坂本龍馬 | 海の見える家

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努力して諦めなければ、必ず道があると信じて突き進みます。時を間違えなければ。頑張る時に頑張らなければ、努力は結実しないのです。

苗字は一般的ですが、「龍馬」という字!!

将棋で、飛車と角がありますよね?

相手の陣地に入って、成るか成らないかは、その時の判断ですが、この2つのコマに関しては、常識的には成ります。「成る」という概念は、チェスのプロモーションと全く同じです。

飛車が成ると、「龍」。

角が成ると、「馬」。

それぞれの駒の裏側に、朱色で書いてあります。

もうお気づきですね?

龍馬の字は、飛車と角が成った状態のコマの文字から1文字ずつ取っているのです。

いやはや、素晴らしい名前です。

坂本龍馬は、犬猿の仲と言われた薩長を結び付けた立役者であり、大政奉還の建白書を、脱藩した土佐の山内容堂に願い出て、書いてもらった人物として有名ですね。

それまで、武士は、どこかの城に所属していれば、農民が治める年貢米で食べていけたのです。

坂本龍馬は、武士でありながら、実家が商売もしていたので、どうも、「武士をやめて、皆、商売すれば良い」としか考えていなかったようです。

政(まつりごと)に関しては、庶民の中から選ぶという「選挙」も考えていたようですが、武士に関しては、上で述べた通りのようです。

それが、大政奉還の後、武士の社会が崩壊したから、さぞ、恨みも買ったでしょうね。

だから、後先考えない浪士に狙われ、暗殺されたのだと思います。

まっこと、惜しい人物を亡くしたぜよっ!

風邪を引かず、近江屋に泊まらず、薩摩藩邸に言われるがまま泊まっていれば、歴史は良い方向へと変わったかもしれません。

特に、今の政治を観れば、長州藩があった山口県から、如何に首相や大臣が出ているかということです。偏りすぎなのです。

「龍馬がゆく」を執筆された司馬遼太郎さんは、「アメリカ頼りの他力本願の外交しか出来ない、今の時代の政治、特に、今の内閣が抱えている文書記録改竄問題の発覚」を見ずにお亡くなりになって、本当に良かったと思います。もし、ご存命であれば、心底、怒り、嘆き悲しんでいらっしゃるでしょう。