「死にたい」

「生きている意味が分からない」

「生きることが辛くて辛くてたまらない」

 

生きることに疲れてしまって、ずっと、そんなことを思って生きてきました。

「生きる意味」なんて、きっと一生分からないままだろうなって思っていました。

そんな私が40歳になり、やっと「生きる意味」がはっきりと分かってきました。

 

「生まれ変わり」とか「死後の世界」とか、そういうものは私も苦手なので、信じなくてもいいです。

ただ「例えば」の話として、ちょっとだけ想像してみて下さい。

 

 

————今、あなたが亡くなったとします。

亡くなったあなたは、心や体の痛みや苦しみを感じません。

あなたの肉体から抜け出し、魂だけになったのです。

あなたの姿形はありません。

ただの光のようなもの。

己の意思だけはしっかり存在するのに、

もう誰にも見えません。

もう誰にも触れられません。

声も発せれません。

誰にも存在を気付いてもらえません。

その世界は、時間や距離の概念がありません。

争いもなければ、空腹もない、重力もなく身軽で、自由の身で、穏やかな光。

不幸もなければ、幸福もありません。

その世界は、どこまでも無で平坦で退屈なのです。

 

ふと「肉体が無ければ出来ないこと」が恋しくなるのです。

美味しいものをお腹いっぱい食べることかもしれない。

新鮮な空気を思いっきり深呼吸をすることかもしれない。

地球という大自然を五感で感じることかもしれない。

愛する人の匂いを嗅ぐこと。

愛する命に触れること。

愛犬を撫でる安らぎ。

恋愛かもしれない。SEXかもしれない。

大好きだったスポーツかもしれない。

歌を口ずさむことかもしれない。

音楽を奏でることかもしれない。

絵を描くことかもしれない。

家族を持つことかもしれない。

たくさんの子孫を残すことかもしれない。

100人いれば、100通りの、この世界に憧れる"何か"がある。

 

それこそが、あなたの核となる「価値観」なのです。

100人いれば、100通りの純粋な「価値観」があり、

誰かにとって重要でも、誰かにとってはどうでもいいことだったりする。

この世に求めることは、皆んな違って当たり前で、どれが正しいとか間違っているとかはない。

その価値観こそが、あなたがこの世で「生きる意味」。

 

退屈なあなたは、ただ刺激だけを求めて、映画やドラマのDVDを選ぶように、気軽な気持ちで、自分が体験したい人生(この世で生きるための肉体=モビルスーツ)を選びます。

 

あなたは、どんなストーリーのDVDを選びますか?

辛い経験や様々な困難を乗り越えていくドラマティックな内容。

挫折と葛藤を繰り返し、成功を手に入れるサクセスストーリー。

ファンタジーな音楽や美しい映像に包まれた夢のようなおとぎ話。

友情だったり青春といった爽やかな汗や涙が流れる感動もの。

恋愛やSEXや不倫にどろどろに溺れるストーリー。

生きるか死ぬか常に緊迫したような戦争もの。

狂気や恐怖といったホラーやグロさを感じたいのかもしれない。

始終、笑いが絶えないコメディかもしれない。

近未来や最新テクノロジーを感じる新世界かもしれない。

ただ、広大な大自然を感じるだけの、映像美かもしれない。

性別や常識の枠を超えた、より難度の高い大恋愛かもしれない。

この世には、ありとあらゆる人生のDVDが揃っているのです。

 

どこにでもありふれたような無難で、ごく普通の人生のDVDを選ぶにしても、

生まれてから死ぬまで、何の起伏のなく、ただだらだらと長く続くようなDVDは、

退屈じゃありませんか?

だって、すでにあなたは、退屈で刺激を求めているのです。

多少の不幸や苦難があった方が、物語は彩り豊かで充実したものになるのです。

どんな刺激のスパイスを求めるか、それも千差満別。

そこには、いいも悪いもないのです。

誰の許可もいらない。あなたの自由。

 

 

ただ、大好物だったカレーやラーメンを食べられれば、美人であろうがブスであろうが、自分の見た目は大して重要ではないのかもしれない。

ただ、歌が歌えれば、親がどんな人間でも、それは重要ではないのかもしれない。

ただ、自分の好きなことができるのであれば、お金があろうがなかろうが、それは重要でないのかもしれない。

ただ、愛する人と一緒に過ごせれるのなら、もうそれだけで充分なのかもしれない。

目が見えない、耳が聞こえない、そんな障がいを持った世界に興味があったのかもしれないし、むしろ、そんな障がいは問題ではないのかもしれない。

闘病など困難や試練を乗り越えていく系に闘志を抱く人もいるかもしれない。

母親のお腹に宿るだけ、そんな不思議で神聖な体験だけをしたい人もいるはず。

きっと、とても気軽な気持ちで人生のDVDを選んだのです。

 

それなのに、他の人が選んだ人生と自分を比べて、羨んだり、妬んだり、ましてや、生き方を否定をするのはナンセンスだと思いませんか?

どんな人生を生きるかは、その人の純粋な「価値観」であり「選択」なのですから。

 

大好物のうどんや蕎麦を食べた時、「これを食べるために私は日本を選んだのかも」

愛する人に触れたり笑い合うこと、「私はこれを求めて生まれてきたんだな」

綺麗な景色を見て感動した時、「この美しい景色を私は見たかったんだなぁ」

美味しいものを食べた時、「こんな美味しいものが味わえるなんて幸せ」

心から共鳴する音楽を聴いた時、「この感覚に勝る感動なんてないな」

 

この肉体という名のモビルスーツから一旦離れて、魂だけの無の自分になると、

自分にとって、重きを置いている「価値観」や、重要としていない「価値観」にたくさん気付けます。

この世に生まれて、この体を選んで、自分は何をしたかったのか。

意外とそれは、手に届かないところにあるような大きなことではなく、とても身近にありふれたような、些細で小さなことだったりするのです。