今年の始めの、バレンタインデーに天に旅立った年子ばぁ
の、晩年のエピソードで、
印象深いものがある。
年子ばぁは、いわゆる「認知症」で、
直前の出来事の記憶の維持が難しくなっていた。
その年子ばぁが、
ホームに会いに来た私に、いうのだ。
軽い語り口で、
「パンでも買って」
なんの繋がりだったかは定かじゃないが、
「さ、ここを出て、パンでも買って、うちに帰ろうか」
というような流れのなかでの言葉だった気がする。
でも、それがね、
数分おきに、3回くらいおばあの口から出たの。
だからわたしはそれほどまでに、
おばあちゃんはパンでも買いたいんだなあって、
しみじみわかってしまった。
○o。.○o。.○o。.
記憶力が衰えてる状況下で、
繰り返された「~でも」。
いっけん、かる~いニュアンスに響く。
けれど、この一件以来、わたしは「~でも」という言葉やきもちが人からや、自分から聞いたとき、「じつはとっても欲しているのかも」と疑ったりするようになってしまった。
○o。.○o。.○o。.
ここまで、くどくどと説明しておいて、ちょっと、「~でも」の意味は変わるんだけど。
全日、ふと「流しでもやる(片す)か。」
と、ちょっと距離をおいて眺めるかんじで、つぶやいた自分がいたの。
それまでの、ああこれもやらなきゃ、
的な、アクセク感なし、の。
ああ、この感じ、いいなって気に入った。
さいきん、ちょっとお疲れ気味のわたし。
「~でもやるか、」
そんなノリを覚えたことだけ「でも」、やってみるか。
なんか、そんな実験を思い付いたのでした。
でもね、でも。。その「でも」は。
いがい~に、本心でやりたいこと、
だったりしてね。
意外に、潜在意識を表す、
それが「~でも」というフレーズなのかもしれない、
と思ったりしたわけです。


「・・部屋でも片すか。」
それが部屋の片しドキ!?
っってことで、だいじょうぶぅ~

はい、いすぽんさんのマネでした~


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こんなんじゃだめだ
こんなんじゃだめだ
・・・・・・
いや、・・・ こんなんでいい。
こんなんでいい。
こんなんでいい。
こんなんでいいんだ。
○o。.○o。.○o。.○o。.
じぶんを責めるきもちが、
その最初の揺さぶりを大きくしている。
ますます、事態を悪化させる力がたまり、
バネが跳ねたときに、
コントロールできないままに暴発し、
現実を現実感ないままに、
形づくってしまう。
けれど。。。それさえも。
そんなんでいい、
そんなんでいい、
そんなんでいい。
まるごと受け入れようじゃないか。
そんなんでいいじぶんを。
こんなんだって、愛すべきじぶんを、
現実を。
まるごとだきしめて、
そんなはずじゃなかった
こんなんじゃだめだという頭に、
ヒビを入れて新しくしてあげましょう。


























ああ、これだ、と思った。
21日にSeventh Rose さんの、
「手のひらをほどいて」で感じたの。
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