バイトをし始めて二週間。
朝六時に起き、弁当を作って犬にエサをやり、夜六時に帰って散歩し、食べたら寝るというのがパターンとして固定されてきた。
働くようになると今までどれだけ自由な時間があったかがはっきりとわかる。
なにより本を読む時間がなくなった。困った。
これから梅雨なので、犬がう○こで困りそうだ。心配。
ちゃんとトイレはできるのに、最近は一日我慢して散歩でしかしようとしない。私がいると我慢する。しなさいと言っても聞いてくれない。バカなのか利口なのか。
職場の人間関係は良好。
ここからはメモ
この前、フェアトレードについての話をしていたら、「生協でフェアトレードのチョコが500円で売ってて、高くて買えないと思った」と言われた。
これには色々な問題が潜んでいる。
フェア・トレードは賃金など、生産者が正当な(まっとうな、といったほうがいいのか)対価をもらえず、搾取構造のなかで貧困に甘んじるしかない状況を是正するための運動だ。
しかしながら、生産者により高い報酬を与える場合、それは消費者への価格転嫁という具合になるのが一般的である。
それ以外には、他の流通や最終販売者の利益低下という形でしか手段がないと言えるからだ。そしてそれは普通現実的ではない。
そうなると、消費者は市場価格が高く設定されても、「フェアトレードである」というプレミアム効果によってそれを受け入れるしかなくなる。
そこがまさにフェアトレードの問題点である。
「援助」の一形態としては有効な手段として挙げられるのだが、マーケティング側とすればこれはいわゆる「中流層」以上に働きかけることとなる。
例えば、「フェア・トレードラベル」というのが付けられた商品は、FLOという組織によってフェアトレードであると認められたものに付けられるものなのだが、大部分が主にユーロ圏の「環境意識・人権意識の高い」人々にしか消費されていないのだ。
2007年ではフェアトレードの知名度は2.9%だった。現在は、People Treeの発表では 17.6%らしい。
随分知名度はあがったが、それと実際の購買行動がされることとは別だ。「フェア・トレードである商品を買うことに満足を覚える生活に余裕のある層」は日本人の半分以上が当てはまらない。
私が学生のときに考えたフェアトレードの問題点は、以下の三つだった。(援助という面から見ての話)
以下自分より引用。
第1に、一般の援助全体にいえることだが、「顔の見える貿易」を志向することは、「選別」によって他の貧困者よりもその対象が優遇されることを意味する。
第2に、輸出するような作物を栽培していないようなアフリカの小農家や、都市の賃労働者は対象にされないという可能性がある。
第3に、現在の「搾取価格」に上乗せするような形での消費国での販売は、中間マージンを排除するとしても消費国側の政府と企業の「搾取構造」に対して異議を申し立てるという形にはならず、結局は消費市場の価格差で負けること、そしてその構造自体を温存する結果にならないかという不安がある。
それと加えて、フェアトレードを指向する組織はNPOが圧倒的に多く、店を持つとしても個人商店レベルが限界である。
企業ができるフェアトレードは「広く薄く」のラベル型。一方、NPO系のフェアトレードは「狭く深く」の対面型だ。
どちらが良いという話ではないが、そういうNPOの活動は資金規模が非常に小さく、それと同時にシェア拡大を狙っていくという性質のものではない。
地産地消も同じだが、もともとできる供給量は限られているのだ。だがそれは逆に、現在の貿易量を考えるとごく微量である。
知名度が上がることによって確かに現在の世界貿易の状態を一般市民が知るよい機会が増えるとは思う。
しかし、それによって貿易の不均衡が是正されるかというとそうはならないように思える。
WTO、もしくは二国間協定のFTA,EPAしか国単位での関税を検討する機関は存在せず、そしてそれらは「そちらが下げるならこちらも下げよう」というふうに、取引によって成立するものだ。
そして生産者への受け渡し価格という点では、「資本主義」の根本的構造が変化しない限りコスト削減圧力は生じる。力の弱い生産者は企業(つまり世界)には勝てない。
そもそもこの運動自体が「フェアでない」という認識から来ているため、もし仮に不均衡が解決された場合にはそれらの企業が存続する意義がなくなるという矛盾が生じる。
絶対にそんなことは起こらないのでこれは意義という面での話しでしかないが。
そんな感じのことを仕事中は考えていた。
まだ考えるべきことは色々とある。
今になってもうちょっと自由な時間に本を読んでおけばよかったと思うものだ。
朝六時に起き、弁当を作って犬にエサをやり、夜六時に帰って散歩し、食べたら寝るというのがパターンとして固定されてきた。
働くようになると今までどれだけ自由な時間があったかがはっきりとわかる。
なにより本を読む時間がなくなった。困った。
これから梅雨なので、犬がう○こで困りそうだ。心配。
ちゃんとトイレはできるのに、最近は一日我慢して散歩でしかしようとしない。私がいると我慢する。しなさいと言っても聞いてくれない。バカなのか利口なのか。
職場の人間関係は良好。
ここからはメモ
この前、フェアトレードについての話をしていたら、「生協でフェアトレードのチョコが500円で売ってて、高くて買えないと思った」と言われた。
これには色々な問題が潜んでいる。
フェア・トレードは賃金など、生産者が正当な(まっとうな、といったほうがいいのか)対価をもらえず、搾取構造のなかで貧困に甘んじるしかない状況を是正するための運動だ。
しかしながら、生産者により高い報酬を与える場合、それは消費者への価格転嫁という具合になるのが一般的である。
それ以外には、他の流通や最終販売者の利益低下という形でしか手段がないと言えるからだ。そしてそれは普通現実的ではない。
そうなると、消費者は市場価格が高く設定されても、「フェアトレードである」というプレミアム効果によってそれを受け入れるしかなくなる。
そこがまさにフェアトレードの問題点である。
「援助」の一形態としては有効な手段として挙げられるのだが、マーケティング側とすればこれはいわゆる「中流層」以上に働きかけることとなる。
例えば、「フェア・トレードラベル」というのが付けられた商品は、FLOという組織によってフェアトレードであると認められたものに付けられるものなのだが、大部分が主にユーロ圏の「環境意識・人権意識の高い」人々にしか消費されていないのだ。
2007年ではフェアトレードの知名度は2.9%だった。現在は、People Treeの発表では 17.6%らしい。
随分知名度はあがったが、それと実際の購買行動がされることとは別だ。「フェア・トレードである商品を買うことに満足を覚える生活に余裕のある層」は日本人の半分以上が当てはまらない。
私が学生のときに考えたフェアトレードの問題点は、以下の三つだった。(援助という面から見ての話)
以下自分より引用。
第1に、一般の援助全体にいえることだが、「顔の見える貿易」を志向することは、「選別」によって他の貧困者よりもその対象が優遇されることを意味する。
第2に、輸出するような作物を栽培していないようなアフリカの小農家や、都市の賃労働者は対象にされないという可能性がある。
第3に、現在の「搾取価格」に上乗せするような形での消費国での販売は、中間マージンを排除するとしても消費国側の政府と企業の「搾取構造」に対して異議を申し立てるという形にはならず、結局は消費市場の価格差で負けること、そしてその構造自体を温存する結果にならないかという不安がある。
それと加えて、フェアトレードを指向する組織はNPOが圧倒的に多く、店を持つとしても個人商店レベルが限界である。
企業ができるフェアトレードは「広く薄く」のラベル型。一方、NPO系のフェアトレードは「狭く深く」の対面型だ。
どちらが良いという話ではないが、そういうNPOの活動は資金規模が非常に小さく、それと同時にシェア拡大を狙っていくという性質のものではない。
地産地消も同じだが、もともとできる供給量は限られているのだ。だがそれは逆に、現在の貿易量を考えるとごく微量である。
知名度が上がることによって確かに現在の世界貿易の状態を一般市民が知るよい機会が増えるとは思う。
しかし、それによって貿易の不均衡が是正されるかというとそうはならないように思える。
WTO、もしくは二国間協定のFTA,EPAしか国単位での関税を検討する機関は存在せず、そしてそれらは「そちらが下げるならこちらも下げよう」というふうに、取引によって成立するものだ。
そして生産者への受け渡し価格という点では、「資本主義」の根本的構造が変化しない限りコスト削減圧力は生じる。力の弱い生産者は企業(つまり世界)には勝てない。
そもそもこの運動自体が「フェアでない」という認識から来ているため、もし仮に不均衡が解決された場合にはそれらの企業が存続する意義がなくなるという矛盾が生じる。
絶対にそんなことは起こらないのでこれは意義という面での話しでしかないが。
そんな感じのことを仕事中は考えていた。
まだ考えるべきことは色々とある。
今になってもうちょっと自由な時間に本を読んでおけばよかったと思うものだ。