て、お伺いを立てるようにしていた。

  繊細で、寡黙な子だったんです。

 

  「春馬が『辞めたい』と悩んでいた時に、芸能界を辞めてもよかったんじゃないかなって思います。

  知名度があったから、辞めてもこの先どんな仕事をしても成功したでしょうし。

  ただ、大人になってからは金銭的な面で母親を支えている部分もあったから、

  色々考えることもあったのかもしれませんね。春馬はすごく優しい子で本当に母親想いの子です

  母親も『春ちゃん、春ちゃん』っていつも言っていて、息子が大好きだったから、

  言葉にならないくらい相当なショックを受けていると思います」

  (文春オンライン 2020/7/21記事より)

 

彼の母が、彼にお金を無心する毒親であったというようなことを書きたてる

記事もありますが、私はまったくそうは思いませんし、そのような報道は、

彼に失礼だとさえ思っています。お金については継父(とその裏社会)が

常に絡んでいたのではないかと推察します。

 

彼が子どものころ、母親がしっかりとしつけたので、彼は言動に注意して

きちんとした態度でインタビューなどに答える、周囲に心配りをする

という立派な態度ができ上がったのではないでしょうか。

 

10~20代前半くらいでは母親や家族のことを話すことは自然でしょう。

その後、全く話をしなくなった、距離を置くようになったとも言われますが、

一般的に、20代後半、30代になって独り立ちした男性が、

あまりにも公けに自分の母親の話をするとなると、それはマザコンで

しょう。

 

彼は母親を大事に思う、まともな善い若者であったと思います。