ブログのタイトルも何を書いたら良いのかわからない。

年明け。一週間もたつと、言うべきなのだろうか。言わなくてもなんか良い気がする。
最初にタイミングを逃すと、年明け後にあった人でもいわなかったり、別れ際に「今年もよろしくお願いします」だけ言ったり。

けっこう後々まで使っても良い気もする。

なんといっても旧正月では2月ごろが年明けなのだから、なんとなく2月末まで使っちゃっても良いのだ。言われた人は変な顔をするだろうことうけあい。




さて、このごろなんにも書きたいことがなかったので、普通の日記。

祖母が年末の特番を一緒に見ていたとき、「あのときは大変だった。波がそこまできてて必死で逃げたんだから。誰かもう一人いて、一緒に逃げたの」と言っていた。

うーーーーん・・・・。
なんかテレビとか投影して、自分のことだと思ったんだろうか。(断っておくが、家は東京で被害一切なし)

母に聞くと、それは「作話(さくわ)」という現象らしい。
もともとボケる前は、人から聞いた話をさも自分の体験のように話す癖のある人だったので、元々の性格ということも考えられるのだけれど・・・。


最近またちょっとずつボケが進んできた。

奥歯を抜いたせいで、口をモゴモゴするのが癖になってしまったことがあったが、最近は薬のおかげでその仕草もなくなっていた。だがこのごろまた復活。
段々と進んでいるようだ。

ボケが進むにつれ仏様に近くなっていく、というのは母とよく話す事柄。

頭がしっかりしていた頃によく出ていた恨み言、家族と夫婦のあれやこれや、私のいちいちの行動言動などにもマイナスな感情を向け、母に吐き出していたこと。
それら全てが忘れ去られ、今ではすっかりおとなしくなった。

祖父はこういう話がでると決まって「業だよ。業」と言っていた。
人間の業というのは、死が近くなると洗い流されていくようだ。
祖父もそうだった。厳格な父親で、家族の間にはいつも緊張が走って、夫婦げんかが絶えず・・・。母は「こんななら、絶対に家族など作らない」と思ったそうだ。それでも晩年には優しいおじいちゃんになった。

果たして人間の業はどのように変えられるのか、例えば落語の黄金餅のように、死んでもその人の真性というのは変えられないものなのか。
業の塊である伯母達はその業を一生の物として自ら不幸を求める以外に道を求められないのか。

こういうことに答えを出すのは宗教なのか。
何か違う気がするし、自分がいくら良い心を持っていても、他人との関係で変わる気もする。
面白いのは、伯父は敬虔なクリスチャンで金など頓着しない哲学者だったのに、伯母が金の亡者になること。夫婦であっても考えを共有するとかってことはないんだな。夫婦だからなのか。

そんなことを考える今日このごろ。
あ、そういえば蜂蜜をフタに移してフタからゴキュゴキュ飲んでいるのを見たときは、衝撃的だったな・・・。


あとのなんか色々。

・ライコネンF1復帰に喜ぶ。
今年は可夢偉とかセナくらいしか応援する人がいなかったけれど、もうすごい嬉しい。
ルノーなので表彰台は厳しいけど、あいつならやってくれる。面白くなるぞー。

・簿記2級取得。
特に意味はない。けど三ヶ月間頑張った。仕事はまだ探してない。コワヒ。

・今年の年末年始は、BSジャパンでやっていた池上彰の現代史講義一挙放送と、録画していた経済学講義をまとめて見てた。なんかずっとこのおっさんばっか見てた気が・・・。

・去年後期のNo.1ドラマは家政婦のミタでも、ドクターズでもなく、「マメシバ一郎(tvk)」。
オールドも出てたし!可愛すぎだし!