私は訳者、出版社とはなんの関係もなく、パブリックドメインとして公開されていた原書を日本語版として出版される前に一時翻訳公開していただけのものです。

何も文句をつけられる立場ではないのですが、引用をされる方もあるだろうと思うのですこし注意を。

本書の最後に付されている「非暴力行動198の方法」は、この本のエッセンスを凝縮したものであり、非常に重要なのですが、間違っているものが多くあります。
誤訳、というより、理解が足りないために浅い内容になっているため、このリストを引用する際には原文、また、日本語で詳しく解説されている方がいるため、そちらのブログの内容をごらんになってください。


ジーン・シャープ「独裁から民主へ」 kom's blog


本文に関しては、訳者の意図としてこのような文になさっているのだろうと思うので、ひとつだけ些細なものを。



第3章にある「猿の主人」の寓話という項、注釈で「この寓話の原題は『策略による統治』で~」と書かれていますが、これは漢詩の英訳を日本語にしたためにこのような文になっています。
英訳は「Rule by Tricks」というタイトルですが、原題は「術使」です。

ちなみに、鈴木敏雄訳「劉基『郁離子』全訳」では、「朝三暮四その後」というタイトルがつけられています。
これは四文字熟語の朝三暮四の元となった話をリスペクトして作られた話だからです。

以下大辞林からの引用。
「列子(黄帝)」などに見える故事。狙(そ)公(=猿回し)が猿にトチの実を朝に三つ、暮れに四つ与えると言ったら猿が怒り出したので、朝に四つ暮れに三つやると言ったところ猿が喜んだというもの。狙公橡(とち)を賦(くば)る
[1] 表面的な相違や利害にとらわれて結果が同じになることに気づかぬこと。
[2] うまい言葉で人をだますこと。
[3] 命をつなぐだけの生活。生計。

以下本文です。

  楚の国に猿を飼って生計を立てている者がいた。楚の人は彼を猿使いと呼んだ。朝になると多くの猿たちを庭で部ごとに分け、老猿に率いらせて山に入れ、草木の実を探させ、十個に一個を与えて自分に奉仕させていた。探してこない猿があると、鞭打った。群れの猿たちは皆畏れ、困っていたが、言いつけを守らないということは決して無かった。
  ある日、小猿が多くの猿たちに聞いた、「山の木の実は猿使いが植えたものか」と。
  「いや、天が与えたものだ」と。
  「猿使いでなければ取ることができないものか」と。
  「いや、皆取ることができる」と。
  「それなら、我々はなぜ彼の所にいて、彼のために働いているのか」と。
  言葉がまだ終わらないうちに、多くの猿たちは皆気づいた。その日の夕方、猿使いの寝ている隙を互いに伺い、柵を破り、檻を壊し、猿使いの蓄えを取り、皆で手を取り合って林の中に入り、二度と帰ることは無かった。猿使いはとうとう飢え死にしてしまった。
  郁離子言う、「世の中には小手先の術を使って民を使うばかりで、道に合うかどうかを考えていない者がいる。猿使いみたいな者であって、疎くてまだ気づかれていないだけだ。一旦それに気づかれてしまえば、その術は行き詰まる」と。





普通論文形式の本を訳すときは引用元や、著者の文献には当たるものだと思っていたので、何の関係もないですが思い入れのある本がこのような形になって残念に思っています。