初めましての方も、そうでない方も、
このページを開いてくれて、ありがとうございます。
この記事にはわたしの人生と、このブログに載せる思いを、綴っていきたいと思います❤︎
ここを読んでいただければ、わたしのバックグラウンドと皆様との相対性が、より磨き出されることと思います。
このブログでお伝えしたいいくつかのことを、わたしの半生と共に、ご紹介させていただきます。
〜昔のわたし〜
無価値観・罪悪感で頭がいっぱい
自己価値が底辺
暴力的環境からくるトラウマ
一般家庭とじぶんが育った環境の差異への戸惑いと混乱
自己犠牲的な優しさ
頑張れば頑張るほど苦しい
社畜根性で身体を繰り返し壊す
お金は苦労の対価
10年来の夢の挫折
〜今のわたし〜
リモートワークで過去最高月収
犬と気ままな1人と一匹暮らし
じぶんビジネス・発信で自己表現を楽しむ
気の合う仲間と月2でホームパーティ
頭の中の自己否定感・無価値観・
罪悪感から解放された
過去のトラウマの解消
肩書きや結果、評価に左右されない心
自己選択感を持って人生を歩んでいる
未来に希望を持っている
じぶんと深くつながる安心感がある
心地のいい安寧の場所を知っている
もはや、昔のわたしは前世かな?
と言う感覚になるほど、わたしは人生を360度転換してきました。
そしてまたこれからも、180度くらいは人生変えられると確信しています。
過去の改変は、いくつも味わってきました。
角度が変われば、過去は、その持つ意味合いを変えるのです。
それは時に、「今」を生きるじぶんに
勇気や希望、安心のベースを与えてくれることがあります。
一つの人生で、何度も転換し、じぶんの人生をたくさんの角度から、楽しむことが出来ます。
それは無理矢理なポジティブでも、無責任な諦めからくる受容でもありません。
心底、このわたしで生まれて良かったと
湧き出る気持ちを感じられる幸福感です。
これはさほど難しいことではありません。
じぶんの心の安寧を知り、
他人との調和を楽しむことができれば
誰でも、いつでも、じぶんの人生を取り戻すことが出来ます。
そしてその状態は、じぶんの人生を、より拡大、成長させ、さらにじぶんの望む先へと、わたしたちを連れて行ってくれることでしょう。
じぶんに対して夢や可能性を感じられる、
これは本当に幸せなことです。
このblogに辿り着いたあなたの
人生のエッセンスになれれば
とても幸せです🌸
昔のわたしが、今のわたしに行き着くまでのストーリーを、綴らせてもらいます❤︎
ピンとくる方は
最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
罪悪感いっぱいの生贄マインドを育てた幼少期
わたしは幼少期、暴力が身近にある環境で育ちました。
なぜそんなのことが起こるのか?
小さなわたしには到底理解出来ませんでした。
けれども人間は、答えが欲しい生き物です。
小さなわたしは一番簡単な解答を、自ら導き出したのでした。
「よくわからないけど、わたしにはバチが当たってるんだ」
神棚を掃除し、水を換え、神様に祈る日々でした。
好きなものを我慢したり、体をつねったりして「バチの先取り」をしたりしてました。
苦痛という形で生贄をささげれば、その現実が回避されるような、そんな気休めをしていたのです。
感じることに蓋をすると
辛いことも緩和されますが、悦びもまた鈍感になるようでした。
世界は灰色で、すごく冷めた目で世界を見ていました。
年相応の悦びや、望みがあった記憶はあまりありません。
その「生きている申し訳なさ」は
母親に対する罪悪感としても、顕著なものでした。
お金を受け取るのが申し訳ない
母はお金は苦労して稼ぐ、と言っていたので
じゃぁお金のかかるわたしは、母にとって苦労だ、と、
どこかで間違って認識したように思います。
小学生の頃からお小遣いは断ってました。
貰う喜びより、奪う罪悪感の方が優っていたからです。
歳の離れた姉兄にかかるお金の苦労を聞かされていたのもあり
末っ子であるわたしはより、遠慮するような図が、出来上がって行きました。
そうして、
優しさとは自己犠牲
お金は苦労して稼ぐもの
身に余る幸福は不幸のもと
他人はじぶんを傷つける存在だ
そんな捻じ曲がった価値観を
じぶんの中で育てることとなったのです。
アクセルとブレーキベタ踏みの頑張る期
色々捻じ曲がった観念を持ったわたしも
13歳のある夜、
生まれた環境で人生を決められるなんて真っ平ゴメンだ
と、自立することを心に誓いました。
デザイナーになって上京して1人で生きていく。
生まれた環境に左右されず、わたしは幸福になってやる。
そう決意しました。
自立=誰の力も借りずに生きること
というボタンの掛け違いにも気付かずに…。
まずは仕事、高校は親の意向で普通科へ進学したものの、
専門学校へ通い、念願だった有名映像プロダクションへと入社を果たすのでした。
じぶんが目指す作風の監督と仕事がしたくて
その人のプロジェクトの隣のチームへ配属された時は
とても嬉しかかった。
夢を叶えたと思ったし、ほんの少しだけ、結果を出せたじぶんを誇らしく思いました。
けれどもこの頃には、生贄マインドは「いいことをする」から「いかに評価を得るか」へ変貌していました。
いつも自分から湧いてくるのは
下手くそ
もっと成果を出せ
もっと知識をえろ
下と比べず上だけみろ
もっと、もっと、
さもないと。お前に価値はない
という、プレッシャーのオンパレードでした。
好きなもの、憧れの仕事、大きな肩書きを得れば得るほどに
じぶんのへのプレッシャーも増大していきました。
そんな強固な「じぶんには価値がない」という思い込みの前では
他人からの評価も、賞賛も、何一つ心を満たすものには、なりえませんでした。
常に努力(という自己犠牲と苦労・オーバーワーク)をしなければ
自己価値が下がると、思い込んでいたからです。
3年を過ぎた頃、好きだった絵はとんと描けなくなりました。
映画も2時間座って見ていられない。
楽しいことは時間の無駄だから。
ある日、突発性難聴を発症し、発作的に酷い乗り物酔いのような症状に襲われるようになりました。
37度の微熱が下がらず、逆立ちをさせられて要るように頭に血が登り、今にも鼻血が出そうな
そんな症状に苛まれるようになりました。
そうして、13歳から走り続けたわたしの夢は、叶えてからたった3年の、24歳でドロップアウトすることになったのです。
心と向き合い始めた内観期
地元に戻ってから、半年、失業保険を得ながら実家でぶらぶらと過ごしました。
今思えば半引きこもり状態だったように思います。
半年で心はかなり楽になり、2年半ほどクリエイティブと関係ない派遣の事務仕事をしました。
初めての心の休息を、味わった期間だったかもしれません。
生活は恐怖に脅かされず
お金の心配もない
仕事も責任のないポジションで、気負うこともありませんでした。
そんな、常にじぶんに振っていたムチが、この時ばかりは
影を潜めていたのでした。
少し心に余裕が出たからか、ふと、
「わたしって、生きづらいな…。」
と、思いました。
もちろん、家庭環境が普通でない分、どうしてもベースは不安定だろう、とは思っていましたが、
「この先このじぶんでどう生きていけばいいんだろう?」
そんな風に、「目の前の現実」から、「じぶんという存在」に目を向け始めたのでした。
こうして初めて、アダルトチルドレンや心理学などの本やサイトを見始めるようになったのです。
そこで初めて、じぶんが抱えている「謎の生きづらさ」を認識することができました。
この生きづらさが定常すぎて、自覚もあまりなかったのですが、
軽度のPTSDも発症していたように思います。
夜道を歩く時、常に誰かにつけられていると思い込んでいたし
人気のない駐車場や工場前などを通る時、異様な不安感と動悸を感じ汗をかいたり
マンションの階段の踊り場に、不審者が隠れていると思っていたり
帰宅後、全ての部屋やクローゼットの中、カーテンの裏など誰もいないか確認しないと安心出来ないなど
仕事だけではなく、私生活もいつも不安にさらされていたことを思い出しました。
実家での平穏な2年半のおかげで、そういった身体的影響はほぼ緩和されていきました。
そうしてこの、24歳から26歳の間は、なにごともない、過度に目指すものもない、
「普通の生活」を味わうことができました。
頑張る期、ふたたび
派遣事務の仕事で特に夢もなくのうのうと過ごしていたわたしは、「無価値観」のエネルギーから、「退屈」というエネルギーまで回復していたように思います。
もちろん、まだ完全に自己否定が抜けたわけではないですが、
可もなく不可もない、そんな日常にひたり、「安心」という感覚を、大人になったその頃に、育てていたのでした。
けれども、人は本来、拡大、成長したい生き物。
わたしはやはり「夢」(今思えば、夢を味わえる自分)を叶えたくなり
整いきれてないマインドで、また夢を追い始めることとなったのです。
絵を描く仕事に就きたい一心で、26歳から携帯ゲームのアプリ会社へ就職しました。
夢を追うことは、「また挫折するんじゃないか」という恐れと隣り合わせでした。
はじめは、会社に行くことが恐ろしくて、出勤の1時間半も前に最寄りのカフェに行き、
持っていた手帳に「大丈夫、怖くない」と、ただひたすら念仏のように書いていました。
その頃、内観という言葉も、じぶんをほっとさせることも何一つとして、how toとしてしらなくても、自然とそうしていたのだから、人は知識なくとも、生きるすべを知っているのだなと、今そう思います。
そこから先はまた
「自己価値の証明」
「お金は苦労して稼ぐもの」
「自己犠牲のやさしさ」
の連続でした。
その必死さは、会社で評価を得ることができましたが、役職がつくほどに、苦しくなる日々。
残業しない社員や部下をみて、怒り狂っていたし、その分じぶんが休むことを許せずにいました。
そんな28歳の冬、2年連続で会社で年明けを迎えたころ、SNSで知り合った青年から、ネットワークビジネスを伝えられました。
稼げるとか、成功できるとか、今思えばどうでもよくて、ただその「常識」とか「~ねばならない」という考えから、逃げ出す理由が欲しかっただけのように思います。
藁をもつかむ思いですがった先で、あれよあれよと200万以上あった貯金を使い果たし、働いていた会社も辞め、借金ができて返済できず、クレジットカードも止められました。
MLMの世界はきらびやかだったし、夢がありました。
ただわたしが発していたのは、すべて、不足からの望み。
簡単な言葉尻だけを都合よくとらえて、くしゃくしゃなマインドのまま、当時付き合っていた男性の家へと転がり込んだのでした。
宇宙エネルギーと出会った転換期
転がり込んだ彼との同棲は1年ほどで解消。
30歳近いこともあったので、仕事がだめなら、せめて結婚すれば…
なんていう安易な思いがあったように思います。
けれど、2017年12月24日、夢に見た彼の浮気現場が、あぁ、このままいくとこれが現実になる。
不思議とそう確信を感じてしまったのでした。
そしてその夜、浮気までともいかなくも、彼が女性と二人で仲睦まじく映っている写真をSNSで見つけてしまい、それを伝えた時の彼の態度を見て、もうこの道の先に、わたしの幸福はない、と、確信を得て、別れて実家に戻ったのでした。
まるで予知夢のような、不思議な体験でした。
そうして実家に帰って年を明けた2018年の1月8日、Happyちゃん(竹腰さちさん)の動画で、エイブラハムの瞑想CDと出会いました。
ぽっと目の前に捉えた心地よさに、夢中になりました。
「ここには皆さんへの、素晴らしい愛があります。」
ただ、理由も根拠もなく、繰り返される言葉に心地よく身をゆだねていきました。
いままで、何かを改善させること、に必死になっていたわたしには「ホッとすること以上に大切なことは何もない」というシンプルな教えは、心地よかったのです。
そして、そういえば、どんなにお金がなくても、仕事前にスタバで1杯のコーヒーを飲む時間を取っていたことを思い出しました。
夜勤のコールセンターで低時給だった仕事が、彼との別れる2か月前には、高時給の仕事に代わったことを思い出し、エネルギーってこういうことなのか!!!とこれまでの人生の転換点で、自分がしてきた流れと、宇宙エネルギーの話がつながったのでした。
癒しと共にじぶんの人生を手にする創造期
そして今、わたしはこの場所にいます。
じぶんを癒しつづけ、抵抗を手放して、心の安心の場所と、じぶんとのつながりを、得ることが出来ました。
こんなわたしを、わたしは知らない。
そんなの初めての経験だと思うくらい、新鮮な感覚です。
昔はただ、この傷付いた(と思っていた)心を癒したいだけだった。
じぶんを可哀想な人間で終わらせたくない。
希望を持てる人間になりたかった。
今は、じぶんの可能性にもっともっと、心躍らせたいと、思っています。
プロフィールに書いたわたしの過去は、ある1視点からのトリミングに過ぎません。
このわたしになった今、先につづったわたしの過去は、好きに味わいなおすことが可能です。
それは無理やりなポジティブではありません。
じぶんに対する尊敬の視点です。
わたしは、じぶんの可能性を信じ、力強く命を燃やせる人として、生きていきたいです。
あなたは、どんなあなたで人生を歩んでいきたいですか?
最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
この世界がどうか、悦びとやさしさを選択していけますように。
etsuko