「台風が通り過ぎた後の快晴」と「現在の親からの教育を憂う」 | 海の見える家

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努力して諦めなければ、必ず道があると信じて突き進みます。時を間違えなければ。頑張る時に頑張らなければ、努力は結実しないのです。

心地よいものがあります。

吹き抜けていく風が爽やかなのです。

今は、風が止まったので、扇風機の風で十分に涼を取れます。

小学生の頃、台風が直撃して、学校が臨時休校がたまにありました。

小学生の時は、友人宅が近所なので、テレビゲームをしに行っていましたw

今考えるとアホですねw

飛んで着た看板が刺さったりしたら、重症ですよ。

まぁ、そこは若干風が収まってから行っていましたけどね。

そして、友人宅に行くと、他の友人も遊びに来て、ゲームの順番の奪い合いになっていましたw

そうこうしているうちに、現代ではスマホのゲームで1人で遊ぶのですか。

子供の頃、特に幼児期は、人生の根幹とも癒える人格形成が成される時期なので、ゲームをすることは、お勧めしません。

様々なことを経験させるのです。

そして、集団の中に突っ込むことで、今の子供が大きく欠落している社会性を養うのです。

子供なのに、スマホ老眼とか、マジで信じられません。可哀想です。

受動のゲームからは、何もと言ったら失礼か、シナリオが高度に構築されているノベライズものを抜けて、得るものは、まずないでしょう。

考えない子供は、先々で苦労するのです。

そもそも、親が子供の教育方法を解っていません。問題は、ここですね。

愛情のない親を持った子供は、可哀想です。

教育基本法の前文
 我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。
 我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。
 ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。

教育基本法1条
 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

ここで、「教育は、人格の形成を目指し」と明文化されているのを、御存知ない方が多いでしょう。

現代の親が、小学校へ上がる前の「家庭内教育」と「躾(しつけ)」を、ごっちゃにしています。そして、教育は学校教育や塾で足りるとでも勘違いしている事例がほとんどです。即ち、「教育」≒「勉強をさせる」です。全く別次元の問題を同じテーブルで扱うから不幸な子供が増えているのです。

教育基本法は、小学校教諭か、教育委員会の構成員か、弁護士と裁判官くらいしか知らないでしょう。

人格の完成を疎かにした教育は、不幸しか生みません。

私は、これを声高に言いたいです。